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後に、末原さんが自身のホームページでこう述べている。

『北海道の釧路方面にライブツアーに出かけて来た。
そこにいたるまでにはいろんな出来事があるのだけれども、とにかく今回の言い出しっぺであるベーシスト池間君に同行し現地に向かった。
最初は半分観光気分だった一行も、普段なかなか東京からのライブを観ることの出来ない小さな町や村の人々に音楽を体験してもらおうという思いだけでボランティア活動しているスタッフの熱い思いにふれていきなり真剣モードに切り替わったのであった。
最終日の浜中町では小中学生にクリニックをする機会にもめぐまれ貴重な体験になった。
しかも翌日の帰り道には何十人という子供達がならんで送ってくれるというドラマのようなシーンが展開されたのである。(涙)
こ、こんな俺でも世の中のためになっているんでは・・・!』

ryoはミュージシャン移動用の車の運転手として初日から最終日までびっちり密着。
またyorozuは家業を投げ出してまでPAオペレーターに専念した(後日多少の家庭不和の原因になったとも聞いている(笑)。
M は、もともとこういった事が大好き人間なので、照明をいじっては「面白れぇ〜!!」を連発。
yasuはすべての会場での模様をビデオに収め、膨大な本数のオフィシャルビデオを作成。
H くんは、FMくしろ、NHKなどマスコミ関係に手を回したり、釧路会場すべてを仕切ってくれた。
大坪さんは、自身も出演者であるにもかかわらず、ツアー車の運転からミュージシャンのマネージメント一切を引き受けてくれた。
Dora ちゃんも、自分の仕事の合間を見て出来る限り付き合ってくれた。
ヤリちゃんは渉外担当、困り事相談、苦情受け付け・・・この人は口だけ参加してくれれば十分(笑)。
・・・でsara はというと、1人で オロオロしていた・・・。

ヤリちゃんから「ちょっとおいでヨ」って呼び出された八王子のm ちゃん、娘のmiki、散布の先生&奥様総勢5名が、受付とCD販売を担当する事になった。

各会場でもスタッフが集結し、準備を進めていてくれた。
浜中方面では、霧多布湿原センターのみなさんに、散布小中学校のTちゃんと子ども達に父母のみなさん。
鶴居方面ではスタッフがほとんどいない状態の中でM くんが頑張ってくれた。

3月 6日 北海道立釧路芸術館アートホール 集客数 約80名 CD販売数 20枚
3月 8日 釧路管内鶴居村「どれみふぁ空」 集客数 約50名 CD販売数 10枚
3月 9日 釧路管内弟子屈町JA摩周湖大ホール 集客数 約250名 CD販売数 60枚
3月10日 釧路管内浜中町総合文化センター 集客数 約200名 CD販売数 50枚

まず、コンサートの司会というか前説に、伊万里から着いたばかりの「奈美パパ」を指名した。
今回は助っ人シンガー奈美ちゃんの付き添いで来たばかりなのに、快く引き受けてくれた。
saraと同い年で、とってもエネルギッシュかつパワフルな人物だ。

コンサートスケジュールの空いた日に、奈美ちゃんと奈美パパをメインにミニライブを企画した。
これは、ミュージシャンとスタッフ、地元の人達との交流の場として計画されたものだった。

奈美ちゃんの歌は、独特の雰囲気を持っており、「フワフワした感じ・・・」がたまらなく魅力的だった。
そして奈美パパは、完全なラテン系のノリで一気に畳み掛けてくる感じがした。
イケマバンドもお笑い?バンドとして登場、オソマツバンド(O.S.Pines)も参加して、和やかな雰囲気で延々と続いていった。

弟子屈会場の前説では、もう1人 英語助手でアメリカ系フランス人の「ランス」にもご登場願った。
グリーンのラメの入ったタキシードに身を包んだ姿は、なかなかなものだった。
全く日本語を話せなかったのに、2年目にしてもう我々との会話が十分に成り立つ、すごい努力家の人物だ。
また彼は、料理 特にデザートをつくるのが得意で、チョコレートムースをご馳走になった事があった。
それがまた、彼は何事もスケールがデカイ!!
大皿で出てきたのだ。 幸い、アルコール類がダメで甘いもの好きのsaraは大丈夫だったが・・・(苦笑)。

今回のツアーには、オープニングアクトとして、中嶋弘喜くんとZentaくんのユニットも参加した。
中嶋くんは、ヤリちゃんの教え子で東京で活動しているシンガーソングライターだ。

奈美パパ & 奈美 O.S.Pines & 末原名人 OA中嶋弘喜


ツアーメンバー、スタッフ共とてもハードなスケジュールでクタクタになりながらも、夜になったらなったで温泉に行ったり酒盛りをしたりで楽しんでいる中、1人だけシビアになってる人物がいた。

何を隠そう、池間史規 その人だった。
すべての重責を一身に担って、悲壮な決意でステージに臨んでいた。

ステージでベースを弾くぶんには、生き生きした(水を得た魚状態)パフォーマンスを展開するのだが、自分が歌うとなると全く勝手が違うようだ。
端から見ていてもそれが良くわかった。
1人淋しく?みんなから隔離している場面もあった。 
それだけ全神経を注ぎ込んで真剣に臨んでいたという事だろう。

このツアー中には、色々と面白い事やハプニングもたくさんあった。

鶴居会場では、1番前の席に変なおっさんがドカッ!と席を陣取った。
最初、音楽に合わせて、ドラムを叩くような感じでリズムを取っていた。
・・・が、しだいにそれがエスカレートしていって、腕を大きく振って指揮をし出したのだ。
苦笑いしていたミュージシャンも、そのうち彼を視界から抹殺した。
普通なら、つまみ出す場面なんだけど、そこはそれアットホームな雰囲気という事で無視し続けてくれた。
ホント、やりにくかったと思う。

弟子屈会場では、本番直前になってPAのメインスピーカーの片側から音が出なくなってしまった。
これは致命的なトラブルかと思われた。開演までの時間が刻々と迫っていたからだ。
それからが凄まじかった。
音が出ないスピーカーはそれとして、その現実を受け入れ、ミュージシャン、スタッフ一丸となってその代替作を考えた。
本来ならミュージシャンには全く関係がない事なのだ。
でもこの時の末原さん、山内さん、田辺さん、井地さん、池間さんの対応は素早かった。
yorozuっち、奈美パパと共に、音が出る状態にしてしまったのだ。
開場の時間にずれ込んではいたが、開演の時間には十分間に合った。
本当に、真剣勝負、時間との闘いだった。

ところがまた!! でも今度は嬉しい誤算だった。
200席程度と予想して椅子を並べたのだが、お客さんが来る来る!!
あわてて席を追加した。
こっそりとミュージシャンの誰かも一緒になって、椅子を並べていたらしい・・・。

地元でどれだけ入ってくれるのか心配していただけに、ホッと胸を撫で下ろした。
聴きに来てくれた友人も「良かったネっ」って一言・・・。

鶴居会場最前列のおっさん 弟子屈会場 PAトラブル対処中

毎晩のように繰り広げられた、酒盛りでも面白い事が満載だったようである。
幸か不幸か、酒飲みでないsaraは、その場に居合わせていなかったので詳しい事は分からないが・・・。

クマウシの大酒飲み、yorozuとryoが、独壇場で暴れまわって(暴力的という事ではない)ベテランミュージシャンのスエさんもタジタジだったらしい。
「この年齢になって、人から命令されたり怒鳴られたりするなんて、涙がチョチョ切れて・・・(;_;)ウルウル」(笑)
これが何だったのかは「まどっちの日記帳」を参照の事。
---『第1回、犬印バター杯。スーパーバタリストは誰だ!大会』の1場面より。

弟子屈で本部を置いた「熊牛集会所」。(収容所の別名あり)→災害時収容施設という意味 (^○^)
ここでは地元小学校PTAの父母総出で、和牛肉のしゃぶしゃぶの接待を受け、メンバー全員大満足。
肉が苦手な井地くんのために、別メニューがあったりして・・・。

また最終日の浜中では、コンサート終了後に地域会館を丸ごと貸し切った感じで、最後にふさわしい盛大な宴会が行われた。
散布の住民で来てない人がいないのではないかと思われるくらい、大人も子どもも・・・。
漁師町なので、朝が早いのにも関わらず、みんなでコンサートの成功を喜んでくれた。

活動の拠点が弟子屈に移ったとは言え、やはり浜中は、池間さんとたかちゃんが初めてステージに立った所。 

原点なのだ。

あれから3年目、CDをリリースして、たかちゃんを良く知っているミュージシャンのみなさんの協力を得て、ツアーもする事が出来た。
今回の事、天国のたかちゃんもきっと喜んで見てくれていたと思う。

夜も遅く・・・というよりほとんど朝方、弟子屈組スタッフは帰途についた。
途中で見慣れた4t車が道端に停まっていた。
今でこそ機材車はバス型になったが、この時はまだトラックの上にスーパー大工ryo作の大きな箱が置かれていた。

運転席では、yorozuが完全にダウン!!くたばっていた。
それをしり目に、我々も頭がクラクラしながらも何とかハンドルを握って弟子屈に戻った。

3月11日、夕方スタッフ一同釧路空港に集結!!
ミュージシャンのみなさんのお見送りだ。
我々は最後まで手を振り続けた。
搭乗用通路の小さい窓からちょっとでも姿が見えただけでもみんなで手を振り続けた。
離陸してその姿が見えなくなってから、一同ため息をつき、そして解散した。

熊牛集会(収容)所 釧路空港 散布で盛大に打ち上げ

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