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池間さんとの出会いは、2001年3月。

この前年2000年3月、池間さんは松谷孝子さんと浜中町のステージに立っている。
以下 この時の新聞記事である。

人気デュオ「19」で心一つに*学級崩壊 歌が救った*浜中・散布小*演奏者あすコンサート
(媒体:北海道新聞夕刊全道 掲載日:2000/03/04 ページ:10 文字数:869)

 【浜中】人気デュオ「19」の曲がきっかけで、釧路管内浜中町の散布小(品○○一郎校長、児童85人)の5年生が学級崩壊から立ち直り、その曲をプロデュースした池間史規さん(41)も出演するコンサートが5日午後2時から、町総合文化センターで開かれる。
同小の5年生15人全員も、コンサートの最後にステージに立って思い出の曲を歌う。
 このクラスは、4年生までは授業中に教室を抜け出したり、じっと授業を受けられなかったりする、いわゆる学級崩壊の状態だった。
昨年4月に担任になった鎗○洋教諭(41)は「何か子供たちの心が一つになれるものがあれば」との思いで音楽を提案したが、なかなか興味を示してくれなかった。
 昨年11月ごろ、クラスの○○悠大君と○○一成君が「19」のヒット曲「あの紙ヒコーキくもり空わって」という曲に興味を持ったのがきっかけ、クラスが一つになって歌うようになった。

テスト用紙の裏に夢を書き、紙ヒコーキにして飛ばすという歌詞も子供たちの心をとらえた。
その後、次第に落ち着きを取り戻し、授業中に抜け出す子もいなくなり、表情も明るくなった。

 鎗○教諭が「19」のCDを見ると、大学生時代の同期生だった池間史規さんが、バックバンドでベースを弾いているのがわかった。
連絡を受け池間さんは「子供たちの心を動かす曲づくりに参加できて涙が出るほどうれしかった」という。

 今回、池間さんが子供たちに会うため浜中を訪ねることを知った町内の有志らが実行委員会をつくり、コンサートも開くことになった。
池間さんは、2月29日に来町、子供たちと練習を重ねている。

 コンサートでは町内のバンドがステージに立つほか、同小の5年生も、池間さんと一緒に歌う。
阿○君たちは「みんなで一緒に歌おう」と張り切っている。
入場料は700円。 問い合わせは瓜○さん(ペンション・ポーチ)(電)0153-6○-27○○へ。

 【写真説明】学級崩壊から立ち直った散布小5年生とコンサートを開く池間史規さん(左から4人目)

3月15日にヤリちゃんと共に彼はsaraの所にやって来た。
この時の事を後日 仲間たちは「随分 目の鋭い人だ!」って感じたと述べている。
我々は現役ミュージシャンを前に、どう接して良いものやら途方に暮れていた・・・(笑)

この時、池間さんは前年に引き続き、浜中町で子ども達の卒業をお祝いするライブを企画して訪れていて、これに使用するPAをお貸しする事と、たまたま音源を制作する仕事を持ち込んでいたので、その場所をという事での訪問だった。
幸い制作に使用するキーボードとmidi音源が当事務所にあったので、即準備に入り、あれよあれよと云う間にその場に立ち合わせてもらう事になってしまった。

愛用のマックとMTRを駆使して音楽を創るのを目の当たりにして、我々はただただ驚き、そして感動するばかりだった。
この時に、あの「春はくるから」のデモ版が出来上がったと、後日述べていた。

我が家というか、事務所に泊まり込んで制作に没頭し、我々もずっとお付き合いさせてもらった。
そして17日にPA一式を積み込んで、浜中町へと向かって行った。
向こうでのコンサートのビデオを後日見せてもらったが、子ども達が何組もバンドを組んで(いじめっ子といじめらてた子が同じバンドで)演奏、そして地域が一体となったアットホームな素晴らしいコンサートだった。
yasuがこの時の卒業生の担任で大活躍。

ただ、たかちゃんは病気療養中のため、これを目にする事は出来なかった。

そんなこんなで、21日夜遅くに、PA返却のため再び我が家に・・・。
この時、大坪カメラマンも同行・・・初対面だったか2度目だったか・・・。

とにかく、無事に大役を終えて、翌日池間さんは東京へ戻って行った。




その後、地元小学校に勤務するヤリちゃんからイケマ情報が逐一入ってくるようになった。

4月10日、「19」のコンサートが11月9日釧路であるらしいとの情報も聞いた。
その直後「19」のサポートバンドだった「カクタス」が解雇されたとの話しを聞いたが、結局これは後日、現場サイドからクレームが付き、解雇の話しは撤回されたそうだ。

4月16日に池間さんから1枚のMDが届いた。
これには自作曲が4曲収められていた。
3月に聴かせてもらった曲は、タイトルが雑談の中から出てきた「春はくるから」になっていた。
またタイトル未定で、歌詞もワンコーラスしかない新曲も入っていた。
東京に帰ってすぐに書いたそうで、北海道の広大な風景、神秘的な摩周湖のイメージをモチーフにしたんだそうだ。
後にヤリちゃんが詩をプラスして、西友のCMイメージソングになった「美しい星」の原型がそこにあった。

またこの頃、「19」の武道館でのライブ「We Love Music We Love the Earth」がFMで生中継された。
受信状態が良くない中、みんな「あの池間さんが弾いてるんだ!!」って事で、必死で車を移動させながらカーステレオで聴いたもんだ。
多分みんなベースの音しか聴いてなかったと思う。
歌の音程がはずれっぱなしだったからね(19のファンのみなさんゴメンなさいね)。

それで、この頃から池間さんの音楽を「何か 形にしたいね!」って話題が出てきた。
言い出しっぺは、ヤリちゃんで、その話しが妙に我々の興味をそそり、実現出来そうな気になってしまった。
まだ池間さんの事は良く知らなかったけど、彼の話しから想像した限りでは「何か頼りなさそうで(失礼)、つい手を差し伸べたくなってしまう」って感じだったからね(笑)。

ちょうど「19」の「足跡」がヒット中で、第何位かで「Music Station」に出演した時、それこそ「すんげぇ〜!!」状態で、我々は完全にノックアウトされてしまった・・・。

「こんな人と一緒に出来るなんてスッゲェよなぁ〜」「そうだよな、プロなんだぜ!!相手は・・・」こんな会話が飛び交っていた(笑)。

そんな時期、5月24日 突然に、池間さんの父親が亡くなったとのニュースが入ってきた。
ちょうど「カクタス」のツアー最終日、クロコダイルの直前の出来事だったらしいけど、ステージに穴をあける訳には行かないので、最後までそのステージを務めてから実家に駆けつけたそうだ。

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