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Spot−1
浄土眞宗
  橘昌山
「稱念寺」
        (通称赤門寺)


仙台市青葉区新坂町10−3

創設:建長2年。
開基:浄土眞宗の宗祖親鸞聖人の高弟二十四輩寺院第十一番
本願寺派/無為信房
歴史:無為信御坊は敏達天皇4世の苗孫、左大臣橘諸兄公の後裔にして、その俗称を橘民部少輔栄住といい、紀州田辺の城主であったが、時あたかも源平戦乱の真最中にして、打ち続く戦乱の惨禍に心嘆き、地位も名誉も捨てて出家発心の身となり、始めは会津に留錫(註)したと伝えられている。
註:留錫《錫杖(しゃくじょう)をとどめるの意》=行脚している僧が、ある場所に滞在すること。

親鸞聖人と、無為信房(武田太郎信義の子)との出会いの経緯は、次のように伝えられている。
会津若松市門田一ノ関出身の武士であった無為信房は、どのような理由か無常観を味わい、常陸稲田にある親鸞聖人の草庵を訪れ、教えを請うた。親鸞聖人自らが多くの悩みを担い、しかし人間に煩悩があるのは、当たり前との悟りに至り、悪人こそが救われると説くその教えに深く感銘して、無為信房は聖人の弟子になった。




「梵鐘堂」平成7年(1995)6月落慶

稱念寺山門(通称赤門)

平成21年10月12日(火)


建築様式などから、文化年間(1804〜18)建立。
山門が朱色に赤く塗られており《門柱と頭貫(かしらぬき)・木鼻および梁が紅く塗られている》、通称「赤門寺」の名で知られている。
山門と本堂に北山の額があるが、青葉城の真北にあたっている為といわれている。



昔はもっと赤かったような気がするが、右の写真は少しエンジがかっている。
称念寺は赤門寺として市民に親しまれており、市内で地元の年配のタクシーの運転手に聞くと殆どの運転手が知っています。

右の写真は10年前(2004年11月)に撮ったものですが、秋が深まると「もみじ」が写真のように紅葉します。

一般の寺院は門も本堂も正対しているのが普通であるが、この門は本堂が南面しているのに、門東南を向いている。
(恐らく本堂は寺地を賜った伊達政宗に敬意を表し、政宗が築城した青葉城の方を向いていると考えられている)



稱念寺山門(通称赤門)平成7年(1995)6月落慶

仙台市登録文化財

  稱念寺「本堂」


文化年間(1804〜18)建立。
仙台市登録文化財に登録されてる。

伊達政宗が会津を征服し、後に仙台に青葉城を築城した際に称念寺も仙台に招かれて仙台北山に六千坪の寺地を賜ったといわれている。

「築地本願寺新報」
平成21年1月号に「有縁散歩」として橘昌寺称念寺の記事が掲載されております。



仙台市指定景観樹木

   「公孫樹」(いちょう)


稱念寺には仙台市指定景観重要樹木が五種類あり、重なっていて少し見難いけれど右の二本の公孫樹の木(雄・雌)はそのひとつ。昔は市内の遠くからでも見えて目印になったが、今は市内に建物が増えて近くからでないと良く見えない。雄・雌のカップルなので、秋には銀杏が沢山実る。

ほかにカリンの木があって樹高15m、幹周1.3m、樹齢320年以上経っており、同じく杜の都仙台市の指定景観重要樹木となっている。






註1:稱念寺は目黒の兎の母方の実家です。

駐2:仙台在住の方のブログ「疾風の通り径」:五郎の散歩道その捌にも「稱念寺」のレポートがあります。
ご興味がおありの方は次のサイトをご覧下さい

http://pub.ne.jp/windpower/?entry_id=1454289

註3:弁柄(べんがら、オランダ語=Bengala)は、赤色顔料のひとつ。酸化第二鉄を主要発色成分とする。酸化鉄顔料では最も生産量が多い。かつてインドのベンガル地方産のものを輸入したために「べんがら」と名付けられた。
推測だが、仏教は元々インドから伝わった宗教なので、仏教関係の建造物にもべんがらを使用したものがあり、称念寺の山門が朱色に塗られているのも一理あるような気がする。