☆ 私の履歴書 ☆ - 私が「調査」の世界に入った動機と経歴 |
◆ 過去の色々なステージで、「調査」が私に刺激を与えていた! ◆
私は1966年(昭和41年)に大学を卒業しましたが、当時、私は <マーケティングリサーチ> という仕事の存在を知りませんでした。 では、その私がどうして調査の世界に入ったのでしょうか。 その経歴をご紹介しましょう。
◆ 経歴 1966年(昭和41年)4月~1970年(昭和45年)3月
報道カメラマン時代 - 「調査」に初めて興味を感じた時期
大学卒業後、海外向けのテレビ用ニュースや広報映画を製作している会社に就職し、報道カメラマンの仕事をしていました。 ある日、日本のテレビ局が実施した「報道の中立性」に関する調査結果を新聞記事で読みました。
報道カメラマンの仕事で、「公正・中立」の精神を学習!
その内容は、テレビのニュース用に撮影したフィルムが編集の仕方ひとつで、視聴者の事件・事故・出来事に対する受止め方や評価が変わるというものでした。
その記事を読んで、報道は「公正・中立」の精神が大切であることを痛感すると同時に、そのことを立証した「調査」自体に大変興味をもちました。
ここで学習した「公正・中立」の精神は、後に調査の世界に入ってからも、私に強い影響を与えました。 【 関連項目 : A-3 質問文に左右される調査結果 】
航空機事故というハードな取材で、衝撃と緊張感を経験!
卒業年の1月頃には大学4年の履修科目と単位数はすでに修了していたため、4月の正式入社前の2月からアルバイト雇用ですでにカメラマンの仕事を始めていました。 ところが勤務開始の4日後に、学生時代には味わうことのなかった衝撃と緊張感を経験しました。
それは2月4日に、羽田空港に着陸直前の航空機が墜落した事故 ( ”全日空機 東京湾に墜落” 死者133名 ) でした。 そして、それからちょうど1ヶ月後の3月4日に、羽田空港で着陸ミスによる事故 ( ”カナダ太平洋航空機、羽田で着陸に失敗し爆発炎上” 死者64名
)、さらにその翌日には富士山上空で発生した乱気流が原因で起きた墜落事故 ( ”英国海外航空機、富士山上空で空中分解” 死者124名 ) が発生し、悲惨な航空機事故というハードな取材が報道カメラマンの初仕事となりました。
その後、ビートルズの来日、デモ(羽田闘争、ベトナム反戦新宿騒乱、学園紛争、東大安田講堂)、ミスユニバース世界大会、総理大臣主催の「桜を見る会」、青函トンネル掘削工事開始、初の超高層
霞が関ビル完成 など、硬軟合わせたニュースの取材をしました。
この時期に身につけたことは、取材現場に向う時 <今日の目的は? 焦点は?> ということをまず考える習慣でした。 今にして思うと、調査の仕事に本格的に取り組むようになってから、<今回の調査の目的は? キーポイントは?>
ということを考えるようになったのは、報道カメラマン時代の刷り込みが、無意識のうちに呼び起されたのかも知れません。
報道カメラマンの精神と道徳意識の葛藤!
この報道カメラマンの仕事は4年間で辞めました。
その大きな理由は、当時、より良い映像を撮るためには ◇ 立入り禁止の場所でも気にしないで入れ ◇ カメラのフレーム内に望まない木の枝が入り込んだら、その枝は折って取り除け ◇ (航空機事故などで)遺族が悲しんで泣いている様子を、遠慮して遠くから望遠レンズで撮らないで、出来るだけそばに寄ってアップで撮れ といった風潮があったからです。
自分の道徳意識に反することまでして、報道カメラマンを続けようという気持になれなかったため、かねてより興味を感じていた「調査」の世界へ転身しました。
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◆ 経歴 1970年(昭和45年)4月~1978年(昭和53年)2月
第1次調査会社時代 - 「調査」の基礎・面白味・重要性を学習した時期
調査の世界は「広告効果測定」の分野からスタート!
1970年(昭和45年)に日本万国博覧会(EXPO’70)が大阪で開催されました。
この昭和40年代はテレビが本格的なカラー放送時代に入り、テレビコマーシャルも 「おもしろい CM 」や「見応えのある CM」 が目立ち出し、文化のひとつとなりました。
そのような時期に、テレビ・新聞・雑誌の広告効果測定を行う会社に入社しました。
広告効果測定は、調査の分野では片隅的な存在ですが、私にとっては調査の世界に入った第一歩でした。
最初の2~3年で、消費者の心をとらえる広告はどのような要素を持っているか、そして、ダメな広告はどのような要素が欠如しているか、などを学習しました。
購入・所有商品 & マスコミ接触実態調査の分野に進出!
入社3年目頃から、この会社が <中・高校生>、<20代サラリーマン・OL>、<主婦> の3グループを対象として、年間各4回の実施で 購入・所有商品
& マスコミ接触実態調査 を開始しました。 これはこの会社の自主調査で、大手メーカー(電機・自動車・カメラ・菓子など)やマスコミ関係(テレビ局・ラジオ局・広告代理店など)が定期購入者となりました。
この調査を通じて、若者の志向性・指向性や新たなトレンドの兆候、主婦の消費者心理が分かり、毎回、調査結果を見るのが楽しみになりました。
この調査の特長のひとつは、調査票の最終ページに、調査対象者(=消費者)の意見・感想・考え方・関心事などを自由に書き込めるコーナーを設けたことです。
この欄に記入してくる人は毎回5割くらいでしたが、その中で1~2割はキラッと光る内容があり、マーケティングの観点から見て大変興味深いものでした。
若者は、いつの時代も世の中のトレンドを知るアンテナだった!
当時、松下幸之助さん(松下電器-現パナソニック)、井深大さん(ソニー)、盛田昭夫さん(ソニー)、本田宗一郎さん(ホンダ)などが創業経営者として世間から注目されていましたが、この調査の ’書き込みコーナー’ では本田宗一郎さんへのメッセージ(賞賛・激励など)が特に多かったことを記憶しています。
それは、1972年(昭和47年)に、それまでオートバイメーカーだったホンダが シビック (Civic)で自動車市場にデビューしたからです。
翌年には、厳しい排ガス規制を敷くアメリカのマスキー法基準値を世界で初めてクリアした低公害エンジン「CVCC」を開発し、CVCC搭載のシビックも発売しました。
オートバイを通じて憧れを持っていたホンダから四輪車が出たことに若者は驚嘆し、また、自由奔放な社風が共感を呼んだようです。
「ホンダのおやじさんへ!」 という書き出しで、自由回答欄(書き込みコーナー)に賞賛の言葉やホンダに対する夢や希望が書いてあったのが印象的でした。
この頃の若者が大人になり、自動車メーカーとしてのホンダの成長期から成熟期を支えていたと思います。 若者は世の中のトレンドを知るアンテナです。 多分、この時の調査結果は、ホンダの10年後・20年後の成功を予兆していたと思います。
私が調査の面白味や重要性を感じたのはこの時期でしたが、同時に、調査をもっと規模の大きい調査会社で本格的に勉強したいという気持ちが年々強まり、転職を考えました。
◆ 経歴 1978年(昭和53年)2月~1989年(平成元年)7月
第2次調査会社時代 - 「人間の心理」に興味・関心を持ち始めた時期
実査部での経験が「人間の心理」に興味を感じさせた!
マーケティングリサーチに本格的に取組むため、広告代理店の市場調査事業部(当時、グローバルの調査会社の傘下にあった調査部門)に入社しました。
ここでは実査部に約8年所属し、その後、オペレーショングループ(実査・集計の統括部門)に約3年半所属しました。
実査部は、調査会社の中では日の当たらない縁の下の力持ち的な部署です。
しかし、2年くらい働いた頃、この実査部でしか得られない貴重な経験や知識を貪欲に吸収しようという気持になりました。 その結果、この時期に学習したことが血となり肉となり、その後、他のリサーチャーと差別化できる能力が身についたと確信しています。
実査部にいた期間に、約64,000票(名)の調査票(原票)の回収作業を行いましたが、その時に調査員(インタビュアー)と面談をしながら調査現場の状況・実情を聞いたり、不満や喜びの話を聞いたり、時には、問題を起こす調査員を説諭しました。
そして、調査の現場を知らなければ「調査の本質」は理解できないし、また、実情に即した発想・判断・指示は出来ないと思い、自ら調査員の仕事もトライしました。
実査部に在籍していた間に、
◇ 人間はどのようなミスや勘違いを起こすか?
◇ 人間が犯す過ちを未然に防止するにはどうすべきか?
◇ 人間はホンネとタテマエを、どのように使い分けるか?
◇ 人間は保身のために、どのようなウソをつくか?
◇ 人間のウソや誤魔化しを、どのように見抜くか?
◇ ウソや誤魔化しをさせないためには、どのような心づかいが必要か?
といった「人間の心理」に興味や関心を持ち始めましたが、このような経験が調査で「人間の心理」を重視する根源となりました。
☆ この時代にインプットした内容は、調査の専門(解説)書では得られない知識が多々あり、その後、リサーチャーとして成長したり職務を遂行していく上で、大きな礎となりました。 また、この実査部での様々な経験が、私の人生観をかなり変えたように思います。 ☆
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◆ 経歴 1989年(平成元年)7月~2008年(平成20年)6月
クライアント時代 ‐ 「調査の信頼性」にこだわる素地を築いた時期
調査会社でのゴールが見え出した頃、外資系メーカー(菓子事業本部)から マーケティング リサーチ マネージャー としてお誘いをいただき、今度はクライアント側から調査にたずさわる機会を得ることができました。
■ 調査を通じて、自社製品を ’ゆりかごから墓場まで ’見ることが出来た!
発注者(クライアント)側では、商品カテゴリーが限定されるとはいえ、新製品の誕生から成長・成熟期に至る (時には、製造中止) までの過程を 「調査
(マーケティング リサーチ)」 を通じて見ることが出来たので、大変意義深い時期でした。
ここでは調査部門の仕事を全面的に任されたため、コンセプトテスト、プロダクトテスト、販売予測テスト 、テレビCM テスト、トラッキングサーベイ、意識実態調査など、ほとんどの消費者調査に関わることが出来ました。
その上、定量調査(量的把握)だけでなく定性調査(質的把握)もかなりの本数を取り扱ったため、マーケティングリサーチに関する広範な知識を身につけることができました。
このような経験や知識の蓄積が基となって 「調査のあり方」 を深く考えるようになり、その後 「調査の信頼性」 にこだわる素地になったと思います。
【 関連事項: C -2 クライアント時代の学習 】
■ 課題でもあり勉強にもなった ’Reason / Why ’を明確にする思考習慣!
外資系企業への転職は、私にとってエポックメーキングな出来事でした。
それまでは、欧米人と一緒に仕事をする機会がほとんどなかった私にとって、
’Reason (理由)/ Why (なぜかの説明)を明確にする思考習慣 ’ と ’英語でのコミュニケーション ’ が大きな課題となりました。
特に英会話は、もともと適性がなかったのか、それとも、人前でのミスを出来るだけ減らしたいという完全壁が進歩を妨げたのか、最後まで苦労が絶えませんでした。
文章なら、適切な表現が思い浮かばない時はゆっくり考える時間があり、また、知らない単語を使う必要性が生じた時は辞書で調べることができます。
しかし、会話は待ったなしです。 そのため、拙い英文でしたが、Word で作成した文書や e-mail での説明・報告に頼りがちでした。
■ 紆余曲折を経たものの、米・英国系の会社で貴重な経験!
この会社に入社してから11年目に米国の本社が買収され、更に、その3年後には自分が所属していた菓子事業本部だけが英国の会社に売却されるという事態が起きました。
ところが、日本では社名と社長が代わったものの、組織・同僚・オフィスの所在地は変わらなかっため、大きな戸惑いや悲愴感といったものはありませんでした。
しかし、売却後2~3年が経過すると、英国本社の方針に基づいた色々な変化が起きるようになりました。
☆ 19年間働いた外資系企業では、’以心伝心で通じる’という考え方は通用せず、常に、自分の考えや主張を「言葉」や「文字」で伝えるという言語化が求められました。
そのような環境にいたことで、論理的な思考が多少養われたり、自分の意思は必ず伝えるという意識が身についたと思います。 このことは、その後の人生においても、色々なことで役立っていると確信しています。 ☆
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◆ 1954年(昭和29年)8月
小学5年生で、すでに「調査」の仕事!?
余談になりますが、私が小学5年生(1954年)の時、夏休みの宿題に「交通量調査」を行った話をしておきましょう。
クルマはのんびりと走り良き時代だった!
当時、私は東京の世田谷区三宿という所に住んでいました。 家の近くに東急バスの淡島車庫があり、その前に淡島通りがありました。
理由は記憶にないのですが、その淡島通りの「交通量調査」を、夏休みの宿題(自由課題)に選んだのです。 夏休みのある一日の午前10時頃、昼食後の確か2時頃、そして、夕方の5時頃の計3回、歩道に立って交通量の調査を行いました。
昭和29年頃の淡島通りの交通量は、現在とは比較にならない台数で、走っている車両も確かバス、トラック(四輪・三輪車)、オートバイ、自転車が中心で、乗用車などは一握りのお金持ちしか乗っていない時代でした。
通行中の全ての車両をカウント対象にして、「正」の字で記録したことを覚えています。 「正」の字を使ったのは、学校で学級委員を選ぶ時に、先生が投票結果をチョークで「正」の字でカウントするのを見ていたからだと思います。
交通量が少なく、車両もあまりスピードを出していなかった時代だからこそ、このような方法で行うことができたのでしょう。 まさに、のんびりとした良き時代でした。
調査の結果は模造紙に棒グラフで表示し、夏休み明けの授業で発表したところ、担任の先生にすごく褒められたことを記憶しています。 今にして思うと、これが私にとって初めての「調査」の仕事(笑い)でした。
過去に興味・関心を持ったことが、現在の仕事に繋がっている不思議!
このホームページを読んでくださったあなたも、一度、学生時代から今日までを振り返られ、過去にあなたがすごく興味を感じたこと、時間を忘れて夢中になったこと、手間のかかる作業を煩わしく思わないで楽しく行ったこと、などを思い出してみてください。
その中には、現在すでに満足感や達成感を持たれているあなたの仕事に近いものがあったり、あるいは、今から取り組んでも遅くない、あなたにとって天職のような仕事があるかもしれません。
☆ 私の場合、過去の色々なステージで調査に関連することがあり、「調査」は私にとって「天職」かなと思うことがあります。 ☆
居住地 : 東京都世田谷区北沢 (出生から幼少時代)
東京都世田谷区三宿 (小学生時代)
東京都世田谷区弦巻&駒沢 (中学生時代から32才まで)
神奈川県横浜市青葉区美しが丘&あざみ野 (33才から現在まで)
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