サァァ・・・・。
 オデットは、広間から吹き抜けになっている庭の方を見る。
木々を揺さぶり、自分たちにも微かに吹き付ける風を感じながら、自分の周囲に再び視線を移す。
 彼女の正面には、一人の男性が座っていた。
短髪の、風格を漂わすその男性は、どこか思いつめた表情でテーブルの上に置かれた懐中時計を手に握った。
オデットは、自分の足元・・・椅子の足を背にして座り、本を読みふけっている少年の頭を見た。
 オデットは彼を見ると・・・少し微笑んだ。
が、テーブルの上に視線を戻すとその表情に深刻な空気を取り戻す。
「・・・ミレイユ・・・・・・」
 男性が・・・重たい呟きを漏らした。
「んっ・・・?」
 その時・・・男性は背後に気配を感じ、振り返る。
オデットの青い瞳もそれを追い・・・・。
 こちらに向かって歩んでくる、小さな二つの足を見止めた。
ぶかぶかの・・・よごれたつなぎのズボンに身を包んだ・・・。
 黒い銃を構えた、黒い髪の子供・・・。
男性が椅子から・・家族を庇うかの様に立ち上がる。
パァ――ン!
 次の瞬間、銃弾が男を撃ち抜いた。
(ほら・・・)
 男が撃たれたのを見ると・・・反射的に銃声に反応し・・・オデットが身を曲げる。
足元の少年が、顔を上げる。
 彼を庇う為オデットは手を伸ばし・・。
パ―――ン!
 が・・・続け様に響いた銃声が・・・彼女の手が届くより先に、足元の少年を撃ち抜く・・・。
(壊れちゃうんだ・・・)
その光景を・・・彼女は柱の陰から見ていた。
「・・・・・」
 屈みこんだオデットがゆっくり瞳を閉じた。
オデットの青い瞳が再び開かれ、黒髪の子供・・・そして。
「・・・・!」
 幼い黒髪の暗殺者の、その背後の柱の陰に立っていたクロエを見た。

「あっ・・・・」
 石造りの部屋の一室に置かれた、黒いピアノの足元に・・・。
ぽつりと茶色い、クマのぬいぐるみが落ちていた。
 慌てて、白い小さな足が駆け寄り・・・それをミレイユは拾い上げる。
「・・・・・」
 ほっとした表情でクマの頭を撫でながら・・・ミレイユはふいに自分の前に開いた通路に目が行った。
床に白と黒のタイルが規則的に配列された、石造りの通路・・・そのはるか先に大きな木製の扉があった。
 その扉が微かに開いて、中から光が漏れているのが解った。
ミレイユは・・・その光に向かって歩き出す。

「ミレイユをお願いね・・・」
 オデットは、狙いを定める黒髪の子供に向かってそう・・・まるで語りかけるかのように言った。
「あなたもミレイユも・・・これからきっと辛い試練にさらされる・・・」
 青い瞳が潤んでいた。
その先にある。黒髪の子供の無機質な瞳は・・・動じない。
「お願い・・・あの子の力になってあげて」
 クロエは・・物陰から固唾を飲んで2人を見ていた・・・。
冷たい汗がその小さな顎から落ちた。
「確かに・・・愛が人を殺す事もある・・・」
 クロエは、オデットのその、優しく、毅然とした声に息を飲み込む・・・。
震えが止まらない。
銃を構えたまま・・・。
目の前の・・黒髪の子供は微動だにすらしないのに。
「・・・あ」
 ふいに・・・オデットの震えた・・・けれども強く、優しげな光を未だ失っていない瞳が、黒髪の子供から・・クロエの方へ向いた。
 ただ・・・黙って彼女はクロエに・・・どこか哀しそうに微笑んでいた・・・。
その笑みに・・・あの安堵感がまた襲ってくる。
 クロエはまるでそれから逃げるように目を瞑った。
オデットは正面に向き直った。
 銃口がまっすぐに自分を狙っている。
「でも、忘れないで・・・・・・・憎しみは、決して人を救いはしない・・・決して・・・」
 オデットの震えながらも、強い意志を持った声が・・・クロエの耳にも届いた・・・。
(私は・・・・)
 ぬいぐるみを抱いたミレイユが・・扉の前に立つ。
中から漏れる光が、彼女の顔を照らしていた。
 不意に・・・クロエの視線の先に、床を流れていく血が見えた。
(壊されたくない・・・!)
 クロエは・・・自分の唇をかむ。

―――独りぼっち・・・。
―――憎しみ・・・。
(わからない・・・、わからない)
 柱を掴む手が震えていた・・・。
―――哀しいこと・・・。
―――ノワール・・・。
―――特別な・・・もの
―――壊されないもの。
―――それが、哀しいこと?
 ミレイユの手が・・・扉へ、光の方へ伸びていく・・・。
クロエは、目を閉じる・・・。
(特別に・・・・)
 黒髪の少女の指が・・・引き金に掛かる・・・。
(なりたい・・・!)

ギィィ・・・。
パ――ン!

からん・・・。
 乾いた音、空薬莢の転がる音で・・・クロエは目を開けた。
呆然と・・・幼い瞳が、眼前に立つ銃を降ろした黒髪の子供を見る・・・。
「・・・・・」
 クロエは口をあけ、息を呑んだ。
(特別・・・・)
 黒髪の子供の足元には・・・・三人の人間が倒れていた・・。
男の人・・・男の子・・・そして女の人。
(・・・・あの子は・・・壊されない)
「はぁ・・・!」
 その瞳が・・声にならない歓喜とともに輝く。
柱を離れ、彼女は・・・部屋の中へ・・・・黒髪の女の子の元に駆け寄っていく。

――――nnn・・・♪
 床に落ち、秒針を刻む懐中時計から・・・旋律が聞こえた・・・。
どさ・・・っ。
 ぬいぐるみがミレイユの手から地面に落ちる・・・。
クロエが・・扉の前に立ち尽くした彼女の存在に気づいた。
――――nnn・・。
 青い瞳の瞬きの回数を増やして、彼女は立ち尽くしていた。
クロエの顔に浮かんでいた笑みが・・・、彼女を見たとき消えた。
 その青い瞳が・・・言葉も無く・・・呆然としている。
彼女は、じっと・・・倒れたオデットを見ていた。
ごくん・・・。
 クロエは・・・息を飲み込む。
―――n・・・。
カチッ・・・。
 黒髪の女の子が・・・懐中時計を拾いながら、その蓋を閉じ・・・旋律を止めた。
ミレイユは・・・目を閉じ、動かないオデットの横にしゃがみこんだ。
 クロエの見ている前で・・・彼女はオデットの胸部を触る・・・。
「あ・・・っ」
 ミレイユは、自分の手を見ると・・・震えた声を挙げた。
クロエは・・横から彼女の手を見る・・・。
 オデットの血が・・・・触れた彼女の手を赤く染めていた。
黒髪の子は・・・・、もうすでに広間の出口まで歩いてきていた。
「あ・・・あ・・・っ」
 自分の手を見て、言葉にならない言葉をもらすミレイユの様子を瞳に映して・・・、クロエの表情が・・・青ざめていく。
 静かに・・・黒髪の子は、彼女達に興味を示さずに庭園へと消えていった。

 

エ―――ン・・・。

 

 

「あ・・・・・」
 クロエは・・・太陽の光が顔の当たったのを感じ、細い目をこすりながら起き上がる。
彼女は木箱に周囲を囲まれた倉庫の中に居た。
(あの時の・・・・・)
 クロエは眠いまなこをこすりながらも、外套を手にして立ち上がる。
黒いボディスーツに身を包んだ、若くしなやかな四肢が布団の代わりに使っていたその外套を羽織る。
 倉庫の鉄製の扉を開け、碧のマントとプロテクターを着けたクロエが出てくる・・・。
キィ・・・キィ。
彼女の目の前に・・・日の光を反射させる海があった。
「・・・・」
 クロエは・・・照り付ける太陽の暖かさに思わず顔をしかめた。

――――『明日あの女を、あの事件の生き残りごと殺る』
バッ!
 碧のマントが、白い家々が織り成す景色に翻る。
クロエは走っていた。
 強くおだやかな太陽の光が反射する、白い坂をまるで跳ぶように。
(貴女を・・・助けるわけじゃない・・・)
相当な速度で急勾配を上がったのにもかかわらず、クロエは息をまったく切らさない。
―――――『あたしにもちょうだい』
風を切って掛ける彼女の脳裏に・・・うんざりした表情で自分を見る若い金髪の女性・・・ミレイユの姿が浮かんだ。
(ただ、貴女はあの子のお友達。ただそれだけ・・・)
カッ!
 下り坂を・・クロエはとび降りる。
マントが広がり、太陽の光をさえぎった。
―――――『じゃあ、かしたげる!』
「・・・・・」
 あの時の・・・・・自分に向かって笑いかける、まだ小さかった頃のミレイユ・・・。
白い地面を蹴り、クロエは更に加速する。
(でも・・・・私も貴女も・・・同じ)
―――――『友達なんていない方がいいよ』
紫の髪が、向かい風に乱される。
―――――『・・・コルシカの娘も、私と同じ、司祭長に祝福された苗木の一つ』
(同じ、黒い糸で結ばれた・・・ソルダの子供・・)
キッ!
 速度を殺さないままに曲がり角を曲がりながら・・・クロエはあの光景を思い出した。

 薄く黄色掛かった光景・・・。
懐中時計の旋律の中・・・・。
泣き崩れる幼い彼女が居る・・・。
(一体・・・・)
サァァ・・・・。
 風が・・・今のクロエと幼いミレイユの間に吹く。
クロエが・・吊りあがった瞳で黙って金髪に包まれた頭を見る。
(どんな言葉を・・・掛ければよかったんだろう・・・・)
―――――『あなたも・・・独りになってしまう』

・・・パ――ン・・・。パ―――ン。
 クロエの足が・・・舗装されてない道の上で止まる。
細められる瞳のその先に・・・。
 オレンジの屋根の、廃墟となった屋敷があった。

(私は・・・・)
サァァ・・・・。
 風が、紫の前髪を微かに動かす。
「・・・・・・」
 クロエは、延び放題になった草木の生い茂る庭園の中に居た。
白い、石製の苔の生えた王座の足元に・・・男が仰向けに倒れていた。
 クロエは、彼に近づき、その横顔を見る。
彼女も見覚えのある中背中肉のその男は・・・・・ジョルジュだった。
ジョルジュの茶色い上着と、クロエの足元の地面に銃弾がめり込んだ後があった。
 クロエは膝を折った。
(真のノワール・・・)
 彼女の手には、くしゃくしゃになったねずみ色の帽子が握られていた。
そっと、クロエは篭手のついた手で、それを彼の顔を隠す様に被せた。
(特別な・・・存在)
 じっと・・その三白眼がジョルジュを見て、瞬きを繰り返した。
(だから・・・・)
 目を伏せてクロエは立ち上がる。
振り向いた先に風雨にぼろぼろになり、崩れかかった石柱と壊れた屋敷の壁があった。
(独り・・・・)
チ・チ・チ・・。
屋敷の方向から風が吹き・・・小鳥が木々から飛び去っていく。
チィン・・・・ィン・・・・!
 その風に、小さく複数の銃声が混ざっていた。

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