―――・・・・。
ザザ・・・ッ。
きらきらと、太陽の光を反射させる水面。
白い波を浮かべた・・・透き通った海。
「わぁ・・・・っ!」
歓声が、車の中に響いた。
窓ガラスに体を寄せて、助手席に座った紫の髪の子供は釣りあがった瞳を輝かした。
ほとんどガラスにひっつきながら・・・まだ幼いクロエは流れていく景色を、口を空けて見ていた。
ガラス越しの陽光が、彼女の額を照らす。
やがて現れた木々に、海が隠れる。
・・・クロエは、もっと遠くが見たいと思った。
ヴィィィィン・・・。
その時、機械的な音と供に窓が開き・・・。
吹き付ける風が紫の髪を掻き揚げた。
「うわぁ――!」
強風に目を細めながらも、クロエは先程より大きな歓声を挙げる。
開かれた窓の向こうに見える、風に揺れる木々と・・・海。
風。
「うみ・・・・」
目を閉じて・・クロエの幼い顔がふふ・・・と笑った。
その屈託の無い笑顔を浮かべたまま、彼女は運転席に座る男の横顔を見上げた。
「・・・・・・っ」
ハンドルを握る、特にこれといった特徴の無い中背中肉の男はクロエに目配せをすると、出かかった言葉を噛み締める様に口をつぐむ。
男のその、強張った表情に、すこし怯えた様にクロエは窓の方へ向き直る。
男は、バックミラーへ視線を移した。
後部座席に・・・小さな、シートに隠れそうなくらい小さな背丈の人物の、黒髪に包まれた頭が見えた。
「・・・・」
それを見る男の顔が、さらに深刻に強張り・・・。
その額に汗が浮かんだ。
ゴォォォ・・・。
サァァ・・・・。
「・・・・・」
風に揺さぶられる木々の向こうに、大きな、オレンジの屋根を持った屋敷が見えた。
クロエの吊りあがった瞳はその屋敷を、口をあけてぼんやり見上げていた。
「フェーデー様・・・」
背後から今にも泣き出しそうな声が聞こえ、クロエはそちらを向く。
赤い車の前で、先程の男が携帯電話を手にしていた。
その手が小刻みに震えている事に、クロエは近づきながら気づいた。
『ジョルジュ・・・よくやった。お前は早くそこから逃げるんだ』
うっ・・・。
クロエは男が目を閉じて、俯くのを見た。
『あとは全て俺に任せてくれ』
その男・・・ジョルジュは・・・自分の顔を掴むように押さえた。
『・・・ジョルジュ、お前は悪くない』
「・・・・」
『・・・仕方の無い事だ・・・・』
その時、クロエの表情がはっとなった。
ジョルジュの強張った顔に、涙が伝っていたのである。
『ミレイユ・・・ミレイユだけは必ず助ける・・・・俺の命に代えても』
「あ゛っ・・・」
ジョルジュは言葉にならない、唸りにも似た声を挙げた。
『ジョルジュ・・・・』
「あああ・・・っ」
彼は車のドアにもたれる。
目からあふれ出る涙が、腕に染みていく。
『ジョルジュ・・・辛い仕事をさせてすまなかった・・』
電話が切れる・・・それでも、涙が止めどなく頬伝っていく。
「おじさん」
声が聞こえ・・・・怯えたような素振りでジョルジュは頭をそちらへ向けた。
「どこか痛いの?」
まだ幼い、女の子が自分を不安そうに見上げていた。
サァァァ・・・・。
風が吹き、クロエの髪が乱される。
彼女を見るジョルジュの瞳が細められ・・・・。
「・・・・・許してくれ」
涙を止められないまま・・・ジョルジュが呟いた。
パンッ。
小さな破裂するような音を、クロエはその時耳にした。
音のした方向・・・・大きな木の下を見る。
木陰に小さな、何かを構えた人影があった。
同じ方向を見る、ジョルジュの表情が強張る。
「あ・・・っ!」
対照的に・・・クロエの顔には満面の笑みが浮かんだ。
彼女はそのまま、木陰に向かって走り出す。
独り残されたジョルジュが・・・呆然と彼女の後ろ姿を見ながら立ち尽くす。
やがて・・・彼は車に乗り込み、ドアを閉じた・・・。
「うん・・・?なんだい坊主・・」
つなぎの服のポケットにハサミをしまいながら、初老の男がはしごから降りながら声をかけてくる。
「どっから入ってきたんだ・・・あっ!」
パンッ。
炸裂するような音と供に、庭師らしきその男は後ろへ跳ぶ。
・・・ガタンッ!
はしごとともに、庭師は地面へ倒れこみ・・・2度と動かなくなった。
「ひぇっ!」
庭師のすぐ横にいた、彼と似た格好をしたまだ若い男が悲鳴をあげ、背を向け逃げようとする。
パンッ!
黒い、銃口にサイレンサーをつけた銃に。
背中を撃ち抜かれ・・・、若い男も倒れこむ。
小さな靴が若い男の頭を踏む。
「・・・ガハッ!」
口から噴出すように血を吐き・・・・土気色の男の顔が、自分を踏みつけている銃の主に向けられる。
「だ・・づ・・・け・・・」
震え、唇を変色させた男の口が・・・今にも絶えそうになりながら言葉を吐いた。
パンッ!!
鮮血とともに、男の体がビクっと跳ねる。
・・・それきり、銃の主である黒髪の子供に踏まれたまま、男は動かなくなった。
「・・・・」
クロエが・・・10数メートル先の庭の出口で起こったその光景をじっと見ていた。
自分の手に余る、黒い銃を持った黒髪の子供は・・・死んだ庭師の足を持ち上げていた。
クロエの視線がふいに地面を向く・・・。
「あ」
蟻・・・。
クロエの足元では、黒い蟻が行列を組んでいた。
ずり・・・・ずり・・・。
彼女の前では・・・死体となった庭師が石柱の陰に引きずられていく所だった。
クロエの目が・・・ぼんやりと地面に開いた穴へ続く蟻の列を見ていた。
唐突に・・・。
彼女は目の前のその行列を足で踏みつけた。
「うふふ・・」
その顔に無邪気な笑みが浮かぶ。
サァァァ・・・。
「あっ」
風に髪をなでられ、顔を上げたクロエは庭の出口から、黒髪の子供や死体が消えている事に気づいた。
彼女は焦った表情であわてて走りだし・・・タイルの上に引かれた血の跡を乗り越え、開けっ放しになった屋敷の勝手口へ向かっていく。
・・・小さな足跡が、土の上に残された。
それを避けるように、蟻達が行列を組みなおしていく・・・。
狭い通路を抜けたクロエの前に、吹き抜けの窓からの陽光を反射する石造りの床が現れた。
クロエは、周囲に人の気配が無い事を確認すると埃一つ無い床へ踏み出した。
石の硬さを足で確かめる。
「えいっ!」
そうして、短い足を走らせた。
はっはっ・・・。
息を切らして赤い絨毯のひかれた螺旋階段を上がっていく。
釣りあがった瞳が好奇心に輝いていた。
クロエは石で囲われた通路に出た。
明かりが差し込むガラスの入っていない窓から、外の庭園のよく手入れされた木々や、円形に立ち並ぶ白い大理石の噴水が小さく見えた。
チ・・・チ・・・・。
小鳥が、さえずりながらクロエのすぐ横の窓の外を過ぎった。
「うわぁ・・・」
窓に駆け寄り、身を乗り出す。
太陽の光が、彼女の顔を照らした。
「夢みたい・・・・」
その暖かさを味わいながら釣りあがった瞳が閉じ、クロエは満足げな表情を作った。
「・・・・」
その時だった。
クロエは、なにか声のようなものを聞いたように感じ通路の奥へ顔を向けた。
石造りの通路の奥・・・やや薄暗い突き当たりには木製の扉があった。
「・・・・」
まるで、誘われるように・・・クロエはその扉に近づいていく。
やがて小さな手のひらが、冷たい木の感触を味わう。
「・・・」
そのまま・・・クロエはそっと体を扉に押し付けた。
中から・・なにか声が聞こえる・・・。
だが・・・はっきりと聞こえない。
扉にひっつきながら、クロエは胸の高鳴りを感じる。
彼女は意を決して・・・その扉を慎重に、慎重に押す。
ギ・・・っ
微かに空いた隙間から・・・・。
「不思議の国のマッド・ティーパーティー・・・・」
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