「ねぇ、お姉ちゃんマジに大丈夫?」
 その声に、オレンジ色に染まった木々の中を進むクロエが振り向いた。
「もうすぐ夜だし友達・・・見つからないんじゃないの?」
「大丈夫ですよ。・・・きっと」
 声のほうに振り向くき、微かに微笑みながら、夕日を背にしたクロエは言う。
「もしさ・・・」
どこか、気恥ずかしそうに黒髪の幼女は言う。
「アルテナとか言う人や、その友達にさ・・・なんかひどいこと言われたりしたら、また部屋に来ていいよ」
 輪郭をオレンジに染めた、碧の外套が止まる。
「アルテナは、私に酷い事なんて言いません」
振り向くクロエの顔は幼女には逆光でよく見えなかったが、その声が怒っているように感じて少し怯む。
「きっと・・・あの子だって」
・・・クロエは微かに俯いた。
―――『ただお茶を飲みに来た訳じゃないでしょう?』
 青い瞳が鋭く私を睨み・・・その手には黒い銃が握られていた。

「あの子だって解ってくれる・・・」
 クロエはそう、まるで自分へ言い聞かせるようにつぶやいた。
「お茶・・・おいしかったですよ。ありがとう」
 自分の姿を映す、黒い瞳をまっすぐ見つめ・・・。
外套の少女は、優しくそう言った。

 オレンジに染まった坂の上から、黒い髪の子供がじっと坂の向こうを・・・何かを見送るように見ていた。
やがて、彼女は振りかえり坂を下ろうとし・・・・。
 その表情と足が止まる。
 はっとした顔でこちらを見る、腕にくたくたのウサギのぬいぐるみを抱いた、金髪のどこかきつそうな目つきの女の子。
 坂の下の・・・自分と同じ年頃の女の子と目が合い、彼女もはっとした表情になる。
金髪の女の子は、そんな彼女を睨み・・・意を決した様に坂を上がってきた。
 やがて白い横顔が、彼女の横まで来た。
 金髪の子供は、彼女の方を見ようともせず。表情をよりきつく強張らせていた。
怯える様に、黒髪の彼女は視線を地面に向け、彷徨わせる。
「死んじまえ・・・」
 そんな彼女に・・・。
「泥棒ぉ!」
 金髪の子は怒鳴るように彼女にそう言い捨て、逃げるように坂を駆け下りる。
「!」
眉間に皺を寄せて、怒りにも似た表情で彼女はその後姿を追う・・・。
「・・・・・」
・・・坂の下をしばらく睨んだ後、彼女は。
 夕闇の中がっくりと肩を落とし、その場にしゃがみこんだ。

 黒い海に、街の黄金色の灯りが映える。
その海に面した倉庫の物陰から、なにかを伺う様にしている人影があった。
 物陰から人影が顔を出し、オレンジの灯りに鋭い目つきをした男の顔が晒される。
その顔には、斜めに切られたような傷跡があった。
 男は、物陰から足音を殺して、道路へ出る。
手にもったトランクスーツを握り締め、もう一方の手をズボンのポケットに突っ込み・・・神妙な気配を漂わせながら男は歩を進めようとした。
ヒュウウウ・・・。
 その時、海側から、塩の匂いがする冷たい風が吹き付けてきた。
風が吹き抜けていった方向に、男は振り向く。
 オレンジの灯りに照らされて・・・。
 男の視界に、奇妙な碧の外套を着た人影が浮かび上がっていた。
鋭い眼光で、男は遠方のそれをにらんだ。
 外套は、それとほぼ同時に灯りの下から男の方へ近づいて来た。
近づいてくる小柄な人影を油断なく睨みながら・・男は手元のトランクケースにかすかに意識を移す。
 やがてその小柄な外套は、男と一定の距離を置いて立ち止まる。
「・・・・組織の人間か?」
「はい」
 低い、脅す様な声に、澄んだ少女の声が凄然と答える。
「・・・・・用件は?」
「別に」
 相手の身元が解っても警戒を崩さなかった男の眼光が、そのおかしな返答にさらに厳しくなった。
「・・・・・・俺の任務は知っているな」
コクッ↓
 男の・・威嚇するような視線を受け流しながらクロエは小さく頷く。
「明日あの女を、あの事件の生き残りごと殺る」
ジジッ・・・。
 微かに二人を照らす灯りが点滅しだした。
「抹殺命令が組織に行き渡っている事は知っています」
 黒とオレンジの小さなフラッシュの中、クロエの冷徹な光を秘めた瞳を、顔に傷を持った男は覗き込む。
「そして、私は・・・それを妨げも手伝いもしない・・」
クロエは・・・まるで、自分に確認し直す様にそう言った。
「・・・・見くびるな・・・」
ジジッ・・・。
 切れかかった街灯が作るフラッシュの中、男が顔を上げる。
「誰であろうと、あの事件に近づく人間は俺が必ず消す・・・・例外は無い」
 低い・・・無感情な声をクロエは瞬きをしながら聴く。
「お前も例外ではない」
ジッ・・ジッ・・。
「・・・・」
ビン・・・ッ
 二人の頭上で点滅を早めていた灯りがその時、完全に消えた。
「昼間・・・ガキと2人であの場所にいたな・・・」
闇の中・・・男はクロエの輪郭から視線を決して外さなかった。
「・・・・」
クロエは暗闇の中から向けられる、よりその強さを増した威嚇の視線を受ける。
 しかし、それに動ずる様子は彼女からは見受けられなかった。
「近づく者には容赦も躊躇もしない。喩え相手が組織の一員であろうと俺にはそれが許可されている・・・」
 闇の中から聞こえる男の声は、はっきりしているのに・・・闇に消え入る様な無感情さがあった。
「遠慮無く・・・いつでもそうすればいい」
グッ・・・。
 クロエの澄んだ声が・・・それまでに無く冷たい響きを持った。
反射的に男はポケットの中に入れた手を、抜きやすいように少し動かす。
 闇の中。
二人は、間を取ったままの状態にお互いに動こうとしない。
グッ・・。
 顔に傷持つ男が、睨み。
クロエがそれを三白眼の眼光で返す。
グッ。
膠着。
「ミレイユも・・・」
 その時、クロエが呟いた。
男の動き応じるように止まる。
「・・・コルシカの娘も、私と同じ、司祭長に祝福された苗木の一つ」
 正面の闇を見据えなおすと、クロエは先程よりはっきりした声で言い放つ。
「彼女もまた、ノワールとなる資格を有している・・」
暗闇の中・・・クロエの語気がほんの少しではあるが、強くなっていた。
「それがどうした」
 男の低い声が、その声を打ち消すように響いた。
間を置かず、男が半歩下がる。
「例外は無い・・・・」
低い声と供に・・・闇の中の男の姿は、次第にクロエから遠のき、やがて物陰へ消えていった。
「・・・・・」
 クロエの瞳は・・・男の姿と気配が完全に消えるまで瞬きすらしなかった。
ビュウウウウ・・・・。
「あ・・・・っ」
 その鋭いクロエの表情が・・・紫の髪を掠めた風に意図せず和らぐ。
彼女は風の吹いた方向に向き直る。
 その三白眼からは先程までの冷たさは消え、どこか驚いた様な表情が顔に浮かんでいた。
彼女の眼前には黄金色の灯りを水面の映し、静かに揺れる黒い水面があった。
 流れてくる塩の匂いを、クロエは目を閉じて鼻に吸い込んだ。
「・・・・海・・・・っ」
 クロエの声が・・・微かに聞こえる波の音へ吸い込まれていく・・・。
ちゃぷ・・・・。

―――・・・・。

>>