ボッ・ボッ・ボッ・・・。
大量の木箱を引いた、古いトラクターが道を過っていく。
「フンン――ン――♪」
狭い、路地の中。
腕に酒ビンの入った紙袋を抱えた、だらしない格好をした男が調子っぱずれの鼻歌を口ずさむ。
酒気を帯びているらしく、その男の足取りは千鳥足だ。
カチャカチャ・・・。
一歩、彼が歩くたびに、紙袋から酒ビンがこすれ合う音が聞こえた。
彼は、民家の木戸の前で止まるとカギを取り出し、戸をあけようとする・・・。
「誰だ」
その手が突如止まり、警戒心に満ちた声を男は挙げる。
「久しぶりね、ジョルジュ」
女性の声に、ジョルジュと呼ばれた男はそちらを注視し・・・物陰から出てきた金髪の女性を、見るとぎょっとした様に表情を強張らせた。
「・・・・ぁぁぁ」
ジョルジュと呼ばれた男は、その若い女の、青い瞳を見ると木戸に背を当て腕に抱えていた紙袋を思わず落とす。
ガシャン!
優しげな笑みをうかべていた若い女は、ジョルジュのその怯えた様子に対し、少し戸惑った表情を見せる。
「あたしよ、ミレイユよ」
金髪の若い女性は、再び笑みを浮かべた。
「・・・・・」
ジョルジュは、まるで恐ろしいもので見たかのように表情を強張らせたままだ。
「生きていると知って嬉しかったわ」
彼の様子に戸惑いながらも、優しく微笑んだまま、ミレイユと名乗った女性は物陰から歩を進める。
「ジョルジュ・・・私は」
「帰ってくださぁい!」
ジョルジュの悲鳴に近い声を聞き、ミレイユが呆然としている間に。木戸の中へとジョルジュは逃げる様に消えた。
―――――――お姉ちゃんしってる?
「話があるの!お願い!ジョルジュあけて」
ドン!ドン!
白い手が握り締められ、戸を強く叩く。
―――――――このお屋敷に、前住んでた人ってみんな死んじゃったんだって。
「どうしたのジョルジュ?お願いよ!話を聞いて・・・・」
やがて・・・ミレイユは疲れたように木戸にもたれかかる。
―――――――だけど・・・・女の子が一人だけ生き残ったんだってさ・・・。
その気品を感じさせる青い瞳に、疲労の色が浮かんでいた。
シャクッ・・・。
「その女の子ってさぁ・・・今どうしてるのかな?」
黒髪の幼女は、3枚にも重ねたポテトチップをほおばると、隣に座った外套の少女を見上げた。
「・・・・・・・きっと幸せですよ」
外套の少女・・・クロエは幼女のほうを振り向かずに、呟くように言った。
「そうだね、うるさく言う人もいないしね」
「・・・・・・」
にこりと笑う幼女の口から呟かれたその言葉に、少しだけクロエは眉をひそめる。
ガサ・・・。
「うちの家族も、いっそ居なくなればいいのに」
ポテトチップの入った筒に、腕をつっこみ、そのまま持ち上げながら彼女はそう続けた。
「・・・?」
クロエが横目で、筒の底をあさる黒髪の子供に視線を向けた。
「ママもパパもお兄ちゃんもあたし要らない。サイテーだもん、あいつら」
腕にはまった筒を抜くと、彼女は幾分不機嫌そうな口調でクロエに言う。
「・・・・・?」
その言葉で、床に転がった木箱の中の茶色い、クマのぬいぐるみを見ていたクロエの目が細められ・・・その表情が怪訝なものに変わった事に、指についたポテトチップのかすを舐めとる幼女は気づかなかった。
「お姉ちゃんはママとか、パパの事好き?」
ふたたび明るい、どこか悪戯っぽい笑顔を見せながら黒髪の幼女はクロエの方に向き直る。
「私に家族は・・・居ないです」
その笑顔に・・・そしてその質問に、クロエは戸惑った表情を見せた。
「え・・・?」
つられる様に、幼女の表情にも困惑が浮かんだ。
「ただ・・・私にはアルテナや・・・たくさんの人達がいます」
下を向き、慎重に言葉を選ぶ様にクロエは言う。
だが下をむいたクロエのその表情は、どこか嬉しげだった。
「アルテナ?それってお姉ちゃんの親戚の人とか?」
マットレスの端で、汚れた指を拭きとりながら幼女は尋ねる。
「アルテナは厳しいけれど、優しい・・・」
クロエの・・・どこか恥ずかしそうに微笑を浮かべた三白眼が、床に置かれた木箱の中にある銀色のモデルガンを見止める。
「ふうん・・・・」
幼女の黒い瞳がしげしげと、クロエの横顔を見た。
「少なくとも、優しいならうちのママよりましだね」
また、そういって笑う。
「嫌い・・・なんですか?」
その笑みをみながら、澄んだ声でクロエは尋ねてみる。
「大嫌いだよ」
落ち着き無く足をぶらつかせながら、幼女は言う。
「昔ね、あたし台湾に住んでたの。しってる?青山寺って」
「ええ」
何気ないその返答に、黒い瞳の輝きが増した。
「台湾にはね、リーシャンにレイ・・・いっぱい友達がいたんだ」
黙って聞くクロエの口が一文字に結ばれる。
「だけどね、ママは無理やりこの島に引っ越してきたの」
ガサッ・・・と、庭の木々が、風に揺れる音が聞こえた。
「パパと喧嘩したから・・・自分の生まれたこの島に逃げてきたんだ」
幼女からは、どこか忌々しげな様子が伺えた。
「お兄ちゃんは頭もいいし、フランス語も得意だからいいよ。・・・あたしは違う。あたしの事なんか、みんな全然考えてない」
ぼんやりと・・・しかし興味深そうに、クロエは幼女の曇った横顔を見ていた。
「あたしはい――つも一人ぼっち!」
バタッ
どこか投げやりな様子で、幼女はマットレスへ倒れこんだ。
彼女の服がまくれ上がって、へそがクロエの目に入る。
「お姉ちゃん、友達さがしてるんだっけ」
視線をへそから不機嫌そうに歪んだあどけない顔に移しながら、クロエは小さく頷く。
「友達なんて、いない方がいいよ」
「・・・・・・!?」
クロエはぼんやり放たれたその言葉に、思わず眉をひそめた。
そして・・・幼女の黒い瞳の端に涙がたまっている事に気づく。
クロエの視線に気づいてか、彼女は寝返りを打って顔をそむけた。
「どうして・・・?」
その声が静かに、ポスターで隠れた廃屋の壁に反響した。
「・・うらぎられるから」
クロエの今までと違った、どこか不安そうな声に・・・幼女は顔をマットレスに顔をこすりつけたまま小声で答えた。
「え・・・?」
クロエの表情に・・・それまでにないはっきりとした驚きと困惑が浮かんだ。
「それに友達や、家族が居なくてもあたしにはこの部屋・・・あたしだけの場所があるしね」
幼女はマットレスから顔をあげて、独りにやにや笑う。
どこか無理したその笑いは、背を向けた外套の少女に届く事無く、やがて落ち込んだ表情に変わった。
「・・・・」
それを境に、少しの沈黙が訪れた。
クロエは考え込むように俯きつつ、自分が使った水筒の蓋を見ていた。
日が傾き始めているのが、開けっ放しのドアの、向こうの通路から入ってくる光の色でわかった。
「そんなに大切な場所なのに・・・どうして私を招いたのですか?」
俯きながらも、不思議な貫通力を持った声で沈黙を切る。
「お姉ちゃん・・・なんか寂しそうだったから・・・」
幼女は・・・少し自信無さそうに言い、顔を横にむける。
寂しそう・・・その言葉に、クロエは少しはっとした。
「あたしと・・・似てた」
小さな声はそう言うと、置いてあった枕に顔を押し付けた。
・・・また数瞬の間があった。
「・・・アンタとは・・・同じ匂いがするからよ」
沈黙を破り、黒髪の幼女は体をひねりながら起き上がる。
その途中で傍らに置いてあったうすい本を取る。
幼女の奇妙な言葉に向き直ったクロエの目に、濃い色で彩色された、緑色の怪物と戦う勇ましい金髪の女性のイラストが飛び込んできた。
「今の漫画の台詞・・・だけどね」
――Alone girl――
突き出されたその漫画のタイトルから、視線を上げ・・・黒い瞳と目が合った。
黒い瞳がまた照れた笑みを浮かべ・・・クロエも、なんとなく笑った。
ギィィ・・・・。
床に散らばった木箱に掛かっていたオレンジの光がしだいに細くなり・・・。
部屋の扉が閉まる。
闇が、部屋を覆った。
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