友達
クロエ編
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赤いお花・・・・。
彼女の三白眼がすぅ―と、細められた。
赤よりも淡い・・・・。
緑の外套から覗く、プロテクターを着けた脚が埃と瓦礫をかぶった床の上で立ち止まる。
彼女の横、廃屋の中にそびえる階段を彼女は見上げる。
汚れで暗く変色した室内の中で、その階段に引かれた赤い絨毯が映えていた。
埃とカビ、そして壊された窓からかすかに差し込む、日差しの匂いがさらに奥に進む彼女のその鼻をついた。
天井や壁が抜け落ち、かつての色を無くした、くすんだ通路。
その先で彼女を、大きな木製の扉が待ち受けていた。
音も無く近づき。
その扉をそっと・・・・。
普段の癖で音がしないように開けた。
ドアから光が漏れたとき、彼女は微かに・・・もし誰かが見ているのなら、誰にも悟られぬ様に息を飲んだ。
空いた隙間から、彼女は部屋の中へ入る。
瓦礫をかぶった、真四角の白と黒のタイルが規則的に配列された床。
広さに反比例して、その空間にはほとんど何も置かれてなく、それがその部屋を、余計広く感じさせていた。
一歩、床に踏みだし、そのまま滑るような足取りで、その部屋の中央に彼女・・・碧の外套の、紫の髪をした小柄な少女は立った。
彼女の立つ場所から・・・外の、伸び放題になった木々が茂る庭園が、はるか向こうの窓から良く見えた。
不意に、その細くつり上がった視線から、注がれる冷たい視線が白と黒の床へ向いた。
(薄紅色より力強い・・・)
一瞬、その瞳が険しくなり・・・やがて彼女は微笑む。
「・・・・ふぅ・・・・・・」
微かな吐息が、彼女の口から漏れた。
ドアの隙間から・・・。
―――――友達―――――
黒い瞳が、緑の外套に包まれた背中を映していた。
「・・・・・・ンン・・」
――――クロエ編―――――
(あっ・・・・・)
瞳の主は両手を口で押さえ、思わず声を挙げそうになるのを抑えた。
緑の外套・・・自分より二周りくらい大きな、廃屋にたたずむその人物は、メロディを口ずさみ出したのだ。
「ンン―・・・ンンン・・・」
どこかあどけなさの残しながらも、それは澄んだ声であった。
扉の向こう・・・影の中から見守る瞳の主は、聞き入る様に目を閉じ、耳を澄ましていた。
「・・・・ン・ン・・・」
不意にメロディが途切れがちになったのに気づき、瞳の主は思わず部屋の中の、外套の様子を伺おうと、隙間を開けたドアに体をくっつける。
覗き込んだ先、狭い視界の中で・・・。
外套の、先ほどの声からいって、自分より一回り上の年代の少女らしき人物は少し横を向いていた。
ドアに密着し、目を凝らして初めて・・・彼女の唇が微かに震えているらしいのに、部屋の外に隠れた黒い瞳の主は気づいた。
そして、息を呑んで、その様子をもっと詳しく見ようとし・・・。
その体重が、ドアに掛かった。
ガチァ・・・・ッ!
「あっ!」
高い声の悲鳴と、重苦しい音とともにドアがゆったりと半開きになる。
それとほぼ同時に・・・・外套の少女は、手の中に何かを握った。
窓から差し込む陽光を反射する・・・それは大ぶりなナイフだった。
振り向きながらその細い瞳がさらに鋭く、開いたドアの向こうの暗闇を睨む。
コツ・・・。
わざと、少女は足音を鳴らす。
暗闇の奥で、なにかがビクっと動いた。
コッ、コッ・・・・。
響く足音が、まるで相手を脅迫するかのような素早いリズムを刻む。
暗闇の中に居る者・・・それが自分より小さな何かだと接近するにつれて彼女は解った。
やがて彼女はドアの前・・・相手に手が届く位の距離で立ち止まり・・・。
ダン・・・・ッ。
片手で完全にひらいてなかった方のドアを開放する。
部屋の光が廊下にまで伸び、彼女の前でその顔を庇う様にしていたものの正体が明らかになる。
「・・・・・・!?」
その姿を見たとき・・・思わず、彼女の三白眼が大きく見開かれた。
目の前に居たのはまだ10歳前後の、黒い髪の・・・・。
その顔を庇っていた腕が外れた。
その下からおびえた、黒い瞳が現れる。
「・・・・・こんな所で何をしているのです」
冷たい声で、少女はその黒髪の子供に尋ねる。
すでに少女の顔に、先ほど一瞬浮かんだ驚きの表情は消えていた。
「あ・・・・っあ・・・・」
その問いに、眼前の黒髪の子供は口をもごもごさせるばかりで、彼女と目を合わす事すら避けていた。
少女は上から見下ろしながら、その黒い瞳を再び見る・・・・。
その瞳には動揺の色が浮かんでいた。
「・・・・・・」
外套の少女が身をかがめ、子供の前に顔を突き出す形なった。
自分の膝を押さえたその手には、先ほどまで握られていたナイフは無かった。
「ここは遊ぶ場所ではありませんよ、さぁ早く・・・外へ行きなさい」
先ほどよりも柔らかい声と視線に、それまで彼女に慄き、肩を震わせていたその子が顔をあげた。
「・・・・・・・・」
怯えた黒い瞳が自分を見上げている・・・。
少女は、それに対して反射的に目を細めた。
「あそんでなんか・・・・」
「・・・・・・?」
再び、下を向きながら・・・その黒髪の女の子は口ごもった。
「いないもん!!」
目の前の少女に向かって高い、大声をあげると、女の子はその顔を真っ赤にし・・・。
「あ・・・・っ」
逃げるように、外套の少女の横を抜け、廃屋の通路へ走っていく。
その背中は、徐々に崩れかかった通路の奥に消えていく・・・。
ドサッ・・・
見送っていた少女の細い瞳が、女の子の走っていったその方向から聞こえた音に反応する。
通路の入り口・・・自分が先程入ってきた扉の横には、埃をあびたシートを被った、黒いピアノがあった。
「ひっ・・・ひっ・・・・・」
ちょうど、その横にあの子供が倒れていた。
彼女は嗚咽を漏らし、痛みを訴えていた。
「・・・・あっ!」
突如自分を触った手に彼女は驚きと怯えの声を挙げ、彼女は体を回して自分に向き直った。
「・・・・・・」
細められた瞳が、その子の膝から血が流れている事に気づく。
「怪我・・・・・」
少女は目の前で尻餅をつく形なっているこの子供は、どうやら転んだ拍子に瓦礫で膝を切ったという事を理解した。
グズ・・・っ。
自分の目を見る、黒い瞳がその時閉じられ・・・その表情が歪む。
「・・・・・痛い・・・・・痛いよぅ・・・」
うめきを聞きながら、少女はふいに横を見る。
そのシートの隙間から、僅かに白と黒の鍵盤が見えた。
シートから露出しているのにも関わらず、その部分だけ埃も、雨の染みも見受けられなかった。
「・・・・ウェ――ン・・・・」
膝を切ったその子供の泣き声が、廃屋の玄関と通路を繋ぐその一室に響く・・・。
帽子を被った男は坂の上から雲が立ち上る、白い山々に掛かる青い空を眺めた。
抜けるような青空であったが、その太った、口髭の男の顔はどこか機嫌が悪そうな様子であった。
「ン・・・?」
不意に男の目に妙なものが映った。
坂の下・・・屋敷に沿って設置された、崩れた柵の間から、人が飛び出してきたのである。
男のすでに老人にちかいその顔は、その人間の姿をみたとき少し驚いた表情に変わった。
すでに放棄された屋敷の中から出て、こちらに向かってくる2人連れ・・・・。
一人はこの島でもそうは居ない紫にちかい赤毛でさらにおかしな碧の外套を着た、まだ若い人物。
そしてもう一人は、その人物に手を引かれながら手の甲で目を押さえ、泣いているらしき黒髪の子供だった。
その2人が、舗装されてない坂道を上がってくる・・・。
―――ヒック・・・・ヒック・・・・
男が気づいたときには、すでに外套達は自分のほとんど目の前に居た。
外套・・・よく見れば彼女は少女であった。
彼女は瞬きもせず自分を見ている。
「・・・・・・・・ン・・・」
男は気まずそうに膨らんだ顔を逸らした、係わり合いに成りたくないというサインの様だった。
「お薬を貸してもらえませんか?」
静かだが、やけにはっきりとした少女の声が顔を逸らした男の耳に届いた。
その・・・言い知れない鋭さを伴った声に、横目で男は、少女を伺う。
「怪我をしているんです」
「・・・・・・」
男は、目を合わせない。
「この子・・・・」
「・・・・」
男はその声に誘導されるように、彼女と手を繋いだ子供を見る。
顔を伏せ、嗚咽をもらすその子の膝には大きな擦り傷があった。
「ンン・・・・・」
うめく男の眉間に、皺がよった。
家の中に入り、まずその太った老婆は大きなため息をついた。
そうして、次に視線を目の前に置かれた小さなテーブルを見る。
そこには、ティーポッドや小さな観賞用植物と並んで一つの白いカップが置かれていた。
その淵に、薄紅色のルージュが僅かに付着しているのを老婆は気づく・・・。
途端に、彼女はいたたまれなくなったようにその優しそうな瞳を固く閉じた。
「・・・・・マリー・・・・」
その時、背後から聞こえた自分を呼ぶ、聞き慣れた声に彼女は振り向く。
「あんた・・・・っ!」
声の主に対し彼女は叱咤するような声を挙げ、同時にその顔の眉間に険しい皺がよった。
先程の声の主である、マリーと呼ばれた目の前の老婆以上に太った初老の男は、帽子を取りながら彼女の剣幕に顔を困ったようにしかめた。
「マリー・・・・聞いてくれ」
弁明しようと、困り顔のまま初老の男は両手を広げる。だが、それを拒絶する様にマリーは口を開いた。
「義理を忘れたにも程があるんじゃないかいっ!あんた・・・・ミレイユ様はどんなお気持ちで・・・このコルシカに帰ってきたと思ってるんだい!」
「・・・・!」
太った中年男を涙声で怒鳴りつけるマリーの言葉に、太った男の背後で泣く幼女の黒い髪を撫でる手が止まった。
「ミレイユ・・・・」
その澄んだ声に、マリーと男は口論を中断しこちらを向く。
そこには、えっえっと嗚咽を漏らして泣く黒髪の子供と、彼女に寄り添う奇妙な碧の外套に身を包んだ少女の、2人の姿があった。
「・・・・・・お客だ」
男がマリーと顔を合わさないまま、深いため息とともに吐き出す。
油断無く・・・外套の少女は玄関に膝をついたまま、眼前の老夫婦を見上げる。
「グズ・・・・ッ」
・・・彼女のすぐ隣から、黒髪の幼女が鼻をすすり上げる音が聞こえた。
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