「何故彼女がそこまでノワールにこだわるのか・・・」 玉蔵に背を向け、紳士は窓のほうへと歩いていった。 「彼女の友人として、君はどう思うかね?玉蔵」 窓の夜景に、自分の姿が薄く映った。 「だから、ヒーローなんじゃよ」 玉蔵がうんざりとした口ぶりで言った。 「誰もが出来ない事を成し遂げる超人でしか彼女は救えねぇのさ・・・」 ―――――愛が人を殺すのなら。 玉蔵のどこか沈んだ言葉にも、紳士は気難しい表情をうかべたままだった。 ―――――憎しみで人を救う事も・・・。 「もっとも、あの娘にはそれは無理じゃろうね・・・」 「・・・・・・・クロエの事か?」 紳士は、玉蔵の言葉を聞くと神妙な面持ちになった。 「才能はある。年甲斐もなく何度か試してみたが隙は確かに無い・・・」 扉が開き、待機していたスーツ姿の男はそちらを反射的に見、驚いた表情を見せた。 扉から出てきたのは先程とまったく同じ、薄汚れた外套姿の少女だった。 ――――問題は・・・・心じゃよ クロエは男が何かを言おうとするのをひと睨みで黙らせた。
ゴト・・・。 玉蔵がまだ何か言おうとした時、背後で扉が開く音がした。 二人は一斉に、反射的にそちらを向いた・・・そこには先程、玉蔵とともにクロエを引き連れてきた黒服の姿があった。 「どうした・・・?」 窓際の紳士が声を掛けるのとほぼ同時に・・・黒服は床へと前のめりに倒れた。 「・・・・!」 その事を理解する暇すら与えず、先程まで彼が向き合っていた背後の窓のガラスが四散した。 ガラスの破片を避けるように倒れこんだ彼の白髪混じりの頭部に赤いレーザーが捕らえた。 割れた窓をまたいで、防弾チョッキとガスマスクを着込んだ黒いスキンスーツ達が次々と部屋に飛び込み、素早く玉蔵を囲む。 玉蔵が彼らから視線をそらし、入り口に移した。 ゴドッ! その先で扉の前の黒服の死体を蹴り飛ばし、ガスマスクで顔面を覆い銃器を手にしたスーツ姿の男たちが雪崩れ込んできた。 拳銃から、自動小銃に至るまで、あらゆる銃器が一斉に玉蔵に銃口を予断無く向けていた。 玉蔵は座ったまま彼らを舐めるように睨み、手にしたタバコを口に咥え、噛んだ。
「・・・・・お喜びください。たった今、彼らへの処断は完了いたしました」 自分に報告を行った部下の背中を満足げに見送りながら、キースは手に握った携帯電話にそう告げた。 「これで愚かな考えを持った輩は当面居なくなるでしょう・・・ええこれからも私は」 テーブルに置かれた、よく磨かれた食器にキースの顔が映っていた。 「あなた方の為に、力を尽くしていくつもりです・・・」 電話を続けながら、ふいに彼は注意を前方に向けた。 ざわめきが聞こえてきたのだ。 彼の座る位置からはそのレストランの全貌が見届けられた。 従って食事に舌鼓を打つ、正装の紳士淑女たちをざわめかせる元凶の姿もすぐに捕らえる事が出来た。 「では・・・失礼を」 電話を切り、正面の薄汚れた外套を睨む。 「・・・ドレスは用意させたはずだぞ、クロエ」 外套を纏った少女・・・クロエは苦々しい男の言葉をまるで聞いてない様に椅子を引いた。 「お客様・・・ご注文は?」 ウェイターが、流石に怪訝そうな声でクロエに聞いてきた。 「・・・・アイスクリーム・・・」 キースが顎を触りながら、驚いたように睨んでくる。 「ふん、アルテナとやらはそんな物まで食わしてくれるのか」 彼はそう小声で吐き捨てると、キースはワイングラスに手を伸ばした。
「うッ!?」 窓際のスキンスーツの一人が後方へ飛んだ。 彼らの仲間たちが、床に這いつくばったままこちらを睨みつけた老紳士のほうへ向き直る。 その背広の懐に黒光りする拳銃の姿があった。 「ちっ・・・・!」 玉蔵を囲っていたスーツ姿の一団の何人かがそちらに銃口を向けた。 ガタッ! 次の瞬間、彼らは顔面に強い衝撃を受けて跳ね飛んだ。 一斉に場の注意が玉蔵のほうに移る。 彼は、いつのまにか目の前の机に飛び乗っていた。 伸ばした足が、彼の前に転がるスーツの男達を蹴り飛ばした事を雄弁に語っていた。 彼に向かって一斉に引き金が引かれた。 その動作が完了するより先に、玉蔵は尻から机を落ちた。 チュイン!チュイン! 机が跳ね起き、銃弾がそこに穴を無数に穿つ。 バッッッッ! 間髪知れず響いた掃射音とともに玉蔵の頭上のソファーが引き裂け、そこに内蔵された綿を巻き上げる。 バッッッッ!!チュイン!チュイン! ノズルスパークと掃射音、そして銃弾が一斉に玉蔵を守る机とソファーに穴をあけていき、綿と粉塵が巻き上がっていった。
「これから私の言う事は、そのままソルダ評議会の意向だと思ってもらいたい」 キースは、油断無くクロエの表情を伺いながらそう言った。 「今回の件は中止、君は可及的速やかにこの国を立ち去りアルテナにその事を報告してもらう」 「・・・・私は、いかに困難であっても勤めを果たすようアルテナに言われています」 その言葉を受けてクロエの瞳がキッ、とキースを睨みつけた。 「お前の意思等関係無い」 言いながら、キースはワイングラスを手の内で転がす。 「大切なのは、組織だ」 クロエの表情は、キースを睨みつけたまま微塵も動かない。 キースはその様子に不気味さと何ともいえない苛立ちを感じ、汗を額に浮かべた。 「お前もアルテナもその部品に過ぎんという事を忘れるな」 先程より幾分、怒気の混ざった声だった。 「部品?」 その言葉に自分を見る少女の放つ空気が明らかに変質した。
自動小銃を構えながら男の一人が中腰の姿勢のまま、穴だらけのソファーに近づいていく。 「・・・・・!」 レーザーサイトの赤い点が、ソファーの間からはみ出た腕に当たった。 油断無く、銃口を向けながら男はその腕の先を見るためにソファーに近づく。 ソファーから身を乗り出しそれを確認しようとした時・・・。 「う!?」 何かが身体に触れるのを感じ、男は振り向こうとする。が、身体に突如として重みがのしかかり、男は体の自由を失う。 「あ゛っ!」 悲鳴を聞き、銃を持った男達はそちらの方へ再び銃口を構えた。 そこに立っていたのは、玉蔵に首を締め上げられた先程の男だった。 バッ! 眼前の男が引き金を引くその前に、老人の指が男の、手の中の自動小銃を引いていた。 それを見た眼前のガスマスクの男たちは、一斉に横に跳んだ。 チュインチュイン!! 玉蔵が男の体を盾にしながら弾丸が撃ち散らす度に、天井に穴が次々と穴が穿たれていく。 床に伏せた男が、彼に向かって拳銃の引き金を引いた。 ドズ! だが、それは玉蔵の横の男の腹に当たり、血を噴ださせた。 伝播されたように、他の男たちも一斉に銃撃を放つ。 男を突き飛ばし、玉蔵は再び伏せた。 バスッ!バスッ! 頭上を通過した弾丸が後方のドアを蜂の巣にしていく。 ガスマスクの男の一人が、屈みこみながら懐から黄色いラベルの缶を取り出す。 男の手から放射線を描いて、穴だらけのソファーの中にそれは放り込まれた。 コロコロ・・・ 「ん!」 その男の背後に立った男がふいに天井を見上げ・・・・。 慌て、避けようと前へ跳ぼうとしたが遅かった。 ガシャァァァッッン!!!!! 上から破片とともに落ちてきたシャンデリアがガスマスクの男たちを巻き込んだ。 「チッ!」 玉蔵は足元の缶から噴出した黄色いガスを睨むと、それを避けるように一足にソファーを飛び越えた。
「しみじみと青いな、お前ら」 キースがワインを飲み干すと同時にはき捨てた。 「アルテナは次期司祭長のはずです」 厳しい視線を外さないまま、クロエは静かな声で返した。 「ソルダにおいて司祭長が権力を持った時代はとうに去っている。私が新参者だからといって舐めるなよ」 語気を強めてそう言う。 「・・・・・・・」 「お前は、自分が殺そうとしている人物がどんな人間か知っているか?」 「知りません」 クロエの答えが、キースには機械的なものに聞こえた。 「ならば口出しは無用だろう。あの方々はソルダ如きに・・・・」 クロエが自分の言葉になにか気づいた素振りを見せた事に気づき、慌ててキースは黙り込んだ。 「と、ともかくだお前らが、ノワールを復活させたきゃ勝手にすればいい・・・だが、組織の足だけは引っ張るな。迷惑なんだよ」 ――――黄色い風を背にして、拳を構えて老人が一瞬で距離を詰めてきた。 「自分たちがどんな目で、評議会から見られているかわかっているのか?」 ――――シャンデリアの直撃を避けた男達が銃口を構えるが、その照準が合わさった時にはすでに玉蔵はその眼前に立っていた。 「あなたは・・・・」 「ウ――ン?」 クロエは、まっすぐキースを見据えたまま言った。 「アルテナがどういう人間なのか知っているのですか?」 「少なくとも奴はまともじゃない」 返された言葉の真意をつかみそこね、クロエの眉が動いた。 「ソルダというものを奴は宗教か何かと勘違いしている。純然に超法規的な存在であることを理解していない」 フッ、と息を吐き出しキースは続ける。 「今のソルダに本当に必要なのはグラン・ルトゥールだのノワールだの嘘っぽい物じゃない。ガキを洗脳している暇があったら、自分に与えられた仕事をこなして今の組織の地位を固持し続ける事の方が大切なんだよ」 キースの刺ある言葉が、自分に向いている事がクロエには解った。 「・・・・・・・・」 (時代は移り変わろうとも、人の世は変わらない。地は悲しみに満ちて、人はただ悪を為す) 黙ったままのクロエを汚いものでも見るかのように細めた目でキースは見ていた。 ――――高々と上げられた玉蔵の足先が霞んだ・・・次の瞬間、その眼前の男は倒れていた。その状況を理解できないまま、その後ろに立った男たちに玉蔵の足が、肘が伸びる。その目に、耳に、顎に、喉にとてつもない衝撃が伝わり男達は次々と悶絶していく。 カチ・・・。 クロエの手が、フォークやナイフがつまれたバスケットに手を伸ばした。 それを見たキースの表情が一変する。 (なのに、天は・・・・・・・天は何も語ろうとはしない) 「おい・・・・・っ」 その手がフォークを手に取ったのを見て、キースは冷や汗を垂らす。 クロエは彼の方を一瞥すると、フォークを手元に持ってくる。 「・・・・・っ」 キースは息を呑んだが、クロエはフォークの先端を指でつつくだけだった。 「・・・・・ともかくだ、お前はとっとかえ・・・・!」 ナプキンで冷や汗を拭くキースの言葉はそこで止まった。 クロエは、彼の方を見ると黙って椅子から立ち上がった。 「あ・・・」 ウェイターとすれ違い、クロエは一瞬、彼が手にした盆の上の物を見た。が、それ以上気にとめる様子も無く出口へ向かっていく。 「・・・・・」 ウェイターは彼女の後姿を見送りながらも、本来の勤めをすぐに思い出し目の前のテーブルへと近づく。 「お客様、アイスクリームをお持ちしました」 ウェイターはそう言ってウェハースの刺されたアイスが置かれた皿をテーブルに置く。 「お客様・・・?」 妙な違和感を感じ、その西欧人らしき中年男の肩を触る。 ドサッ・・・。 男は、椅子から崩れ落ちた。 その目は白目をむき、腹部は赤く染まっていた。 (誰かが罪を背負わねばならない) ゴッ! 頭からスーツ姿の男は床に落ち、その衝撃で顔面を覆ったガスマスクが取れた。 「チッ」 男の胸部を、スニーカーで踏みながら玉蔵はタバコをポケットから取り出した。 「お前らのせいで、タバコ一本無駄になっちまったじゃねぇか・・・」 タバコに火がつき、煙が上がる。そして灰がはらりと下の男の顔に落ちた。 男の歪められたその顔に・・・。 「シッ!!」 拳が叩き込まれた。 (誰かが・・・・罪を・・・・・・)
キュ。 クロエは、外套でナイフをふき取りながら頭上を見上げた。 上空で煌々と輝く月に届くのではないかと思わせる黒い巨大な塔があった。 その月を手にしたナイフに映すと、クロエは塔・・・ホテルへ近づいていった。
びゅうううううう・・・。 玉蔵の視線の先・・・壁から窓にかけて、引きずったような血の後が着いていた。 窓から身を乗り出し、玉蔵はホテルの上を見上げた。 「屋上・・・?」
―――――――→acte:04
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