「マイクの非礼は詫びます。しかし」

 小太りは椅子に座ったまま言った。

そのホテルの一室には、すでに先程のオールバック男の姿は見えなかった。

 白髪の男は、ただ黙って、窓から階下の街並みを見ている様だった。

はぁ・・・。

 小さく、小太りがため息をつく。

「我々は、経歴も本名も捨て、更には命を賭け・・・全てを投げ打ってこのソルダへ来たのです」

「・・・・」

「その事をお忘れなき様・・・・」

小太りの陰鬱そうな声が、窓の外の雲行きを眺めていた紳士の耳に届いた。

 

「・・・・・・ほんとに要らんのかい?」

 老人がアイスの棒をくわえながらクロエに尋ねた。

「はい」

 エレベーターの上部の階数をカウントするランプをにらみ見つけたまま、クロエは答えた。

「おいしいのになぁ」

「・・・・・」

 前方のクロエの頭部を見ながら、老人は二本目のアイスの銀紙を剥ぎ取った。

クチャ・・・。

ブルル・・・。

 老紳士のスーツの胸ポケットが震えた。

「・・・・そうか」

 取り出した無線を耳にあて、彼はつぶやく。

「来ましたか・・・しょっと・・・↑」

 彼の背後で、小太りは椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

「・・・・!」

 青白く、眉間に常に皺の寄ったマイクの険しい顔立ちが、一層険しくなった。

ちっ・・・。

 彼の視線の先には、3人の人物の姿があった。

一人は、彼が後ろに引き連れてるのと男たちと同じ服装をした、黒服の大柄な男。

 そして、彼に連れられているのは、年齢と幾分不釣合いなTシャツを着た東洋人の老人と、首から膝までをすっぽり覆う深緑色の外套を着た、その顔立ちからまだ、10代半ば位の子供の姿であった。

「・・・・お連れしました」

 黒服が、彼の姿を見ると恭しく言った。

ちっ。

 舌打ちを、聞こえるように打ちながらマイクは2人・・・特にその深緑の外套を見ると、露骨に苦々しい表情を露にした。

「わざわざ遠方からご苦労・・・っ」

 そう吐き捨てるように言いながら、彼はその子供の顔をちらりとにらんだ。

三白眼が、かすかにその視線を意識したように動いたが、それ以上その表情は特に変化がなかった。

「帰りのチケットはいつでも用意できるよ・・・いつでも言ってくれたまえ」

 青白い顔は、外套の子供・・・クロエにそう演説でもするかの様な大げさな口ぶりでいい終えると、幾分機嫌がよさそうな表情になった。

「・・・・なんだいありゃ。阿呆か?」

 黒服に囲まれた男の背中が、ホテルの廊下を今、自分たちが来た方向に遡って行くのを見ながら老人はつぶやいた。

「・・・・・」

 クロエは黙ってその背中をにらんでいた。

「・・・・・あんた、仲間に嫌われてるのか?」

 ピクッ・・・・。

老人の声と心配そうな老人の視線で、その外套の中に隠された手が動作を停止した。

「・・・・・・」

「アイス食いたかった?」

 老人は、質問を変えた。

「・・・・・・」

 クロエの様子は変わらない。こちらを向こうともせず、誰もいなくなった廊下の突き当たりを尚をもにらんでいる。

「!」

 クロエが突如旋回し、老人の方に向き直った。

その予想通り、老人は自分のTシャツの中に手を突っ込み、何かを取り出す所だった。

(銃!?)

「すまんのぅ・・・・」

 老人の穏やかな声がとっさに先程手にしたナイフを外套の中で構える彼女を制した。

「あんたに渡し忘れていたモンがあった」

老人がシャツの内側に隠していたものは何枚かの紙だった。近づけられるにつれて、クロエの表情がはっとなる。

「これ・・・・」

クロエが老人を見上げた。

「手紙。て言やわかるかの?」

 老人がそう言うのを聞くと、クロエはその紙をいそいそと開いた。

その文面の字を確認すると三白眼の少女の表情は安堵したような・・・笑顔になった。

少女のその様子を老人は小さく笑いながら見ていた。

そのつぶらな瞳に哀れみに似た光を浮かべて・・・。

 

「何者です?あの男は?」

 小太りの男は、自分たちの居る通路の両端を黒服たちが見張っているのを確認すると、口を開いた。

「暗殺者だよ。元が付くがな・・・」

紳士は、そう言って瞳を閉じて小さく頷いた。

「しかし・・・部外者に警護を任されるとは・・・感心しませんなァ・・・」

「玉蔵は信用できる男だ」

 紳士にぴしゃりと言われ、小太りの男は黙り込んだ。

 

 上等のソファーに、どっかりと腰を落ち着けて、Tシャツ姿の老人、玉蔵は伸びをした。

「・・・・・」

 やたらと高い天井を見上げ、柔らかい絨毯の踏み心地を味わいながらも、その意識は後方を向いていた。

ギッ・・・。

 その時、彼の後方に構えたドアが開かれた。

「待たせたな、玉蔵」

スーツの襟を正しながら、先程の老紳士が部屋に入ってきた。

「報酬だ」

ドスッ・・・。

 乾いた音と共に玉蔵の眼前のテーブルに、レンガを半分に割ったくらいの厚さの札束が置かれた。

「・・・・最近はどうなの」

 その札束にはほんの一瞬だけしか注意を払わず、玉蔵は険しい表情で紳士を見返した。

「あんな連中飼いこんじまってさ・・・」

「マイクとキースの事か」

ため息混じりに、彼はそう答えた。

「彼らは、元々は外部の人間でな・・・ある問題を処理するために特別に我々の助言役をやってもらっている」

 まるで聴いてないかのような素振りで、再び玉蔵はソファーに寄りかかった。

「二人とも元は軍需企業の特別外渉役だったらしいが、私も詳しい事までは知らない」

「信じられねぇ・・・・」

 眉間に皺を寄せながら、玉蔵は呟いた。

「そういう・・・群れ方しねぇのが、あんたら・・・ソルダの決まりだったんじゃねぇか?」

『ママ〜〜〜。あれ何?』

――――ソルダの血は荒野に染み渡り、大河へと流れた。か。

『お嫁さんよ。お・よ・めさん。この階は式場になってるらしいから、そこで結婚式があったのねぇ』

――――10世紀以上前の話だ。我々の存在の定義も変化を遂げてきた・・・、千年間も姿を変えずに存在できるのは君の業(わざ)位のものだよ・・・。

「裏社会で最も古く、かつ最も強健たる、暗殺集団・・・ソルダ」

 玉蔵が、疲れた目をほぐしながらうわごとの様に呟いた。

「幻想に過ぎん」

老紳士は、微かに自嘲的なニュアンスを混ぜていった。

「当時、我々は知らなかっただけだ。自分たちと並ぶ『力』の存在に」

 

「じゃあ、あれは――?」

「ん―――?」

 自分の手を握った、愛娘の指さす方向に向き直り・・・母親は一瞬その答えに迷った。

自分たちのすぐ横で通路の向こうに消えていく、純白のドレスの花嫁を凝視していたのは奇妙な深緑色の外套にすっぽりと身を包んだ子供だった。

 彼女が、視線を察して微かにこちらを睨んで来た。

釣り上がった蛇のような瞳だった。

 耐え切れなくなって視線を外したが、尚も視線が自分に当てられてるのがその母親には解った。

 クロエは、その二人を静かに観察していた。

母親のほうはクロエから顔を背けていたが、彼女の連れた、自分より随分小さな少女は、自分がするのと同じようにしげしげとクロエを観察していた。

「・・・・・・・」

クロエは、口を半開きにしたまま自分を見てくる少女をしばらく見下ろしていた。

物言わぬ三白眼と。

瞬きの回数を増やす丸く黒い瞳。

その視線の交換が、未だ一分も続かないうちに。

「・・・・・・こっ」

 半開きになった口が、沈黙に耐え切れず挨拶の言葉を押し出そうとし出した。

・・・だが、唐突にクロエは彼女達に背を向けた。

「んにち・・・・」

 少女は口の中に余った語句をもごもごとはきだしだしながら、その外套の行く先を見送っていった。

外套は、やがて通路の突き当りに居た黒服の男に近寄って行き、何か短い言葉を交わした。

そして、彼女たちのすぐ横にある非常口の扉を開け、消えていった。

「・・・・・・・ママぁ・・・」

「パ、パパトイレ長いわね・・・・」

 逆方向を見たまま、母親はそう、どこか焦ったように言う。

「緑色の人―――いなくなっちゃったよう」

―――――ソルダの血は、大河に流れやがて世界の富と権力に通じ、世界を動かすに至った・・・だがまったく違う方法で、我々と同じ様にこの世界を動かしている者達も居る。

 夕闇にぼんやりと青や赤に彩られたネオン。

そこに掲げられた、漢字とカタカナの混じった看板。

――――事の発端は、偶然我々の標的となった人物が『彼等』の重要人物の一人だったという事だ。もし、我々がその消去を遂行すれば・・・我々と『彼等』との全面的な対立に発展するの事は免れないだろう。

 明るい光で彩られたショウウィンドに、自分の外套が映りこんだのをクロエは横目で見る。クロエは手の中の手紙に再び視線を移した。

 その文面を目で追う。

――――確かにソルダの名は未だ裏社会で衰えない力を有している・・・だが、その背後では多くの軋轢を抱えているのも事実だ。そのような状況での新たな抗争は絶対に避けねばならない。

 クロエはたたんだ手紙を懐に入れながら顔を上げる。

都市の天井に掛かった空は、彼女の知る空よりどこか淀んでいた。        

「・・・・・・・アルテナ・・・」

その空に向かって、小さく彼女はそう呟き・・・。

その無表情が、一瞬揺らいだ。

 

 すっかり外では日が暮れ、彼らの頭上に下げられたシャンデリアはきらびやかな光を灯していた。

「そいで、アルテナは先手を打って彼女を・・・?」

玉蔵は顎を持ち上げて、そのシャンデリアを睨んだ。

細めて見る、その光の中に見覚えのある女性の後姿を彼は見た気がした・・・。

「あぁ・・・アルテナは評議会とは、まったく逆の意見だよ」

 紳士は、小さくため息をついた。

「・・・私も彼女と同じくソルダの一員として、グラン・ルトゥール・・・・組織の大いなる回帰、再生を望んでいる」

言いつつ玉蔵の方を紳士は見直す。玉蔵は、まるで聞いてないのかの様にソファーに首を任せて天井を見ていた。

「だが私も含めて組織の誰もが、今のソルダのあり方を否定する彼女の真意を掴み損ねている」

 言葉を続ける毎に、紳士の表情は曇っていった。

(玉蔵。私は、世界を変えます)

「彼女はまるで・・・創造と破壊を同意義に考えているようだよ・・・・」

(私には・・・・あの娘がいる・・・)

「当然じゃろ」

玉蔵は、ソファーに首をもたげたままそう言った。

「アルテナにとって唯一のヒーローだかんな、ソルダ・・・ノワールは」

 目を凝らして始めて・・・玉蔵が目を閉じて黄ばんだ歯を剥き出しにして笑っている事を、老紳士は気づいた。

「ヒーロー?」

 足を組んだまま老紳士は怪訝そうにそう言った。

「そ、あんたにゃ居ないのかい?どんなに深い闇からも必ず救い出してくれる様なさ・・・」

からかう様な調子で玉蔵は切り替えした。

「・・・・それとアルテナに何の関係がある?」

「ノワールってそんなものじゃろ?ってんの」

 ノワールという単語を再度聞いて、紳士の表情が微かではあるが厳しくなる。

その表情を目を開けて見届けると、玉蔵ははげ頭を掻きながら上半身を起こした。

「わしらのようなフリーの人間の中では、ハクをつけるためにその名を騙る者も居る・・・だが・・・本当のノワールはたった2人だけ・・・ソルダに仕えるたった2人の処女(おとめ)だけ・・・・」

 

 ガチャッ・・・・・。

「どうぞ」

 若いスーツの男に通されたのは、先程のホテルとは違うホテルの一室だった。

広さはそれほどでもないが、正面の窓からは夜景がよく見晴らせた。

 クロエは男が出て行ったのを確認すると、着ていた外套の結び目を緩めた。

 

「彼女たちはただの性能がいいだけの暗殺者とは違う、単なる殺人マシーン、道具じゃねぇの」

玉蔵は歯を見せて笑いながら、嬉々とした語調で言う。

「かといって、それは狂人でもなければ哲学者でもねぇ」

コッ。

「・・・完璧な性能をもちながら、真実から決して目を逸らさない。悪魔みたいな存在だ」

 玉蔵の口元に浮かべた歯を剥き出しにした笑いが、ふいに苦笑に変わったように見えた。

「・・・部外者でそこまで知ってしまった者で」

 紳士は神妙な面持ちで玉蔵を見る。

「・・・生き残っているのは君くらいだろうな 」

 

――――ヒーローか・・・。

 クローゼットは音もなく開いた。

外套を脱ぎすてプロテクター付きの黒いボディスーツ姿になったクロエが、その中の暗闇を覗き込んでいた。

――――確かにノワールはそういう存在なのかも知れんな。

 そこには色や形がとりどりの、彼女が今まで見た事のないような様々なドレスが吊ってあった。

しかし彼女は、それらをざっと見渡しただけですぐにクローゼットの扉を閉めてしまった。

――――罪を背負いつ慈愛もて差し伸べられる漆黒の両手。我々はかってノワールをそう定義した。

 クロエは、ベットにたたんで置いてある外套に近づいていった。

――――・・・なんとも矛盾した話だ。

ベットに横たわりながら、クロエはぼんやりと窓を眺めていた。

縦向きになった過剰なまでにきらびやかな夜景と、向き合う丸い月がある。

「光が・・・」

 その月を映した瞳が、微かに釣り下がる。

ふいに、脳裏を様々な光景が反芻してきた。

(へんなカッコ)

(目でワカったよ)

(どうか・・・娘を・・)

(ママぁ)

(どうか・・・娘を愛してやって下さい)

・・・・・愛。

「・・・・・・アルテナ」

 クロエは横にあった外套を掴んで抱き寄せた。

―――――人を殺す聖母・・・・そんな人間は存在しない。

 そうしながらクロエは目を閉じ、静かに耳を澄ました。

―――――フィクションに等しい・・・。

 

・・・・・・いつも。

『愛で人を殺せるのなら・・・・』

あの人は、いつもブドウ畑の中で微笑んでいた・・・。

『憎しみで人を救う事も出来るでしょう』

その長い髪が、土の匂いのする風になびく。

『解りますね、クロエ』

優しいけれど、居抜かれるような瞳が私を見ていた・・・。

―――――→acte:03