クロエさん―完全版―
ゴウゥゥゥン。 エンジンがオレンジの熱を空中に吹いた。 「・・・・・・・・・」 白い大型旅客機の機体が、上向きに上昇していく。 その様子を。 彼女は三白眼を細めて、空港ロビーの窓越しに見ていた。 そうしながら辺りの喧騒に、少し耳を澄ます。 ――成田発、のノースウクライナ行き38便にご搭乗の・・・。 ――払い戻しは?ねぇ払い戻しってどこで受け付けてんの? ――寿司だな。 ――選択、ベタなんだよ。 「クス・・・クス・・・」 すぐ近くに気配と自分に向けられた声を感じ、彼女は目を薄く開けた。 「変なカッコ」 その目に飛び込んできたのは、自分を見上げてすきっ歯を見せて笑う4、5歳の少女だった。 「・・・・・」 ――ホラ、ケイコちゃんいくわよ。 ニヒヒ・・・・。 屈託なく一本足りない前歯を見せながら、その少女は母親と思しき女性に手を引かれて彼女から離れていった。 キュッ。 「クロエさんだね」 少女とその両親の姿を、その目が見おくる間はなかった。 先ほどまで向いていた方向から聞こえた声に、彼女・・・奇妙な深緑の外套を纏ったその少女はあえてゆっくり振り返った。 眼前の人物が手にしたタバコの煙が、彼女の紫色の髪にかかった。 若者が良く好んで着る袖に炎の模様をあしらった白いTシャツに、タバコを支える手に引っ掛けられた銀色のアクセサリー。 およそ老人が着るとは思えない服装だが、眼前の男性の顔は明らかに老人と呼べる年の頃だった。 「・・・・・」 その顔に掛かったサングラスが外され、白髭をたくわえた、はげ頭の老人の素顔が明らかになる。 格好に反したつぶらな瞳が、彼女の顔を覗き込んだ。 その瞳を釣りあがった彼女の目が、まっすぐ見返す。 「目でワカッたよ」 そう、老人は自分の腰に手を当てて答えた・・・。 ―――・・・12番ゲートにお急ぎください・・・・。
クロエさん・完全版
ブォン。 「・・・・・」 助手席に座った深緑色の外套の少女は、横目で老人を黙視していた。 視線の先のサングラスの老人は、一方の手にタバコを支えながら、もう一方の手でハンドルを握り4輪駆動車を運転していた。 「あんた、ノワールを目指してるんじゃろ?」 呑気な調子のその言葉の中の、ノワールという単語の反応したように、少女の釣りあがった瞳が老人の方へかすかに動く。 「先代のノワールにはワシも出遭った事があるよ」 言いながらタバコを軽く揺さぶり、窓の外に灰を落とす。 「最初出遭った時は凄まじかったなァ」 外に出した手を車内に戻し、再びタバコをくわえると、老人はその口元を吊り上げた。 「出会い頭にズドン。だ」 彼の横の外套の少女・・・クロエは、彼が嬉しそうににやけ出す様をじっと見ていた。 「運良く、弾は脇をすり抜けたんじゃが・・・一発、肺を掠ってな・・・いや、凄まじかった、あれは」 ふぅ。 老人の吐き出した煙が、風に沿ってクロエのほうへ流れた。 「・・・・・・ノワール・・・・」 「ん―――――?」 少女が何事か囁いたのを耳にして、老人は吸殻をダッシュボードに擦りつけながらそちらをうかがい見た。 「ノワールは・・・・至高の刃」 小さいがよく通る、幼いが、静かで冷たさを伴った声だった。 「その勤めに・・・・常に失敗は許されません」 サングラスの中の、老人のつぶらな眼球がかすかに少女の方向へ動く← 「貴方が出遭ったのが、真のノワールであるならば・・・」 クロエの眼球も、老人の方へ動く→ 「「・・・・・・・・・・」」 2人を乗せた四輪駆動車が、十字路の赤信号に停まった。 クロエの視線は老人を睨んだまま、以前静止している。 その視線から逃げるように老人が、眺めた空に旅客機が横切った。 「フフフ・・・・」 その重い空気の車内に老人の笑い声が突如として響いた。 「可笑しいですか・・・?」 クロエが、その老人の方を見て言う。 「いや・・・」 視線の先の老人は、新しいタバコを取り出してくわえる所だった。 「あんた、結構ぉ可愛い声してんのな」 「?」 クロエの眉が怪訝そうにひそめられた。 「ククク・・・・・おっと・・・」 老人の視線の先、宙に掛かった信号機のランプが何時の間にか青に、その色を変えていた。 ――――さぁ、行こう・・・・。 老人の足でアクセルが踏まれ、4輪駆動車はエンジンとタイヤを再び回しだした。 ズィィ・・・・ッ。
初老より少し前くらいの年齢だろうか。 足を組んでソファーに座った白髪の紳士は贔屓目に見れば、映画俳優かと思うくらい整った顔をしていた。 「正直な話、彼女のここ最近の強硬な意見には賛同しかねますなァ・・・・」 50過ぎくらいの、西欧人らしき口ひげを生やした小太りの男は、ティポットをワゴンの上に置くとその男にそうぼやいた。 「アルテナ女史は除名されるべきです」 一方、そう言いながら置かれたティポットを、金髪をオールバックにした今の男より幾分か若い感じの中年男が手に取った。 「いや、そこまでは・・・」 小太りが、オールバックをなだめるように言った。 「まるで子供じゃないですか、彼女は」 コポコポ・・・。 オールバックが熱いコーヒーをカップに注ぎながらつづけた。 「文学少女にこの世界は理解できない・・・・・・・あちっ↓」 コーヒーが跳ねたらしく、オールバックは小さく声を挙げて不機嫌そうに手を振った。 「違う」 整った顔立ちの、白髪の紳士はそこで初めて言葉を発した。 「アルテナは決して、その様な人間ではない・・・」 ――――いや、だからこそ・・・・・。 「少し言いすぎだ、マイク」 小太りの男もそうオールバックに注意を促す。 「ちっ」 2人にそう言われて、マイクと呼ばれたオールバックは小さく舌打ちをし、コーヒーの入ったカップをもって自分の椅子へ戻っていった。 「・・・・しかしですなぁ、彼女の攻撃的な意見に評議会も参っておりますでしょう・・・」 2人のやり取りを黙って見ていた紳士は、小太りの声にうなずいて見せた。 「まぁ・・・その・・・彼女や古参の人間としてみれば、連中の言うがままに我々の活動を手控えたら面子が立たないのは百も承知です・・」 紳士の視線の先に、不機嫌そうにコーヒーをすするマイクの姿があった。 「承知ですが・・・相手が相手ですよ・・・・・あの連中は底が知れない上に、ここ最近妙にきな臭い」 椅子に座った小太りの男が、紳士の様子を上目遣いにみながらさらに続けた。 「下手に動けば・・・・・・」 小太りは、紳士の顔色を下からを覗きこむ。紳士とふいに目が合い、小太りは椅子を座りなしながら視線を外した。 「私が説得に当たります、そう彼女に伝えてくれと・・・」 ズズッ・・・。 「・・・・・」 紳士は、横においてあったコーヒー手にしてすすりながら、小太りの言葉に黙って耳を貸していた。 「除名すべきです」 彼らとは別の方向から声が聞こえた。 「オイッ」 「21世紀に入って、もう8年が経つ」 マイクは、小太りの男が咎めるのを気にせずそのまま続ける。その視線は眼前の紳士をにらんでいた。 「いつまでも、甲冑と剣で殺し合いをした時代に浸っているおつもりですか?」 紳士は、その視線に何も答えず、黙って紅茶の入ったカップを口元に持ってきた。
「さすがに違うの――――」 大理石で固められたホテルの玄関ホールを見渡しながら、老人はハシャいだ声を挙げた。 「うんっ。すげぇ、すげぇ」 仁王立ちになって、彼は満足げに何度もうなずいてみせる。 「・・・・」 老人のその様子をクロエは横目で見ていた。 冷たい光を伴った、その三白眼で。
「かってソルダの血は荒野に染みわたった・・・・か・・・」 空になったカップを置くと、オールバックは手を胸の前に組んで言葉を繋げた。 「真に道標とすべきは、過去の栄光ではないハズです」 その青白い顔の中から、依然として鋭い視線が放たれていた。
『あっ・・・・杉上さん・・・っ』 クロエの視界に、ふとロビーで挨拶をする晴れ着の女性と、立ち上がって、彼女に深いおじぎを返す燕尾服の男性の姿が目に入った。 『この度は・・・本当に・・・・ふつつかな息子ですが・・・どうか・・・』 離れているせいで良くは聞こえなかったが、その声は微妙なニュアンスを持っているようだった。 『いえ・・・いや・・・祐樹さんは立派な青年です。本当にウチの娘にはもったいない位の・・・・』 なにやら、嬉々とした表情で談笑しあう、2人の中年の男女。・・・クロエは、瞬きもせず三白眼にその彼らの姿を映していた。 『・・・・実は、正直奴めが嫁に行けるなんて、少し前までは思えませんでした・・・』 クロエがいい加減彼らか目を離そうとしたちょうどそのとき、燕尾服の男性の表情がやや曇ったのに彼女は気づいた。 『・・・・・男手一つで育てたせいか・・・・親の言う事は聞かないわ、なにか気に食わん事があれば家出をするわで・・・』 燕尾服の男は笑ってはいたが、微かに震えていた。 『そんな、娘が・・・・・』 突如、男が声をつまらせ、自分の目元を抑えた。 「・・・?」 クロエは、表情を動かさず、黙って男性の様子を注視する。 スイマセン・・・・スイマセン・・・・。 目頭を抑え、ただ搾り出すように謝罪の言葉を晴れ着の女性にかける男性の、その姿を。クロエはただぼうっと見届けていた。 「・・・・クロエか?」 その時、すぐ背後から聞き覚えのない男の声が聞こえた。 それに黙って頷く彼女にまったく動じた様子はなかった。 「・・・・タマゾウは?」 彼女の背後に立った黒いスーツの男が回りを確認しながらクロエに尋ねた。 「・・・・?」 「お前の護衛に当たっていた男の事だ」 背後の黒服に言われながら、周りを微かに伺ってみる。 フロント、エレベーターホール、ロビー・・・。 ・・・・確かにあの老人の姿はない。 「おいっ、何かトラブルでもあったのか?」 やや苛立った様子で、黒服はクロエに耳打ちした。 「・・・・・・・・・・」 だが、当のクロエは無表情を保ち続けていた。 「おい・・・っ・・・」 黒服がもう一度声をかける。 「あ・・・」 男の再度にわたる呼びかけにも、クロエが表情を動かさなかった次の瞬間・・・黙っていた彼女が、突如小さな声をあげた。 ―――ホームランアイス。 突如彼女の視界に飛び込んできたその銀色の包装には、そうカタカナで印刷されていた。 「アイス、買ってきた」 そう、2本の棒切れを握り締めた、サングラスに炎の柄入りの白Tシャツという出で立ちの老人は、2人に向かって言った。
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