「昭和28年の西葛西猟奇殺人事件。当時あなたはまだ14歳の少年だった」
玉蔵の手には、何枚かまとめてクリップで止められたB4サイズの用紙が握られていた。
―――そしてこの事件の重要参考人としてマークされながら、結局あなたは証拠不十分で無罪になった。
荒いコピーで所々字がつぶれた字が並ぶその資料の冒頭部には赤い持ち出し禁止の印が見受けられた。
「被害者は表向きには警察官、犯人は同僚の警官だと報道されたが事実は違う」
国木田のまくしたてるような口調を受けながら、玉蔵の目は資料の中に貼り付けられた新聞の切り抜きを見ていた。
―――警官、変死体でみつかる。
―――頚椎を折られた上に内臓破裂。
「被害者は、ある組織の構成員だった…そう」
その見出しの下の、楕円形の小さな枠で囲まれた写真の中の、メガネの男の顔を、まるで懐かしむように、玉蔵はぼんやり見ていた。
「秘密結社……右翼とも左翼違う思想を持った、ね」
国木田が、その表情を確かめる様に老人の横顔をにらみつけた。
「…他にも、あなたが重要参考人として挙げられながらいずれも無罪として終わった事件として、昭和40年の竜川荘撲殺事件。56年の海外商社マン殺害事件、平成元年のつくば技研研究員惨殺事件。私がざっと調べただけでも3つ。無論…あなたが第三者の依頼で起こした事件が、これだけだとは断言できませんがね」
そこまで言うと、国木田は一旦息を整えた。
「何を言い出すかとおもえば・・・」
玉蔵が顔を上げた。
「わしが?どうやって?」
薄い笑いを唇に浮かべて、玉蔵が言い返した。
「この3つの事件は共通している点があります・・・遺体には目立った外傷は無かった。つまり、すべてが銃や刃物、鈍器等の凶器による殺傷でなく・・・」
国木田が、パンと自分の手の甲を叩いた。
「頚椎を折られたり、内臓を破裂させられたりした・・・素手による殺傷で殺されています」
「・・・ワシが空手の達人だとでもいいたいのかね、君は」
冗談めかして玉蔵は言った。
「私は、人体工学の専門家ではないので詳しくは知りませんが・・・」
国木田が鼻の下を擦りながら続けた。
「腹部や胸部といった箇所は、拳で強打されただけで、内臓が傷つき、死に至る事があるし、テコの原理さえ使えば骨を折るのはさして難しい事ではない」
国木田の目が、玉蔵を見据えて、細まった。
「だ・・そうです」
玉蔵の、国木田を見る目の色が明らかに変わっていった。
「最後のつくばの事件は我々にとっても因縁浅からぬ事件でした。その事件が後の…対荒神兵器の切り札であったセラミックフィールドの外部流失を…」
「タバコ」
うつむいた老人の手が、国木田に向かってさしだされていた。
「えっ、あぁ…私は…」
「いい…ワシは吸わん」
もう一方の掌の下から、老人の険しい顔が現れた。
「………」
「で?なに荒神って?」
老人が、気だるそうに隣の呆然とした表情の国木田に向かって言う。
「ご存知無いのですか?」
国木田は、心底驚いたようだった。
「知るかっ」
口を尖らせて、玉蔵が吐き捨てた。
「わしがあんたのいた・・・政府の枢密機関…の・・・国土管理室だっけ? まぁ、それに関わったのはあんたが挙げた中じゃ…竜川荘のと、今知ったけどそのつくばの時のだけだけだ…。そん時あんたの顔覚えたんじゃ」
まじまじと国木田の、鼻のおできに視線を送りながら、憮然と答える。
「割とこの国の秘密機関の間じゃ顔らしいからの、直接でないにしろ・・・仕事の時あんたやあんたのとこの名前がでるのも一度や二度でなかったしな。」
「…で、なんなんだよ」
頭を掌で押さえながら、玉蔵が刺々しく吐き出す。
「その…荒神って」
その下の老人の小さな目が、冷たく光っていた。
「……一般人、いやあなたの場合は正確にそう立場を定義していいのかは解りませんが」
幾分事務的につなぐ国木田の言葉を聞きながら、老人は露骨に嫌そうな顔をしながらベンチにもたれた。
「ともかく、信じがたい話であることは承知して言わせていただきますと、古代より、この日本に息づく怪物。神話の世界の怪物です」
老人のただでさえ小さな目が、細くなる。国木田はすこし間を取った。
「実際、数十年前に科学的にその存在を解析されています。1995年に日本全土で起き、都市機能の停止までまねいたバイオハザードを覚えていらっしゃいますね?」
玉蔵の不機嫌な目が、闇の近づく空の様相をにらんだ。
―――――日本各地で植物の異常成長。ついに関東圏でも報告。
「あったなぁ、たしか…→」
「あれも奴らの仕業だ←。奴らへの対抗機関、それが国土です」
国木田が言った。
―――――首都 機能停止。疎開始まる。
「人は未来をしりたがり、過去をわすれたがる…」
その当時みたはずの、新聞の見出しを思い出しながら。玉蔵は蚊が泣くような小さな声でぼやいた。
「もっとも、いまはすっかり閑職になりましてね…私もこうして現場から退いたわけですが…」
国木田が言いながら横を見ると、玉蔵はなにかに取りつかれた様に口をあけて、ぼんやり宙を見ていた。その様子に国木田はおもわず口をつぐんでしまった。
「そんなことしらなくても…人は殺せる」
不意に…。
そのぼんやりした様子で、まるで愚痴でも言うかのような、小さな声で言う。
『モ―――かえんべよ、パワパフみんべ』
国木田が、眉をかすかに動かした。
彼らの前を、スケートボードを持った若者達が通り過ぎていった。
『あ゛?もうおわってんじゃん?』
ゴ 黒い両足が、宙を蹴りすすんだ。
ォ「おいっ!」
ォ 金太の焦燥した声が、怪物の異形の口から飛び出す。
ォ「なんなんだよ、お前っ!」
ォ 怪物の眼下には家々の屋根が見えた。
ォ 「お前が、やったのか?お前が!」
ォ ――――黒い兵士たちが、空薬莢の散乱した廃屋で、
ォ眼下の電線が、その黒い足に次第に迫ってきていた。
ォ―――原型を止めなくなった外装に包まれて、倒れていた。
ォ「お前がっ!俺を使って!」
ォ 『………』
かッ!
ガァー! ガァー! ガァー!
やかましいカラスの鳴き声と、羽音が電線の上に共鳴した。
黒い羽が、その鉄の腕を避けるように落ちていった。
黒い躯が、すでに半分以上落ちかかった赤い陽を背にあび、電柱の上で両手を広げバランスを取っていた。
妙な事に…先ほどまで自分の腕と同じように動かせたはずの怪物の腕が自分の意志で動かせなくなっていた。
『・・・1+1は?』
その時不意に、やけに落ち着いた女の声を金太は聞いた。
「おめっ…!」
『・・・・わからないの?』
幻聴ではない。その声ははっきりとしていた。
しかし、その調子はずれな声が何処から聞こえてくるか、彼には皆目見当がつかない。
「や、やっぱ、あれか!!」
『・・・・?』
しかし声の主はすぐ近くにはいるような気がした。
「宇宙人、か!」
ゴォォォォ…。
――相手が、どこのだれだとか。どんな理由で、とか。
指。
玉蔵は脳裏で自分が過去に幾度と無く犯した行動を思い出し描いていた。
目。眼球。
接触。挿入。
自分のしわくちゃの指を見る。
――破裂。
その指に、過去味わった感触が蘇ってきたような気がし、その口元にかすかな苦笑いが浮かんだ。
――ほとんど。
「関係ないんだよな〜〜」
のんびりと間延びした声で、玉蔵がつぶやく。
国木田はしばらく、その老人の様子をにらみながら観察していた。
はげた頭、つぶらな瞳、灰色の和服。
「…………」
隣に座っているのは何の変哲もない老人である。
カチッ。
彼らの横に立った時計が、午後7時ちょうどを指す。
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