警官の数メートル頭上でその黒い塊がターンを決めた。
―――――!
 紫の空の背景に、赤い、光放つ両眼をもった黒い四肢が空中を、跳ねていた。
跳ぶ。
ビルの壁を蹴った反動で

 やがて黒い四肢が彼の頭上高くを超え、袋小路を飛び出ていった。
四肢はほとんど高度をおとさず、車道の車の群れのはるか上を跳んでいく。
 若い警官はネオンと街頭にさらされ、はっきりと判明したになったその四肢の姿を、とりつかれた様に口ぽかんと開いて見いっていた。
 黒い筋肉。というよりは装甲と言ったほうがあてはまる無機物的な肉体をバンプアップした人と同じ形状の身体・・・。
ゴォォォォォォォォォォオ
 その黒い躯(からだ)が宙で構えを取るかのように、膝を九の字に折り曲げた。ほとんど高度を落とさず、足から踏みつけるようにそのままビルの壁面へと突っ込んでいく。

 足が、コンクリートの壁へ正面から落ちていく。
              
ォォォォォォォォ
        『スタッ!』
              ォォォォォォォォ

 黒色の足の装甲からはみ出たかぎ爪のような指がコンクリートの壁面をつかむ。
Bxxxunnn!!!
 その黒い背の下を、しらん顔で黄色い4WDがうなりをあげて通り過ぎていった。
「・・・・ぃ。」
 黒い四肢が、向かいのビルの壁に突き刺さるように張り付いていた。
夕日がその輪郭を濃く、露にしていた。
 ふいにその首が彼にとっての上方、警官の居る袋小路のほうを向いた。
逆さになった、赤い両眼を持った鬼とSF映画のエイリアンのあいの子の様なその顔が彼の目に飛び込んできた。
「か……」
「奥村ァ!!」
 袋小路に荒い息が響いた。
呆然としたまま、若い警官が低くうめく。
「どうしたよ!?あのガキはどうしたよ!?」
 汗ばんだ口からつばが盛大にとぶ。
自分より年上の警官にゆさぶられながらも、奥村と呼ばれた若い警官は前方をぼうっと見ていた。
 コンクリートの壁に足をつけたまま、重力が存在しないかのように、壁に対して黒い躯が垂直に立ち上がる。
「…いぶつ」
「はァ!?」
 険しい表情を浮かべながら、警官が奥村の制服から手を放す。
「いや…怪物が…」
 噛み後もまだ痛々しい、奥村のひとさし指が前方のビルの壁面を指す。
しかし、そのビルの夕日を反射した壁には何も無かった。
 かすかにそこにかすかに穿たれた何個かの小さな穴を除いては・・・・。

『大根がさー、1本600円だって――。』
『そうそう、ふざけろよって感じよね〜〜。』
オレンジ色に染まった長い遊歩道のなかを2人の買い物かごを持った主婦らしき女性が、のったりと歩いていく
 ベンチに腰掛けたまま、玉蔵と、国木田はそれをながめていた。
「なぁ…?」
隣からかすかにこえた声に、国木田が反応する。
「金太がナニしたん?」
「………」
「わしにわざわざ接触してるのは何か知ってるからなんじゃろう・・・?」
 いかつい顔が、驚きと戸惑いの表情を浮かべる。
「なにを勘違いしてるのかは知らんが」
 その様子を横目に低い声で話し掛けた。
「わしはただのじじぃじゃ」
サァァァ……。
―――――何の変哲もないんじゃよ。
彼らの頭上の、緑葉がざわめいた。
 涼しい風が吹いてきた。
「息子夫婦に支えられ、どうにか暮らしとる。もちろん年金ももらっているがね」
 玉蔵は、国木田と視線が合うと、すぐさま顔を目の前の路地に向けなおした。
「病気だってこじらせる」
カッ!
 視線の先で、スケートボードを転がす数名の若者の姿が見えた。
玉蔵は頬づえをついて、それをぼんやりみながら続けた。
「金太が4つか、5つのときだったかな……フフ」
 玉蔵が、口に手をあてて小さな笑い声をもらす、国木田にはその様子が、自分をからかって笑っているようにみえた。
「ガンを……患ってな。あれは危なかった」
ゴロッ!
「肺をやられてな、あれは…」
「桃さん」
 強い声が、老人の話を遮った。
顔を向ければ、そこには夕焼けで赤黒くそまった険しい、男の顔があった。
「私が何も知らないと思っていらっしゃるのですか?」
 押さえてはいるが、あきらかな批判のニュアンスの入った低い声だった。

「ン―――――?」
 そんな国木田を横目で伺う。
その目つきが、かすかに歪められたことを国木田は見逃さなかった。
「…何?」
玉蔵が小さな目を伏せて、次の言葉を待った。
ゴン!!
『いでぇ!』
 再び視線を交えた彼らのすぐ正面で、ボードにのった若者が転倒した。

 アスファルトの地面がひどく遠く見えた。
道路に沿って規則正しく立ち並んだ建物群れが小さく見えた。
――――engage
「はぁ?」
 アスファルトの地面が彼の眼前へと、次第に近づいて来ていた。
後、数秒でぶつかる・・・。
 そう思ったとき、突如天地が逆転した。
「えっ…?」
 先ほどまで見えていたアスファルトの地面が消え、代わりに目の前に赤紫の空が現れた。
―――『桃 玉蔵さん。』
 都市の上空にかかった赤い空に、黒い影が独り、舞っていた。

「貴方の経歴を失礼ですが私の独断で調査させていただきました」
「へぇ」
『馬鹿っ、コケんなよっ!』
 若者どうしの罵り合う声が彼らに聞こえていた。
「チリもホコリもでない、平凡な人生だったじゃろう?」
 玉蔵はそういうと、そっとその小さな瞳を閉じた。
「ええ…驚きましたよ…」
 夕焼けに照らされた顔が、静かだが、重たく響く声で吐き出す。
「どうしてこんな男が人を殺せるのかと、ね」

かっ!!
 黒い鉄足が灰色の地表にふれる。
ギィィィィィッィィィ!!!
 それは速度をすぐに殺すに至らず、足は地表とはげしく擦れ、火花を散らしながらなおをも足はすべっていく。
シュゥゥ・・・。
 やがて足が摩擦で生じた煙を巻き上げ、ぴたりと地表に接着した。
「ハァ、ハァ」
 黒い、怪物の鋭い牙をそろえた口から、荒い吐息が漏れていた。
「ハァ…」
ゴォォォォォ。
 風が、銭湯の煙突の側面に重力の法則を無視した形で停止した黒い躯を通り過ぎていった。
足の裏を張り付つかせたまま、怪物は呼吸を収めていく。
「うっ」
 ほどなくして、彼は自分が、地面と垂直に立っている事に気づく。
その怪物の目に、自分の黒い手が確認できた。
「も…」
黒い手…自分を襲ってきた武装した男の腕を粉々に握りつぶした、手。
「もうたくさんだっての……」
不意にその鬼面の下から今にも泣き出しそうな男の、くぐもった声が漏れた。
ゴォォォォ!
「元に……」
 怪物の口が、くわっと開かれる。
「元に戻せ!」
『ハイ、解りました』
「!」
 怪物の身体から、水蒸気がすり抜けるように上がってく。
水蒸気が消えていくとともに金太の身体が、元の汚れたコート姿に戻っていった。
 それと同時に足が、煙突の側面から離れる。

ゴ 「うっ!」
頭から落ちていく彼に、猛速度で地表が迫っていた。
「うわぁぁぁぁ…」
『このままだと…死んじゃいますね』
「ぁぁぁぁぁ!!!」
すでに金太の目には、地面にはりついたマンホールの蓋さえ、はっきりと見える。
『折角助かったのに…かわいそう』
金太の引きつった顔から飛び出た涙と鼻水が、上空へ伸びていった。
『………あれ?』
「ひぃ・・・」
金太は下から激しく叩きつける風と恐怖に、耐え切れず目をつぶった。
『ちびっちゃったんですか?』
――――ボッ!
 煙突を縫うように、突如まきおこった水蒸気が上昇がしていく。
その白い吹き溜まりの中から、黒い躯が跳びし・・・
ゴォォォォォォォォ……。
宙へ駆け上がっていく。

「警視庁に、迷宮入りした事件を扱うセクションがありましてね・・・・金太さんの名前が出たとき、まさかとおもい、そこで貴方のことを色々と探らせていただきました」
「……」
「そこで働いていた知人に、非常に有能な刑事がおりましてね・・・」
「……」
「その知人が、あなたの関わった事件に、ひとつ面白い仮説を立てた」
「……」
「…あなたが全ての事件において、犯人だというね」