「どうしたの? 雅夫さん」
 里美は、玄関に立つ夫の姿をみながら心配そうに言った。
青々とした髭剃りの跡のめだつその顔は、深刻な雰囲気をどことなく漂わせていた。
「…父さんところに客が来てる」
 桃 雅夫は、いつも彼女にかける声より低いトーンでそう告げる。
「あ…。そういうことだったのね」
 かってに納得する妻の表情を、怪訝そうに雅夫は覗き込んだ。
「うぅん…なんでもないの。お義父さんったら、お菓子がほしいとか急に言い出すもんだから」
 口に手をあて、笑いながら応える。
「……」
「でも、こまるわぁ、今日金太の学校のお友達が来るって言っといたハズなのに…勝手にお客さんなんか呼んで」
 雅夫は彼女が明るい声とは裏腹に、表情は少し硬くなってる事に気づいた。
「たしか、ようかんが冷蔵庫にあったわね、あれをお出ししましょう」
 そんな彼女の様子をうかがう雅夫を意にかえさない様子で、そういうと里美は踵を返した。
が。
 その肩が急に後ろから伸びて来た手に引っ張られた。
その手を受けて、里美は驚いた表情で、振り返った。
「…何?雅夫さん…?」
「あの男…」
 雅夫の口が、重たそうに動く。
「警官かも知れない…」
「えっ。」
里美の表情が、驚いたまま曇る。
「なんとなくだが、物腰がそんな感じがした…多分」

 鼻におおきなできものがある男だった。
てっぺんがすでにほとんど無くなり、周りも白くなった頭、しわの深い顔。
 男は、言うならばすでに老人に近いかもかもしれない。
しかし、その顔はどこか、それと見て解る精悍さがあった。
『多分、金太の事だ…。』
「どうぞ…。」
 オレンジの光差し込む板張りの空間で、自分と対峙する目の前の老人が、自分に黄色いポテトチップの盛られた皿をさしだした。

 ハァ…ハァ…。
暗闇の中、その一点を目指し、彼は上っていた。
「ハァ…」
 目指す先…光が微かに漏れる場所に近づいていく。
ハァ…。
 遂に彼は光がもれる、その箇所に手が届く距離までたどり着く。
「…くっ! うん!!」
 彼は、奥歯をおもいっきり噛み締めながらその場所を懸命に掌で押す。
ギィ…。
 その場所が動くたび、それまでかすかだった光が一気にあふれてきた。
ギィィッィ。
 予想だにしなかったまぶしさに彼は目を瞑った。
薄くオレンジ色に染まったビルが、一斉に雲の張った薄暗い空めざし伸びていた。
「…………」
――Pxixixixixixi!
…車のクラクションがすぐ近くから聞こえた。

――――工事中――――――――。
 マンホールの外は、そう書かれた看板と簡易なオレンジのフェンスで覆われた歩道の工事現場だった。
「ぅ……」
 どうにかして、マンホールから這い出ると、金太は痛む頭を小さくなでる。
そうしながら、自分の汚れた左腕を目で見える位置まで持ち上げて見た。
時計の汚れた盤面に、18:00という赤い数字が浮かびあがる。

 通行止めの小さな柵をまたぐと、タイル張りの歩道に、足が付いた。
「……」
 金太の小さな瞳が、その足元のタイルを見ていた。
―――ようこそ 電気の街アキハバラ。―――
 黄色く丸い、可愛らしい外見のペットロボットのイラストが描かれた白地のタイルには、彼の立つ場所の地名と特徴が、黒い字で簡略に書かれていた。
「アキバ…」
『Pxixixixi―――!』
 ぼやく彼の背を、車道をとおりすがる水色の車のクラクションが叩いた。

「今、あなたのお孫さん。そしてこの日本で進行している状況…。」
 老人の顔半分に、オレンジの陽光がかかっていた。
「すでにご理解をいただいているかと、思います」
その顔の、また半分に影が生まれていた。その影のなかから、小さな瞳がかすかな光を放っていた。
ゴトッ。
「…率直な話、現状での私の心証は」
 男の手が、床の上の皿に手を出す。
「……」
「上の人間達とは違います」
パリッ。
 男の口の端から、黄色い破片が落ちた。
それを見ると、老人の口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「……?」
 老人のその表情を見たまま、ポテトチップを持った手が宙で静止した。
コホン…。
「国木田さん、外に出ますか…?」
 取り繕うようにせき払いをした後に、老人は言った。
「?」
「ここは狭すぎる」
 急な申し出に戸惑った様子で眉をひそめる国木田と呼ばれた男に向けて、彼は言った。
「解らんだろうな…」
小声で誰にでもなく、つぶやきながら老人は立ち上がり、戸に手をかけた

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