はっ!?
          金太は、目を開けた。 
        ――おじぃちゃん
          ――きんた     (2003年)  
          ――ちこ
          「……?」
           木製の柱に、上から並ぶようにして人工的な傷がつけられていた。
          そして、その傷の横には黒いマジックで名前と日付が書かれていた。
          「ここは…」
           金太は、柱一点を見つめていた自分の顔をあげた。
          彼の目の前には、穴が開いていた。人家の壁に、人工的に空けられた部屋の入り口である。
           その入り口の先に、彼が『見慣れた』光景があった。
          しごく一般的な、キッチンとダイニングテーブルがつながった、住居の一室である。
           見れば、更に彼にとってごく一般的な光景…
          キッチンでフライパン相手に料理をする母親の姿や、椅子に腰掛け新聞を読む父、床に座り込んでTVを見る妹の姿があった。
          (ここは…。)
          「あなた、お義父さんまだかしら?」
           母親が目玉焼きを皿に移しながら、ダイニングの父に言った。
          「ん…?また、長便してるんだろ…。」
          「もぅ、お父さん!! きたないよ!! あ、ユンファ!!」
           床の絨毯に座り込んだまま制服姿の妹が抗議し、またすぐにTVに釘付けになった
          「こら、知子(ちこ)。朝から香港映画なんかみるんじゃありません」
          母親が出来上がったベーコンエッグの皿を運んで来た。
          「だぁってぇー…お兄ちゃんが、ずっと借りっぱなしだったんだもん。これぇ」
           妹の知子が、母親の方を少しふりかえって言った。
           金太は、その光景をドアの前から、呆然として眺めていた。
          「金太、そんなところで何ぼーっとしてるの? 早くしないと学校に遅れるわよ」
          不意にかけられた母親の言葉で、金太は我に返ったような気がした。
          「ああ…うん…」
          金太はダイニングの方をむいて答えた。
          「なんかさぁ、きょう変な夢見ちゃったよ…」
          「どんな夢?」
           母親が、朝食を並べる手を休めずに尋ねる。
          「オレがさ…殺人犯かな? なんかトンデモナイ犯罪者で、警察の特殊部隊みたいなのに囲まれて撃たれる夢なんだ」
          「ほう……それで」
           父親が新聞の下から、金太に訪ねた。
          「その後が…なんか、わけわかんねぇんだ…オレがさ、そいつらに撃たれたと思ったら、オレがバケモンに変身して、そいつらを倒しちまうの。なんかマンガみたいだろ?ハハハ…」
          「それ、夢じゃないよ」
           ダイニングの敷居をまたごうとした、金太の足が止まった。
          「え…・?」
           金太の目の前には以前、変化の無いごく通常の朝の光景が展開されていた。
          「今、なんて・・・?」
           金太の位置から彼らの顔が見えない…。
          みな一応に背を向けるなり、新聞紙で顔を覆っている。
          その時、金太は敷居をまたいだ自分の足が動かなくなっているのに気付いた。
          「…!」
           見れば……。
          彼の足元、本来なら床がある場所に『沼』ができていた。
          ピンク色の光を放つ奇妙な沼に足が沈んでいく。
           金太は慌ててそこから足を引こうとする。
          が、彼の後ろにも先程まで無かったはずのピンク色の『沼』が出来ていた。
          「…っ!?」
           気がついた時にはもう、金太の下半身は『沼』に呑み込まれていた。
          「た、助けて!!」
           金太は大声で彼の家族の方に手を伸ばす。
          …だが、そこには、見慣れた朝の風景が続いているだけだった。
          まるで、金太の存在を忘れたかのように金太の声を聞く者は居なかった。
          「た…………」
           やがて、ぶくぶくと泡を立てて、
          金太の身体は静かに『沼』に沈んでいった。
        ACT:06「怪物」
        
        
        
        
         
         
         
         
         
        「あっ」
         ザァアア――――。
           金太は暗闇のなかに独りでいた。
          「………」
           その目が、次第に闇に慣れていく。
          ザァァ―――・・・。
           かび臭い闇の中で、音をたてながらうねるものがあった。
          「下水道…」