――『君は現実の戦いを知らない・・・。』
逆光を背に、皮肉気に緩ませた口元から、白い歯がのぞいていた。自分と同じくらいか、少し高いか、いずれにせよ長身の 赤い服をまとった男性。
その男が、出口から光源を背に、彼を見ていた。
―――――『彼女を追うつもりかね?生徒会長。』
ほこり臭い・・・飛び箱の山とバレーボールのかごに囲まれた薄暗い空間。
体育倉庫である。
ひとりの若い青年のはだけた胸元が光で浮き彫りになる。やがて光は、その乱れた前髪を照らし、彼がその空間の真ん中 に位置するパイプ椅子にもたれて、うつむいている事を露にする。
『君には、無理だ。』
光が彼の足元に伸びた。
彼の足元には、羽根が落ちていた。
散らばった、白い、乾いた蝶の羽根だった。
『・・・汚い真似は嫌いかい・・・?』
男の皮靴が、ゆっくりと歩を進めていく、男の背と芥との距離がその進み比例して、遠ざかっていく。
芥は成すすべも無く、それを見ていた。
(何ができるって・・。)
男の背を目で追う芥の眼鏡に、通過する電車のボディが写っていた。
―――グロォォォ!!!
黒い四肢が、駆けてくる。
―――ハァ、ハァ・・・。
二組の短い足が、必死に茂みの中を駆けていく。
「金太ァーーーー!!」
眼鏡をかけた、7、8歳の子供、芥が走りながら振り向いた。
「きっ、木!!」
汗だくになりながらも、必死に地を蹴る芥は、眼前を指差した。
「のぼんぞォーー!!」
『無理だよォ・・・・。』
いつのまにか、その声の主は自分から随分遠ざかっていた。
彼を見ながら芥は、目の前の太い木の窪みにかけはじめた。
『オレ、芥ほど足早くないし・・ハァ・・・木登りなんか・・・。」
半泣き状態で、芥と同じ年頃の子供が草むらからのろのろと出てきた。
そして、それと同時に・・。
「!」
その横から、大きな、黒い固まりがものすごい速度で飛び出した。
『できないよォーーーー。』
「かまれンぞォォ!!!」
すでに自分の身長より高い所まで上った芥が、下の子供、金太に向かって悲痛な叫びを上げた。
『え゛?』
金太はその時初めて、自分に向かって黒い、大きな、口に湿った牙を備えた・・・一匹の犬が飛び掛かってくるのに気づいた
『あ――――。』
黒い固まりが、金太を押しつぶそうと迫るー。
「ヒッ!!」
―――――ガワッ!!!
芥は思わず声を上げ、顔を伏せながら幹にこれ以上無いくらい強い力でしがみついた。その耳に犬の雄たけびが覆い被さっ た・・・。
「・・・・まてよ・・。」
声は、頭をたれ、生気なく立ち尽くす芥のものだった。
男の背中が、止まる―――・・・しかし、すぐにその瞬間の行為を取り消すかの如く、再び歩みは始まった。
「・・・・・っ」
芥が口元を、くしゃっと歪める。
そしてその口が、次の瞬間すぼめられた。
「待てよッ! オッさんッッ!!!」
男の背を、微かな空気の揺れが叩いた。
彼が、振り向いた時。
すでに芥の身体(からだ)は、すでに彼の目と鼻の先に踊り出ていた。
野木 芥。
汗をたぎらせながら、その表情が震え歪んだ――――。
「オオオオオオ――――ッ!!!」
叫びとともに、足が飛び出していた。
バッ!ラ!!!
男の頭部を刈り切るような動作を見せ、芥の足は、その頭部の数本の毛と、白い髪留めを引きちぎっていった。
男の顔が、重力に従うままに落ちてきた自分の髪に隠れる。
「おぅうっ!」
見下ろす芥の血走った目が、屈みながらその蹴撃をやりすごした男の、赤毛の合間からわずかにのぞく長いまつげを備えた瞳と対峙する。
「!」
芥の目は、男の手元・・・握られた真剣の姿を見逃さなかった。
「チィッ!」
(間合いっ)
通り過ぎた芥の足が、空中で再び今通り抜けた軌道を戻る。
それは男の鼻先を掠める。
(作戦っ)
芥が、奥歯をかみ締めた。
――作戦さえあれば・・・頭さえ使えば・・!
「予想外だな。」
顔にかかった髪を掻き分けながら、
未だ方膝をついたままの姿勢で、男は言葉を返した。
それに焦りの色は薄い。
――誰にだって敗北(まけ)ない!
『ちくしょ―――!だせよォ!』
『おまえら、ぜってェころふ!!』
複数の声が、穴の中から聞こえていた。
蹴りに使った左足の着地とともに、芥の軸足が切り替えられた。
「フンッ!!」
右の足が前に出るとほぼ同時に、目の前にあった男の顔面に膝が打ち出された。
――――――― 『すげっ!すげっ!』
しきりに叫ぶ、自分と同じ青い幼稚園の制服姿の子供が彼の横に立っていた。
『芥っ!すげぇ!』
彼らの眼前にある穴を覗き込んだ後、その子供は声を上げた、その歓声をもう一人の子供は、黙って聞いていた。
『卑怯だぞっ・・・・う』 「おとし穴、ほっただけだよ」
『がーじゃんにいいずけたる・・ぐぅうぅぅ。』
『・・・・・。』
夕日が、彼のゴムバンドつきのメガネに反射して写っていた。
――――カァ・・カァ・・。
歓声を上げた方の子供は、再び穴を見ていた。
『でもさァ、カン坊って小学生やっつけちゃったことあるんだよォ!でかい犬も、飼ってるし!」
「犬は関係ないと、われおもう。」
歓声を浴びてる側・・目がねをかけた切りそろえた髪の子供が服の袖を鼻にあてた。
『・・・われ?』
『だせよ!たのむっ!この穴からだしてくれ!』
自分のほった穴の中から聞こえる悲鳴を聞きながら彼は少しうつむいた。
『ねえ、芥。』
つれの声に気づき、彼は振り向く。
『助けなくていいの?』
その指は落とし穴にむいていた。
(さくせん・・・こうしなきゃカードも全部盗られてたし、おれも金太も殴られてた。)
落とし穴のなかで、3人の子供がダンボールを背にひっくり返っていた。
『ねぇ・・・。』
「ずのうぷれぃだよ、金太。」
『?』
いぶかしがるもう一人の子供の頭を、どろで汚れた手で叩きながら芥が言った。
「あたまっ。」
―――カァ、カァー・・・。
「ハァ・・・ハァ・・・。」
芥の息が荒く、早くなる。
芥の膝は男の顔面にとどく直前に、彼の掌により停止させられていた。
「最後に言っておく。」
掌の下から、切れ長の瞳が冷ややかに芥をのぞいた。
「刀を、拾え。」
男の視線の先の先、芥の背後に一握りの鞘に包まれた、もう一方の真剣が落とされたままあった。
(・・・作戦っ。)
「ひっ・・・。」
芥の強張ったままの表情に汗が一筋、流れていく。
(これも作戦っ!)
「かかるかっ!!」
ちぃ!
芥の右手が素早く、男の掌を薙いだ。
全力で、芥の表情が凝固する。
間髪入れず、眼前の整ったマスクにむかい、拳が打ち出される。
――俺は・・・。
男の顔面に拳が届こうとするとき、男の手が持ち上げられた。
――可能な限り、『気高く』。
男の手が停止すると、ともに。その眼前まで迫った拳も停止した。
――フェアプレイに徹したつもりなんだぜ・・・?
・・・・・熱い。
芥は男に正拳を当てる直前に、完全に動作を止めていた。
・・・・・熱い?
芥が顔の側面を押さえた。
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