じー、じー。
 東京と言っても、どこもかしこも喧噪に包まれているワケではない。
人がいるかどうかすら妖しく思えてくるほど、住宅街の中というのは静かだ。
 ましてや、寺の墓地となればここはその中でもひときわ静かだろう。
・・・記録的な冷夏のせいだろうか、今年は例年よりセミが元気がないように感じる。
 そんな事を考えながら、その女性は目の前の墓にかがみ込み、手にした花束を置いた。
 年の頃は20代、モデルの様なそのルックスは美人の類であると言って差し支えはない。
メッシュを入れているらしき色違いの前髪をかき上げると、彼女はどこか哀しげな目で目の前の墓石を見た。

桃家 一同
 そう書かれた、黒い石づくりの墓標。
(本当は、こんなところに眠ってないのにね・・・。)
 彼女は屈めてた腰を持ち上げた。
(桃君・・・・・。)
 じー。じー。・・・・・・・。
 あんなにうっとうしかった盛大なセミの声が何だか愛おしい。
そんなのは、人間のエゴである事は承知だが・・・そうおもいたくなるような元気のないなき声だった。

「えーっとこっちだよなぁ・・・。」
 つぐみは手元の拡小サイズでコピーされた地図を見ながらつぶやく。
「えーっとそれから、左いって、そんでもってそのまま直進と。」
一人、頭の中にうずまき模様を浮かべながらも、つぐみは地図と悪戦苦闘していた。
「ふぅ・・・オレってやっぱA型だし・・・地図見るの苦手なんだよなぁ・・。」
 血液型がAだから、地図を見るのが苦手なんていう話は実はつぐみ自身すら聞いたことがないのだが・・・。とりあえず、ここらの入り込んだ地形と自分の不得手を血液型のせいにすることにしたのだ。

「まぁ、だいたいわかったし・・・。」
 妙に気の抜けた表情でつぐみは呟く、いつもに比べ、今日のつぐみはどうも独り言が多く、表情の変化が激しい。
 それもこれも、芥が妙に話ずらい気配を漂わせてるせいだ。いつもはそんな感じでは無いのに、今日は妙に機嫌が悪い様に見える。
(遅刻したこと怒ってんのか・・?でも普段そんなキャラじゃないしな・・・・・・・あれ?)
 つぐみは、すぐ横にいた芥が消えてることに気づいた。更に・・。
「テツ?」
足下をうろついてたはずのテツも消えている。
「グゥ、グゥ!」
と、彼女の後ろから聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。

 つぐみが振り向くと、そこにはすこし古い感じを受ける木造の小さな家があった。
『徳竹古本堂ー古書、文庫、古雑誌、漫画ー』とかかれた看板がぶら下がっている。
 その古本屋のセール品が山積みになっている店先に、芥の背中があった。
「グゥ!」
「偶然もあるもんだな。」
 近づいたつぐみに、テツを抱いた芥が声をかけた。
「?」
「ホラ。」
 釈然としない様子のつぐみに芥は手にした古雑誌を見せびらかした。
写真が使われた表紙に赤く、TIMEという文字が踊っていた。
 TIME誌、いまもなお世界中の人間が読んでいる米国の雑誌である。
だが、注目すべきはその表紙に使われている写真だ。
 毎回「時の人」のショットが載ることで有名なその表紙に使われてるのは、お堅いニュース雑誌には不釣り合いとも言えるパタPiを腕に抱いた、色は違うが、同じデザインの制服を着た5人の少女の集合写真である。
 その写真の真ん中に、制服姿の黒い髪の少女がいた。

「これって、オレ達が中1の時の・・・。」
 その写真に写っていたのは中1の時のつぐみだった。
「東十条、あの頃から有名人だもんなぁ・・・。」
芥は雑誌を元の位置に置くと、しみじみと呟いた。
「あいつもうらやましがってたよ。」
「・・・・・・。」
(あれだろ、前、宇宙行くとかなんとかってのに選ばれたって・・つぐみちゃんすっげぇよなぁ。)
 つぐみの脳裏に少年の声が蘇った。
(同じ中1だったのに・・・宇宙まで行こうとしてるってヤツがいるって、なんかぁ・・)
その、少年は妙に照れくさそうにしていたことを彼女は覚えている。
(オレも・・・1度位行ってみたい・・・ってちょっと思ってたんだ・・・・。)
「宇宙。・・・か」
(そんなに対したトコじゃないのにな・・。)
「東十条、どっちいくんだ?」
 芥の声がつぐみの耳に届いた。
「えっと・・・ここを左に・・・」
「そういくより、こういった方が近道じゃないか?」
 芥が、つぐみが手にした地図をのぞき込んで指図する。
「え?そうするとこーが、こーで・・・するとこーなって、そんで・・・あァ〜〜〜〜わっかんねぇ〜〜〜!オレA型だから地図見るの苦手なんだよ!!」
「って、言うか・・・俺もA型だけど・・」

「ふあ〜〜〜っ・・・。」
 大滝秀二はひとつ、大あくびをした。
「はい、どうぞ。」
 その横から、白い手に乗ったマグカップが差し出される。
「あぁ、コリャ面目ない。」
 大滝、その柔和そうな小男は、目の前の若い女性に感謝の言葉を述べた。
平均的な美人と言うのが相当であろう、色白な薄化粧の白衣の女性。
「ほんと、すみません・・・お忙しい中、こんな厄介な頼み事を民間人の貴女にしてしまいまして。」
大滝は頭をかきながら、女性に礼を述べる。
「いえいえ、それは言わない約束ですわよ」
女性はそういいながら、別の手に持った資料を大滝に手渡たした。
「大変ですわね・・・・公務員というのも」
 ずるずると音をたて、大滝はコーヒーを喉に流し込む。
「いやぁ・・・まったくです!」
 カップを机の上に載せると、彼はそう吐き出すように言った。
「コッチは上のお偉いサンのためにやってるってのに、同業者に邪魔までされて、命からがら逃げ延びた挙げ句、職場に帰ることもできないんだから。」
「フフフ・・・憎まれ役というのはどこでも損な役回りですわね。」
 白衣の女性は、机の上のビン入り牛乳に口を付けた。
「でも仕事はキチンとしませんとね、大人ですから。」
大滝はホチキス止めした資料をパラパラめくりながら答える。
「ところで・・・どうしてそんなものが欲しかったんですの?」
 彼女の声にも、大滝は資料から目を離さない、その手が止まっただけだ。
「何の変哲も無い10代後半の少年・・・しかも故人についての公式な記録・・・。」
大滝の声は静かであったが・・・・彼女は何故か鋭い剣幕で迫られてるかの様な錯覚を得た。
「やはり、不可解ですか?」
 大滝は柔和な笑顔を再び資料の中からのぞかせた。

――2014年2月某日。正午過ぎ。
高速川崎I.C付近で軽自動車と10tトラックによる衝突事故。

 資料に張り付けられた衝突の瞬間をとらえた写真は、道路監視システムがとらえたものらしい。
そして、添えられたもう一つの写真には・・・。

 衝突後、数10m以上引きずられた後、高速道路の壁に衝突し、軽自動車は大破・・・。間もなくして爆発炎上。

 先ほどの写真と続きのものらしい、爆発が起きた瞬間をとらえた写真が添えられていた。

 車の運転席付近の炎上は激しく、ドライバーと思われる人物の遺体はほぼ完全に燃焼していた。
軽自動車の後部につまれた荷物の中からドライバーのものと思われる学生証を発見。

それによると軽自動車を運転していたのは、都内の私立高校2年。

 正面と横からの2種類の、大柄で愛嬌があるといった顔立ちの少年の写真だった。

――桃 金太(17)。その後の遺体のDNA鑑定も一致したため本人と断定。
(マスコミ報道では少年と訂正)

 彼は、事故当時に1週間以上家に帰っておらず・・・。

家族から捜索願いが出されていた。

 軽自動車は後部ナンバーから盗難車と判明した。
桃 金太(17)は無免許運転であった。

――トラック側の運転手の証言、監視カメラの写真から。
高速道路の中央で停車していた軽自動車に全面的に過失があったと結論づけられた・・・・。

「でも・・・。」

 芥はつぐみの方を向いた。
「やっぱ信じられないな・・・。」
 つぐみの声にはどこか曇った響きが込められていた。
「俺もだよ・・・・。でも」
 彼らの目の前では若い女性・・・・彼らの担任が墓前に線香を添えているところだった。
墓地には彼ら3人しかいない。やけに力のないセミの声が彼らのまわりの温度を下げているかのようにも感じられた。
 線香の煙が漂い、太陽の光が水を浴びたばかりの墓石に反射した。
つぐみと芥の2人は、眼前の教師が手を合わすのに続いて合掌した。

じー・・じーーー・・じーーーー。
 今日の日差しは冷夏を久々に夏らしく変えるほどの暑さを持っていた。
じ―――・・・・・。
 セミが木からしびれを切らせたように飛んで離れた。
芥達は眼をあけた。
「やっぱ・・・受け止めないとね・・・・・。」
―――金太が、死んだってことを・・・・・。
 つぐみも、芥も、担任の蒼斧も。
悲しいとは思わなかった。
 しかし・・・・。
ただ、寂しさと空虚さが、各々の胸の内に残った・・・・。