―俺は・・・。
           『彼』はその場を見渡した。
          元は倉庫か何か使われていたのか・・自分の周りには埃の被ったマネキンが散乱していた。
          それは奇妙な光景だった。マネキンがあたかも生きていような幻覚を『彼』は覚えた。
          ―ここは廃屋だ、何故こんな所に俺は居る?
           まるで自己主張をするように手を上げ、または寝そべり、あるいは表現する手を奪われたマネキン達の海を『彼』はぼんやりと見ながら記憶を整理した、が。
          ―思い出せない・・。
           記憶はすぐに出てきた・・ 追われ、追い込まれる自分。逃げ出す自分。やかましく、赤く点滅するサイレン。 「止まりなさい」という警官の拡張機ごしの声。 
            
        
 何故逃げるのか・・それは・・。その理由は・・。
          どくん、どくん・・。
          心音が早くなるのを彼は厭なくらい感じた。冷たい汗が伝う。
          「俺は・・・」
           自分の両の掌を見る・・。
          ―赤い・・。
          渇いた赤だ・・すでに血は固まり、皮膚と同化している。
          ―俺は・・。
           ・・・試みに吐いたその言葉を彼は後悔した。
          「誰か・・殺したのか・・?」
          ドク・・ドク・・ン。
           震えが彼を襲う。違う。という内なる声を必死に彼は外にだそうとした。
          が、それを邪魔する物があった。
          記憶だ。
          ―思い出せ・・・。
           いくらそう自らの脳へ命じても、彼は在るべき記憶を見つけ出せない・・。
          ―解らない・・
           ・・・思い出せない。
          そんなはずは無い。自分の記憶だ、身分証明署よりも、個人情報よりも自分には・・自分についてに確かな情報だ。
           だが・・それが無い。欠落している。
          何故?
          何故か・・?
          「解らない・・・」
           彼は忽然と呟いた。
          動かない景色のみが・・彼の呟きを吸い込んだ。
        「こちら『エドノキバ』・・目標の熱源再探知・・。目標の半径300m以内に接近」
          「目標を目視で確認。」
           雑音交じりの声が無線を通して聞こえる。
          「了解した・・映像を送信せよ。」
          通信機器とディスプレイの並ぶ指揮車の中で半川は極めて業務的に仕事をこなす。
          普段より無表情で知られる彼だが、職務中はそれに磨きがかかっている。
          「エドノキバーF01の内臓カメラからの映像、入電しました」
          「見せろ。」
           この男の笑顔を想像できる人間などそうはいまい。
          鉄のような無表情を微塵も崩さず彼はディスプレイを睨む。
          「目標にちがいないですね・・」
           声は背後の男に向かってだった。
          「うーんいやなんとも・・もうちょっと拡大できます?」
           場違いな呑気さを含んだ声で・・これまた場違いなYシャツ姿で小柄な男・・大滝は指示する。
          ディスプレイ内の映像の1個所がマーキングされその部分が拡大される。
          「ふーむ・・」
           大滝は判断に悩んだ。小型カメラから送られてきた不鮮明な映像、さらに暗所での撮影という悪条件も伴えば映像の不鮮明さにも磨きがかかる。しかし、意外と目標の距離が近いせいか相手の顔は判別できた。
          「ん〜ん・・」
           大滝は手元の写真とディスプレイの中の・・少年といっていいのだろうか・・写真のなかのブレザー姿の男は大柄だが愛敬のある目のせいかどこか頼りない、間の抜けた感じの少年・・そんな感じの男性だ。カッコイイという言葉はあまり当てはまるまい。そんな顔の少年だ。    
          
        「17ですもんね・・そりゃほっとけば髭も生えるでしょうね・・」
           ディスプレイの中の少年と言うべきか青年というべきか、17歳と言えばちょうど外見的にその区別が微妙な時期だが・・。
          その区別を画面の向こうで上げた顔に生えた髭が更に難しくしていた。 
        「で・・・どうします?」
           半川の声で初めて自分が1人ごとを呟いていたことに大滝は気づいた。
          「・・まぁ、まず違いないでしょう」
          相変わらず呑気な声だ。しかし・・。
          「では・・委員会の決定通り射殺・・・」
          返答の言葉は、あまりにも殺伐としていた。
          「んー。まぁ・・でもそうはいかないでしょうな」
           半川は車の外を見上げ、小さく舌打ちした。
          プロプロプロ・・・。
          どこで嗅ぎ付けたか・・。
          「蝿どもが。」
           半川は毒ずいた。
          「おやおや・・一応我々のパートナーなんですから・・そう悪く言っては失礼ですよ。」
           半川はその言葉が聞こえないかのように宙を見上げた。
          彼の目線の先・・。上空を低音ともに舞うヘリの胴体には警視庁という文字が刻まれていた。
          「・・委員会の決定は・・」
          「まぁ・・彼らも同じでしょう。それなりの準備できたようですし・・」
          「SATか・・」
          ふぁぁんふぁぁん・・。
           半川は道路の向こうからサイレンを鳴らし向かってくる輸送車を見とめる。
          「今回はなにやら事態が特殊なようですよ・・委員会どころか、防衛庁でも色々あったようです」
           そんな話にも半川は表情を変えない。しかし彼はその状況の意味するところを理解していた。
          彼ら・・・公安機動隊の出る幕であるという事は相応の事件、通常の警察では対処が困難な状況という事だ
           しかし、そのたびに非公然の部隊の手を借りていては警察としてはメンツがたたない。
          さらに本来荒事専門であるはずの彼らが捜査権を持っているというのが警察庁幹部の反感に拍車をかけた。
          
         軍隊と見まがうほどの装備。警視庁隷下に便宜上属しながら、上は国家公安委員会のみという特例的なその組織構造・・・公安機動隊は元は5年前起こった「E事件」の反省として発足した組織である。
          そのためその存在意義が今国会でも非公式討議されている。
           そして、彼らが誰よりも目の上のたんこぶなのは、彼らの兄、警察機関にほかならない。
          彼らは「E事件」の余波である一連の「ローゼンクロイツ騒乱」が鎮静化しつつある最近では、その存在意義の是非を上げ公安機動隊潰しに奔走している・・というのが公安機動隊を囲む現状だ。
        「・・エドノキバF―01より再度入電・・・目標に動き有り・・・映像入電」
           通信要員の声で彼らは車内に視界を戻す。
          彼らの見つめるディスプレイの中で柱にもたれてた『彼』が起き上がり出した。
          「こちらに気づいた、という訳ではないようだな・・。」
           半川は無線機を取った。
          「エドノキバへ・・3分後突入せよ。」
          「了解」
           班員達火器を握り締める。半川の元にも著しい緊迫が伝わるのが解る。
          「しかし・・・なんでまた年端かもいかない少年をよってたかって殺そうとしてるんですかねぇ?」
          「自分には解りかねます」
           半川の無表情は崩れない。
          「が・・」
          外で大きくなるサイレン音を聞きながら半川は呟いた。
          「『彼』は我々の獲物です」
          ディスプレイの中でその運命を知らず立ち上がる彼を見届けながら言う。
          「そうですか。」
           こちらも笑顔を崩さずに大滝が車外へ出る。
          曇り空のした、向かいくる赤い点滅・・。
          彼らの相手は彼がしなければなるまい。
           彼は、再び手もとに視線を移す。
          「桃 金太・・・」
          そう、写真の中の少年に呼びかけた。
         
        