ヒュウウ…。
隙間風が床のホコリと、そこに落ちていた人形の、毛糸の髪の毛を軽くなでた。
顔を上げ、少女は風の入ってきた方向を向く。
部屋には、彼女しか居ない。
白く、尖った瓦礫の山々を縫うように伸びた砂地の道が、少女の虚ろな瞳に映った。
身にまとった布切れの端を手で抑えながら。
少女はベットから身を起こした
カーキ色のジャケットと、同じ色のヘルメットを付けた男が瓦礫交じりの砂地の上を走っていた。
男の影が、路肩に放置された、キャタピラの外れた灰色の戦車の横を通り過ぎる。
…ふいに、砂を蹴っていた男のブーツが転がっていたブロック片を踏みつけたまま止まった。
ゥゥゥゥ…。
広い、砂地の道の先…。
遥か向こうに見える山々を背にして。
砂煙の中に、男はそこに立つ人の姿を認める。
ジャリッ…。
白い素足が地を踏みつける。
男の数メートル前で、その行き先を塞ぐように立ちはだかっているのは、申し訳程度に残った、ボロボロの黒い服に身を包んだまだ若い女だった。
男は、怪訝そうに口元を歪ませながらも拳銃を取り出し…腕を突き出し構える。
だが、その白い素足は歩みを止めない。
横殴りの風に、女の髪がその顔にへばりつく。
その合間からも、青い瞳が男を睨みつけていた。
ヘルメットの下の口元を微かに歪ませると、男は引き金を引いた。
ビュウウウ…。
風に、砂が舞う。
見渡す限り崩れた白い建物が広がっていた。
無数の黒い煙が、その向こう側から尚をも上がっている。
木片と鉄骨が飛び出た瓦礫の上に、穴の空いたヘルメットと煤け、銃身を曲げた銃が落ちていた。
影がその上を足早に通り過ぎた。
ビュウゥゥ…。
横殴りの風が、フード代わりに少女の頭部に被られた、ボロボロの布切れを揺らす。
深く被られたそれの下から、伏せ目な紫の瞳と、くしゃくしゃになったブラウンの髪が覗いていた。
背後の瓦礫の山から吹き付けてくる風に吹かれながら、呆然とした様子でその口を半開きにしたまま。
彼女はかぼそい足で歩いていた…。
カンッ…!
空薬莢が、男の足元の瓦礫に当り、乾いた音を響かせる。
パンッ!
破裂音とともに、黒い銃のスライドが動作し、新たな空薬莢が吐き出される。
バシュッ!
その、ほんの数メートル先で。
黒い、奇妙なぼろ切れをまとった髪の長い女が、腹部を抑え、体をくの字に曲げた。
だが、すぐに『彼女』は顔を上げ、青い瞳で男をにらみながら姿勢を正す。
腹部を白い手でさすりながら、一歩、一歩『彼女』は男に近づく。
男の顎に冷や汗が伝った。
それを拭おうともせず、男は右の掌で銃底を抑え、狙いを『彼女』の頭に合わせる。
パァン!パァン!
腹に響くような音が二度、崩れたレンガの壁に反響した。
「!」
拳銃を突き出したまま、男は自らの動きを止めた。
硝煙が、その白い顔を抑えた『彼女』の手から上がっていた。
手が外れ、きつく強張った青い瞳が現れる。
『彼女』は、まるで何も無かったかの様に前へ進んでくる。
…やがて奇妙な丸い肩当てをつけた、その肩が。
宙に構えられた拳銃の横に並んだ。
「お前があの子に見せたもが…」
「!?」
泥にまみれた男の顔が、釣り傷に覆われたその頬を見た。
次の瞬間、視界がぶれ、その白い頬が男の視界から消えた。
瓦礫の中でひっくり返った車。
崩れたレンガの向こうに放置された黒い銃座。
紫の服を着た、汚れた人形が持ち主のか細い体の歩みに合わせ、揺れていた。
笑顔を丸い顔に描かれた人形は、その手をボロボロの布切れから伸びた手につままれていた。
ゴンッ!
申し訳程度に地上に張り付いていた、赤いレンガに男の背が当り砕け散った。
骨ばったか細い素足が通り過ぎた後に…。
宙を向いて、紫の服を着た人形は地におちる。
ガシャッァ!!
そのまま、男は無数の金色の尖った弾丸が転がったレンガの陰へ、音を立てて倒れ落ちる。
「お前を…」
前方から聞こえた、震えた声に。
「…う…あっ…」
男は息を切らしながら、レンガの破片と、鈍い金の光を放つ弾丸の枕から顔を上げる。
小さな足跡が、砂地に残された。
それは、木片やブロック片が飛び散った砂利道に延々と続いていく。
「お前らを許さない…」
日の光を背に立つ、黒いズタズタの詰襟の服。
宙に突き出された白い拳が硬く握られている。
『彼女』は焼け残った壁面の前で。
細い体を捻る。
すぅぅ…。
ざらついた壁を白い手がなぞり、ホコリがそれについて起こった。
ビュウゥゥゥ…。
ぼろ布を被った小さな人影が、一本道を進んでいた。
ふいに砂まみれの素足が止まった。
ぼろ布を、頭からすっぽりかぶった少女の眼前…。
ぽつりと残された赤いレンガの上に、こちらに頭を向け、もたれかかる様にして倒れているカーキ色の服の男の姿があった。
そのすぐ下の地面の上には、レンガの破片と金色の銃弾と大きく凹んだヘルメットが落ちていた。
その男の顔を見て…深く被られた布の中の、瞳が大きく、強張るかのように広げられる。
ジャリ…。
レンガの向こう側から、歪な陰が伸びてきた。
少女は反射的に頭を上げる。
ォォォォ…。
「あ…っ」
紫の瞳が見開く。
ぼろ布のフードから覗いた少女の顔に、歪な影が映る。
目の前にある、白い手には、複数の白いコンクリート片や四角い車のバッテリーが、複雑に捩れた鉄骨や金属のノズルで一つに繋げられ、長さが二m程もある棒状の塊が、グリップ代わりの鉄骨によって握られていた。
少女の目の前で、ボロボロの黒い服をまとった女…『彼女』は巨大な瓦礫の剣を片手で支えていた。
ビュウウ…。
少女の背後から、風が鳴る音がまた聞こえた。
ホコリにまみれた幼い顔が、下を向く。
「あなたが殺したの…」
レンガの上で、仰向けになった男の顔と、そのこめかみから砂の上に流れる血を見ながら、少女はつぶやく様に言った。
ゴォォ…。
青い空。
その下で黙して『彼女』は少女の姿を見ていた。
「あなた…」
紫の虚ろな、疲労した瞳が細められる…。
『彼女』が左手に支えている、瓦礫の塊の先端に、真新しい赤い染みがあった。
ぼろ布をまとった少女は、膝をつく。
「死神…?」
ォォォ…。
顔を上げながら、少女は風にかき消されそうな声を発した。
「……」
青い瞳が、ふいに少女のぼろ布から伸び、地面についた足を見た。
「…!」
ぼろ布の中から、その骨が見えそうなくらい細い腿を伝って…赤い血が流れてきた。
それを見て…小さく『彼女』は息を呑んだ。
「ねぇ……」
ズッ…。
少女は再び顔を伏せ、両手で自分の肩を抱く。
「つれて行って……」
コロコロ…ッ
風に吹かれ、彼女の膝の周りにある銃弾が転がる。
ヒタ…ヒタ…っ。
男の頭から垂れた血が、レンガの破片を赤く濡らしている。
「ここに居たくない……」
少女は、目を閉じた。
少し涙声が混じっている事に『彼女』は気づく。
長い、ピンクの髪が揺れる。
『彼女』は、ぼろ布に包まれた少女の横に立っていた。
白い腕が、すっと伸びる。
「…!」
紫の瞳に、驚きの色が浮かんだ。
「ごめん…」
抱き寄せられながら…少女はその女の声を聞いた。
「ごめんね…」
その声は…小さく震えていた。
白い、多くの擦り傷をおった腕が、少女の肩を強く抱く。
疲れた顔の中に…どこか驚いた表情を浮かべたまま、少女は顔を上げた。
「もう…」
『彼女』は膝をつき、少女に目線を合わせるようにして言う。
「大丈夫…だから…」
青い双眸が、彼女を正面から見ていた。
『彼女』はどこか寂しげな笑顔を見せる。
そうしながら、小さく口を開けていたまま、自分を見ていた少女の顔に手を伸ばす。
被られていたぼろ布が外れ、白い手がブラウンの髪をなでる。
はっとしたような表情で、少女は自分の頬をなでる手を見る。
その手の甲に、鈍い輝きを放つ弾丸が埋まっていた。「…痛く無いの…?」
手が離れると同時に、またつぶやく様な声で少女は言う。
「平気だよ…」
ゴォォ…。
あたりに吹きぬけた風が、『彼女』と少女の髪を揺らす。
「君や…彼女の痛みに比べれば…こんなもの」
グッ。
弾丸が打ち込まれた拳を握り締めると、彼女は下を向き、唇をかみ締めた。
――――『彼女』は。
少女のやつれた顔が、その様子を見ていた。
――――何かが足りていない様だった。
レンガの前で、黒い背が動き、少女は宙に抱きかかえられる。
――――とても大切な…おそらくは自分の片割れを探しているんだと…。
抱きかかえられたまま、少女は上を見る。
優しく…青い瞳が微笑んでいた。
―――その時、感じた。
少女の紫の瞳は、じっとそれを見ていた。
ビュゥゥゥゥゥ…。
強い風と、それについて起こる砂煙がレンガに吹き付ける。
その隣で…。
風に吹き付けられながらも、ひと繋ぎになった歪な瓦礫の塊が、垂直に地面に突き刺さっていた。
NOIR