「mikaihoo」&「トリビュート 2 DJマンソン リコード」ムーヴメント史 【1982-2003】

1982 未開封、東京にて生誕。両親のどっちかがグニャティック星人(風の噂)。

アフリカンバンバータが「プラネットロック」を作る。
ファクトリーレコードがクラブ「ハシエンダ」を開業する。

未開封のソウルメイト、杉ちゃんことchamu生誕。

1983 押井守監督作品「うる星やつら2〜ビューティフル・ドリーマー〜」公開。 この作品をはじめとして、押井守の原作を自らのカラーに染め上げる手口、全作品に貫かれる一貫したテーマ。絶妙なコミカルさとリアリズム。メランコリックかつ男気を感じる硬派なドラマ…そしてなにより「我が道を行く」姿勢が、その後未開封とベベルに与えた影響は計り知れない。
1987 後に未開封の悪友となる川崎ベベル生誕?
1988 大友克洋が自ら監督を勤めた長編アニメーション映画、「AKIRA」が公開。世界的ヒットとなり、80年代を象徴する作品となる。
1990 湾岸戦争勃発。
1992 尾崎豊逝去。その死にはいまだ謎が多い。ちなみに命日は未開封の誕生日の4日後。

ファクトリーレコード倒産。

1993 横浜の公立小学校にて、chamuと未開封出会う。
1994 ニルヴァーナのカート・コバーン自殺。命日は未開封の誕生日の13日前。

「KINTA」にてサンプリングされた「BLUE SEED」放送開始。

1995 未開封とchamu、別々の中学に入学。

ブルーハーツ解散。
「スレイヤーズ」放送開始。原作もヒットし、ライトノベルブームが起こる。
「新世紀エヴァンゲリオン」放送開始。後に社会現象にまでなり、90年代を代表する作品へ。

1996 後に未開封に深い影響を与えることになる松本大洋の代表作、「ピンポン」がスピリッツ誌上にて連載開始。
1997 「KINTA」にサンプリングされることになる「少女革命ウテナ」放送開始。だが未開封がこの作品と出会う事になるのは2年後。
「ウテナは俺にたくさんのことを教えてくれたよ。中でも一番素晴らしかったのは諦めないってことだ(未開封)」
1998 未開封都内の私立高校入学。chamuは無事、付属高校に進学。

BM98がネット上にてリリース。明快かつ極端に自由な雰囲気は多くのレーベル、アーティストを排出する。それらは当時ネットにつながっていなかった未開封にも大きなインスピレーションを与えた。
「あそこ(インターネット)にいきゃ、なにかが起こる気がしていた(未開封)」
「あの頃は枠組みができてなくって、みんな無茶やってた(chamu)」

「KINTA」にサンプリングされた作品であり、未開封のターニングポイントとなったアニメ「アキハバラ電脳組」放送開始。

1999 米国にて、エミネムがファーストアルバム「スリム・シェイディ」発表。キッズからの大きな賞賛と、保守的なメディアからの大きな非難を得る。ちなみに日本盤のリリース日は未開封の誕生日と同じ。

「KINTA」にサンプリングされる作品、「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」が放送開始。

未開封、ついにネットにつながる。chamuとともに考えたHN「mikaihoo(未開封)」を名乗る。本名のアナグラムにプラスして、ネット開設日がyahooの株が一億円代を突破した日で、それにあやかったことがその由来。
「まだなにが出てくるかわかんねぇから、未開封(未開封)」

「KINTA」にサンプリングされる作品、「ベターマン」深夜枠にて放送開始。

BMSA(ショートアニメ)のカリスマ的アーティスト、RAICESの運営するサイト「SUPER RAICES BROS.」にてベベルと未開封出会う。

未開封、ネットで知り合った人々や地元の友人に処女サンプリング「スタンド物語」(未発表)を送る。これは「JUOCAFE」を運営するJUOのパロディ作品を下敷きにしたもの。すなわち3次創作だった。だがJUOのオリジナルの匂いはほとんど消え、パロディのレギュレーションをはみ出しかけるくらいハードだったとchamuは語る。
「昔からあいつのスタイルは基本的に全然変わってないね(chamu)」
だがこの作品こそが同時に彼のルーザーとしての、苦難の道を歩むことを決定付けることとなった。当時の仲間たちとはこの作品を発表してすぐ喧嘩別れ。「書けばトラブル」という彼のジンクスもまたここから始まった。

2000 当時、未開封は漫画「犬狼伝説」(原作・押井守/画・藤原カムイ)の影響から、自分のHNの頭に立ち喰い師をつけていた。

ドラゴンアッシュが空前のヒットを飛ばし、日本のヒップホップムーヴメントの火付け役になる。同バンドの「Deep Impact」を聞いた未開封はラップ・ラウドミュージックに夢中になり、予備校帰りにレコード屋の視聴機でラップを聴くのが楽しみの一つになる。
『90年代に入り、刺激され続けてきた細胞が急激な進化を遂げた。山田マンとQという韻を踏む表現者…(ラッパ我リヤ/アルバム『ラッパ我リヤ伝説』より)』

未開封、「labyrinth <--> exit」にて掲示板使用を巡りトラブル。だが、焦りから起こしたこのトラブルこそが未開封を加速させ、彼に「KINTA」のパイロット版を書き上げさせる。
「どうしようもならないっていう、どうやっても理解される方向にいかないっていう。そういう袋小路に立たされた時に俺はキーで物語を叩き鳴らすんだ(未開封)」

mikaihoo/KINTA serial number 0_R

そのパイロット版を持ってアキハバラ電脳組のSS投稿サイト「アキハバラ電脳参加組」に所属。既に完成されていた、全てにおいて独自のスタイルはそこに集ったキッズ達に衝撃を与えた。ちなみに参加組の平均ヒット数は一日20ヒット前後。
『だが最後の晩餐は13人だった。歴史に人数は問題じゃない(トニー・ウィルソン/映画『24アワーズ・パーティピープル』より)』

chamu。ゲーム「悠久幻想曲」を用いたサンプリング「舞い落ちる雪の中で」を未開封に送る。
chamuも「舞落ちる雪の中で」で参加組へ。

chamu/舞い落ちる雪の中で

当時は同メンバーであるチュンスケ(現:「太陽の青空」)のPCゲーム「kanon」のパロディが載るなど、同サイトは「アキハバラ」関連の作品を看板にしながらも原則として規約のない、自由な空間だった。

2001 「谷山ゲームスクール」に強烈な影響を及ぼした豊田利晃監督のドキュメンタリー映画、「アンチェイン」公開。
「梶が、ちょっとだけ他人と思えないんだ(未開封)」

「labyrinth <--> exit」の本多よしかつ(現:由亨)及び彼の作品「STARCHILD Cross World NovelLa Rose et Le Soleil」に対して露骨な発言を繰り返したため、不穏な空気が一時流れる。
「確かにあの頃はそういう奴も、異常なくらいに意識してた。だけども今は違う。奴の作品はただコマーシャルな要素が優れてるってだけで、自分が言ってるほどにも物を創るって事を理解しちゃいないんだ(未開封)」

参加組、閉鎖。同サイトに所属していたニゴイ(現:サークル「ネイティブ」)、チュンスケと未開封の交流は続いている。

未開封、漫画LAZREZ(原作・TKD/画・竹谷州史)に感銘を受ける。
「この漫画は俺にとって『あしたのジョー』みたいなもん(未開封)」

TVアニメ「CCさくら」、PCゲーム「Kanon」、「AIR」等がネットを中心に爆発的なヒット。多くのSSやファンサイト、スレッド、同人誌、評論家が増産され今の萌えムーヴメントの地盤を作り上げる。
未開封は都内の私立大学。chamuは国立大学に進学。
「侍魂」、「ちゆ12歳」といったテキストサイトが開設。ブローバンドによるネット人口の増加と供に、テキストサイトブームのきっかけに。

「当時の俺っスか…?『周りがR&Bとかしかなくて、俺らつまんねぇからラジカセ持って、渋谷ウロウロ。なんか他にねぇのかよつって。今も駅前で座ってるチーマーみたいなのとかいるじゃん。あんな感じ?(K・ダブ・シャイン/キングギドラ活動再開時の会見にて)』…みたいな…(未開封)」


「PROJECT KINTA」開設。当時のWEB製作はヒット数を稼ぐために、極力シンプルかつ機能性を重視する傾向であったが、フォントデザイナーが作ってるような、他にない雰囲気に憧れて設計されたサイトは粗くも新鮮であった。

「谷山ゲームスクール」にサンプリングされる作品、「エンジェリックレイヤー」放送開始。
「ノワール」放送開始。

米国にて同時多発テロ。

「ノワール」放送終了から2ヶ月後、未開封はファンサイト「時に忘れられた楽園」にて新作「クロエさん」を発表。「KINTA」はACT:07で更新停止に。
クリスマス。楽園でのイベントで未開封は「アンチヒーロー」を発表。
「あのパーティは素晴らしかったよ。今でも忘れられない(未開封)」

「谷山ゲームスクール」にサンプリングされた「あずまんが大王」。アニメ化。
「谷山ゲームスクール」に、世界観のみ(それも本編ではほとんど語られないバックグラウンドの一端)がサンプリングされた「.hack//SIGN」放送開始。

「出渕(※)ころす!(押井守の真似をした川崎ベベル)」
※伊藤和典(.hack脚本)、出渕裕(ラーゼフォン監督)押井守はTV及び映画版「パトレイバー」を製作した「ヘッドギア」のメンバー。
ベベルが口癖のように言っていたジョークは押井守と出渕祐がパトレイバーのデザインを巡って対立していた事実による。

2002 ノワールファンサイト同士での軋轢表層化。最大手「NOIRLAND」への不信感が募る。
未開封は同サイトのチャットへの出入り禁止を喰らう。
ファン同士の軋轢、住み分けを終焉させようと、未開封は楽園で知り合った宇都宮の運営する「斜塔」の「クロエ博覧会」と、「NOIRLAND」と関係の深い男性向け同人作家ねこはとのサイト「NHM」での「ミレイユ祭り」へのSS同時掲載を目指すが失敗。
楽園が更新停止。上記のようにファン活動という視点からは理解しがたい行動に走る未開封と、後から参入した2ch出身者との間にわだかまり。

未開封、「PROJECT KINTA」の日記にて「谷山ゲームスクール」連載開始。
未開封に楽園出身者による同人誌、「楽園のわある」への参加の話が持ち上がる。
松本大洋の「ピンポン」、「青い春」映画化。「青い春」は「アンチェイン」の豊田監督による作品で、これが未開封が「アンチェイン」を知るきっかけに。

未開封、セックスピストルズを聴く。
「カート・コバーンはインタビューで『パンクロックは信じられないくらい自分に色んな事に気づかせてくれて、終いには自分がそういうものをずっと持っていた事に気づかせてくれた』って言ってたけど、俺もまったく同じなんだ。パンクロックはなんでウテナの最終回であんなに胸がざわついたのか、その意味さえも教えてくれたんだ。そして、俺がそれから何をすべきかも教えてくれた(未開封)」

同人誌用の作品「ガストロンジャー」完成。暴力描写とレイプシーンがあったため掲載すら危ぶまれたが、そのシーンは元から「ノワール」にあったものだった。
「目を逸らすのがいけないことじゃないし、不都合なことにフタをするのが悪いことじゃない。ただ俺はそうできなかっただけ(未開封)」

『別にグレてるわけじゃないんだ ただこのままじゃいけないって事に気づいただけさ(ブルーハーツ/『少年の詩』より)』

未開封、とうとう楽園出身者にも見放される…かに見えたが、むしろ彼のことを理解する人間は予想以上に多かった。

8月に開催されたコミックマーケット及び10月に開催されたノワールオンリーにて「楽園のわある」販売。2chでの評判は最悪だったが見事完売。
『これはアンセムだ あんたみたいになりたくはない(グッドシャーロット/『アンセム』より)』

「ノワール」のキャラクター、クロエの一周忌に合わせて未開封はリリックを綴る。
それを筆頭として、いままで発表した作品の全バージョン。初の同時掲載を目指しながら失敗し、先の同人誌製作の際生じたゴタゴタでお蔵入り直前となった「友達―クロエ篇―」に、書き下ろし漫画「黒い春」。そして「ガストロンジャー」のディレクターズカットバージョンを含めた「ノワール」を題材としたワンウェイアルバム(ひとつの作品のリミックスのみを取り扱ったアルバムという意味)「Stay NOIR」を発表。未開封にとって初のアルバムであり、その発表形式は驚きを持って迎えられた。

mikaihoo/Stay NOIR

「…でも俺は敗北した。俺がどんなに俺の凄さを叫んでももう無駄だ。同人誌の参加費、2万円。建前と礼儀と批判が大好きなどっかの掲示板から来た連中との人間関係、そして睡眠時間。そこまで支払っても何も変わらないし、たかが2次創作はたかが2次創作のまま。気の違った、我ままで自己中心で創作依存症という俺の評判は変わらないまま。あれ以降、作品の感想だってほとんどもらっていない。俺は「療養所物語(※)」や「最萌トーナメント(※)」に負けた。俺は派閥に負けた。俺はサイドストーリーに負けた。俺はネットに負けた。俺はオタクに負けた。俺は嫌いなもの全部に負けた(未開封)」

※療養所物語「NOIRLAND」で行われた投稿式のイベント。最萌〜は2chでことあるごとに行われてるキャラや物の人気投票大会であり、ここではアニメキャラのトーナメントを指す。いずれも多くの「サイドストーリー」が量産される。
『生まれたところや 皮膚や目の色で 一体この僕の何がわかると言うのだろう(ブルーハーツ/『青空』)』

企画「未開封カルタ」を日記で始める。未開封は調子に乗って放送禁止ワードだらけの話を乱発。だがそこには『素の』未開封が垣間見れ、不思議なチャーミングさがあったと評判(?)

2003

谷山ゲームスクール完結。
「だが、ロックンロールもパンクロックも「敗北の音楽」だ。勝敗なんて意味はないっていうけど、俺から言わせれば勝利に意味がねぇんだ。勝利は全てを手に入れられるけどそれだけだ。敗北には意味がある。いや、全部あるふりかもしれねぇけど。でもそこでは、みんなやっぱり何かに気づくんだ。負け犬の遠吠えに聞こえるかい?だけど犬はそれが届くと信じてるから吠えられるんだ(未開封)」

mikaihoo/TANIYAMAGAME-SCHOOL


「谷山ゲームスクール」のプロットを担当した川崎ベベルが、当初と大幅に変わってしまったストーリーに不服を申し立て未開封との関係にひびが入り始める。二人は本年の4月中旬を最後に、一度も会話をしていない。


「未開封は、もう死んでも自分を貫くと思うよ(chamu)」

ファクトリーレコードとマンチェスタームーブメントを描いた、映画「24アワー・パーティ・ピープル」公開。
「観ろ!(未開封)」

レーベル「Tribute 2 DJ Manson」設立。
『みんな東京に行けばなんでもかんでもあるっていうけど、木更津でも、頑張れば何だってできるって言うことを俺達が証明する(綾小路・セロニアス・翔/氣志團)』
未開封のいままでの作品及び、手製の血判状でレーベルと契約したchamuの「舞い落ちる雪の中で」がアップロード。
「俺はいまあるもの、萌えとか2chとか、オタクや同人の文化とか…そういうものへの反動で前より明るい場所に来る事ができた。だけど俺の作品や意味がそれだけだとは思っちゃいない。歴史はいくらも繰り返すし、もし俺がメインストリームになっても、また違うものがその反動でメインになっていくんだろうし。俺がやりたいのはそんなもんじゃないんだ(未開封)」

未開封、氣志團の綾小路・セロニアス・翔に憧れ始める。
レーベルファーストライブイベント「爆竹夜露死苦」開催。