Gokoku temple area

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 以前の散策では前半部分の写真が掲載されていなかったので、2019年5月3日もう一度 同じルートを散策してみた。自分が住んでいる東雪谷も坂が多いが、スタートの小日向エリアも坂が多い。10年前なので所々覚えている所もあるが、道程の風景は殆ど覚えていなかった。10年前の同じ所の写真を見比べても、周りの風景がかなり変わっているのがわかる、都会の街の変化の速さには驚かされる。


日時: 2009年 7月 31日, 2019年 5月 3日
交通: 営団丸の内線 茗荷谷、帰り JR大塚駅
ルート:茗荷坂と深光寺〜切支丹屋敷跡〜目白坂〜椿山荘〜新江戸川公園〜護国寺〜大塚  約6キロ


茗荷坂

本来は拓大正門前から小日向方面へ上る坂のことを言うようであるが、この先から茗荷谷の地下鉄駅方面に向かう坂のことも「茗荷坂」と言うようである。茗荷谷の由来は昔この地の湧き水で茗荷を多く作っていたことによる。

2019年5月3日
  林泉寺の  しばられ地蔵尊

しばられ地蔵尊は水元公園近くの南禅寺のものが有名だが(「葛西神社から水元公園へ」参照)、この地蔵もがんじがらめに縛られている。願いがかなったら解かなければならないはずだが、なかなか願いは簡単にかなえられないようである。

2019年5月3日
   林泉寺の黒猫登場

2019年5月3日
   年代を感じさせる建物

この建物は10年前もあったはずだが、思い出せない。

HDR加工

2019年5月3日
   深光寺

茗荷坂途中にある浄土宗の本堂で、左に見えるのは江戸後期の里見八犬伝で有名な戯作者「滝沢馬琴」の墓である。
右側の恵比須様の横にはキリシタン灯篭もある。

2019年5月3日
   深光寺の石仏群

2019年5月3日
   藤寺 「伝明寺」

藤坂(富士が見えたので富士坂とも言う)の坂下の曹洞宗の寺で、徳川家光が鷹狩りの折り、庭に藤が一面に咲いていたので藤寺と呼んだとある。今回は残念ながら藤の花は時期が過ぎて見れなかった。

2019年5月3日
  蛙坂(復坂)

坂の近辺に沼地があり、坂の左右で蛙の合戦があったのでこの名がついたと言う。

2019年5月3日
   切支丹屋敷跡

切支丹宗門改め役の井上筑後守の下屋敷で、切支丹を取り調べ改宗を迫った転びバテレンの収容所だった所である。イタリア人宣教師シドッティがここで牢死しているが、新井白石がシドッティを尋問して、ヨーロッパの諸事情を聞き出して「西洋奇聞」を著したことは有名である。

2019年5月3日
  切支丹坂

2019年5月3日

周りは閑静な住宅地である。
  新渡戸稲造旧居跡

現在はマンション建設予定地で周辺住民が「マンション建設絶対反対、新渡戸稲造先生が泣いている」と言う黄色いポスター(左手前方の家の壁)などを貼って反対している。それにしても広い敷地の家だったようだ、以前は新渡戸稲造旧居跡の掲示板があったようだが、今はそれもない。

2019年5月3日
  満開のツツジ


2019年5月3日
  小日向神社

令和最初のお参り。

2019年5月3日
    急な細い坂(鼠坂)、女性の郵便配達がバイクで器用に登って来た。 森鴎外に同名の小説があります。また近くには鳩山首相の実家があった鳩山会館があります(入口は音羽通り側)。
  鷺(さぎ)坂

この坂の上には久世大和守の下屋敷があり、久世山と呼ばれていた。大正時代この地に住んでいた堀口大学や三好達治、佐藤春夫等が「万葉集」から引用し、鷺坂と名付けたと言う。この先で八幡坂にぶつかる。

2019年5月3日
  石川啄木の初の上京下宿跡

啄木が盛岡中学を中途退学して、単身上京してきた時の最初の下宿先。しかし生活苦と病のため、わずか三か月余りで岩手に帰郷する。

2019年5月3日
  八幡坂

今宮神社近くの ここから石川啄木の下宿跡辺りまでを八幡坂と言うようである。

2019年5月3日
今宮神社にある神木、この横にも急な坂がある。
椿山荘庭園にて
椿山荘庭園の小さな滝
椿山荘庭園三重塔。椿山荘はもと備後熊本藩細川家の下屋敷だった所でこの辺りは椿山と呼ばれていた。 広重がこの山にあった芭蕉庵と神田川を題材にして描いている。
   護国寺に向かう途中の急な坂を自転車で慎重に降りてくる親子。この坂を子供を乗せた自転車に乗って降りてくる豪傑もいた。
護国寺山門と僧。
護国寺の仁王様とその下で偉そうに寝そべるネコ。
   手水鉢に映った緑。
護国寺にあった変った枝の松

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