今回の散策はちょうど桜の時季だったので 桜が多そうな水元公園を選んでみた。昔この辺りは利根川から江戸川へそそぐ小合川が流れる湿地帯で葛飾の名のごとく葛が茂る下総の原野であった。そのため江戸名所図会などにもあまり触れられていないが 東京で水郷風景を見ることができる唯一の公園である。 |
日時: 2012年4月10日
交通: 京成金町線 金町駅、 帰り 大場川バス停 金町駅行
ルート: 金蓮院〜葛西神社〜光増寺〜半田稲荷神社〜水元公園〜松浦の鐘〜南蔵院 しばられ地蔵〜水元公園
小合溜〜かわせみの里〜閘門橋 約8キロ
金蓮院 金町駅を降りて葛西神社に行く途中にある真言宗の寺 金蓮院に寄る。 この寺には名木があるといい、太子堂内には十一面出世観音菩薩が安置されている。 写真はTさん提供 |
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ラカンマキの大樹。樹齢400〜450年といわれ都内ではきわめて少ないラカンマキの名木である。 | |
金蓮院のつつじとしだれ桜。 | |
金蓮院のしだれ桜。 写真はEさん提供 |
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金蓮院の くすの木 これもかなりの巨木である。葛西神社に向かう。 |
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葛西神社の紅を塗った狛犬 豪族葛西清重が下総の香取神社をこの地の三十三郷の総鎮守として勧請したものという。尚この神社に享保年間から伝わる葛西囃子は江戸の囃子発祥の地でもあり その碑が境内にある。 |
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境内にあった二股の銀杏の大樹。弥栄銀杏(いやさかいちょう)とか曾孫生之銀杏(ひこばえいちょう)とか言われて 子宝や生命力にあやかろうという参拝者もいるようだ。 写真はEさん提供 |
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富士社。 富士塚というよりは祭神でコノハナサクヤヒメノカミという神を祭っているらしい。 この神社にはこの他10以上の神々が祭られている。 | |
葛西神社には3つの鳥居があるが、これが最も古く、この石造鳥居は葛飾区で一番古いものであり宝暦13年(1763年)に建立したものといわれる。 | |
地面に置かれた狛犬というよりは狛獅子。 元は台座があったのだろうか? 江戸時代この辺りは金町コカブや千住ネギの産地として有名で千住のやっちゃ場に集荷されていたという。 写真はTさん提供 |
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葛西神社から近くの浄土宗の古刹 光増寺に寄る途中 ある家の軒先で見かけた真っ赤な花。 | |
光増寺の門前には盆栽のように形の良い松があった。 | |
この寺の墓地には葛西柴又出身の俳人鈴木松什の墓がある 「気も散らで 暮れに及ぶや蓮の花」。 また寺の庭は日本庭園風に整備されており さまざまな花や木が植えられている。 写真はTさん提供 |
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庭にあったミツマタ。 | |
庭にあった桜の花をクローズアップ。 | |
光増寺から半田稲荷神社に向かう。この神社は江戸期には尾張徳川家の加護厚く 当家の祈願所でもあったという。 | |
半田稲荷神社の神泉遺構 この神社は子供の疱瘡、麻疹、安産祈願の参詣が多いという。 江戸中期に願人坊主という僧が「葛西金町半田の稲荷疱瘡も軽い麻疹も軽い…」と節まわしも面白く全国を謡い踊り歩いたため、参詣人が絶えなかったといわれるが、歌舞伎舞踊でも演ぜられ 歌舞伎、芸能、花柳界の信仰も厚かったという。井戸の周りの石柵や袖石には市川団十郎や尾上為五郎など新富座の役者の名前も見える。 |
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半田稲荷神社の桜 影になった本殿をバックに | |
水元公園に一旦入り 松浦の鐘を見に行くことにする。水元公園の桜堤は桜が満開。 | |
水元公園 この公園は都内では あまり公園らしくない自然の水郷風景が見られる都内唯一の場所である。 |
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松浦の鐘 この鐘は小合村の領主だった旗本松浦河内守信正が菩提寺に寄進したものだが 明治に入って廃寺になったため 以後 洪水などを報せる半鐘として使われてきたという。 |
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水元公園は小合川の名残の小合溜を中心にポプラ並木やメタセコイヤ、ハンノキ、桜などの木や、花菖蒲、睡蓮、コウホネなどの水生植物や渡り鳥など四季折々の豊かな自然の表情を見せる水郷風景のある東京葛飾区から埼玉県三郷市にわたる広大な公園である。 | |
幹に薄桃色の桜 | |
水元公園を一旦後にして しばられ地蔵のある南蔵院に向かう。南蔵院の塀と思われるが、木が突き出している部分をわざわざ空けて木が伸びるようにしている所があった。 写真はEさん提供 |
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南蔵院は在原業平にゆかりの寺院で正式名称を業平山南蔵院という天台宗の寺である。 | |
しばられ地蔵 由来は 呉服問屋の手代が南蔵院の境内でうっかり一眠りしている間に反物を荷車ごと盗まれてしまった。調べに当たった南町奉行大岡越前守忠相は、「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり」と命じ 地蔵はぐるぐるに縛られ、江戸市中を引き廻されたが 物見高い野次馬が、どんなお裁きが始まるかと奉行所になだれ込むと 越前守は「天下のお白州に乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料申附ける」の一声、奉行所には反物の山が出来た。手代にそれを調べさせるとその中から盗品が出て、それよって江戸市中を荒した大盗賊団が一網打尽となったという お話。 以来 お願いするときは縛り、願い叶えば縄解きするという風習が生まれ、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られている。我々も縄をかけて願掛けしてみた。 |
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境内にあったかわいいお地蔵さん 写真はTさん提供 |
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ウオーキングする人 水元公園に戻り、涼亭で昼食を取り かわせみの里方面に向かう 写真はEさん提供 |
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桜の下の太公望 | |
埼玉県側には こいのぼりが元気よく泳いでいた。 | |
小合溜の向う岸に桜に埋もれた家が見えた。 写真はTさん提供 |
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桜の下の赤い自転車 写真はTさん提供 |
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桜堤から見えた桜の大樹 | |
かわせみの里の池に映る自分の影を じーと眺めているようなゴイサギ一羽。カワセミも飛んでいるのを見かけたが 現在は抱卵中で餌とりでダイブするようなところは見れなかった。 | |
小合溜とポプラ並木 | |
閘門橋 旧岩槻街道と大場川とが交差するところに架かる煉瓦アーチ。 明治42年に水害防止のために作られたという。 閘門(こうもん)とは水位、水量などを調節する堰を意味する。 埼玉県の見沼通船堀が日本最古の閘門式運河として有名で享保16年(1731年)建造で 閘門橋で有名なパナマ運河より183年も早かったという。 |
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堰を開閉する人のモニュメントだろうか? 閘門橋を渡り埼玉県側に入り大場川バス停より金町に戻る。次回の散策は同じ葛飾区の柴又帝釈天で その次も花菖蒲の堀切菖蒲園と葛飾区の完全制覇を目指す。 |