バテない登り方教えます。(1)〜(14) (前半)
(2001年1月〜2002年6月)
バテない登り方教えます(1)
                       岩崎元郎 01.1.10
 1995年3月22日、大塚発4時30分の山手線に乗車して浜松町に向かった。モノレ−ルで羽田、それから関西空港へ飛び、夕方にはカトマンドゥのホテルに入っていた。23日、へリコプターでシヤンボチエヘ移動。シヤンボチエはかの有名なエベレストビユlホテルの玄関口となる飛行場。標高3833m。現在では中止されているが95年当時はヘリコプターによる定期便がおった。
 飛行場ができる以前は、ヤクの放牧場でしかなかったのに、バッティが二軒建ち村になっている。我々がシャンボチエに降り立つと、村はずれというか飛行場の片隅というか、見晴らしのいい台地の上にテーブルとイスがセットされ、昼食の用意ができていた。青い空、目の前にドーンと聳えるタムセルク、この迫力ある景観の中、これほどリッチな昼食は王侯貴族といえめったにできるもんじやない。
 昼食後、この日のキャンプ地、ナムチェバザ−ルへとのんびり下っていった。毎週土曜日(ナムチエ)に市が開かれることからナムチェバザールと呼ばれるこの村は、二日後に訪れる予定のクムジユンと並んで、シエルパの故郷として知られる大きな村だ。谷間にへばりつくように建ち並ぶ家々の屋根を見下ろしながら下っていくと、ゴンパの前に出た。むこうから日本人男性が二人やってくる。一人は顔見知りの小西倫文君であった。800Om峰14座の無酸素登頂を目指している。わが国を代表するヒマラヤニストの一人。「こんにちは」、日本人が珍しくはないネパールとはいえ、同胞に会えるのはうれしいものだ。知り合いとなれば尚更で、奇遇を喜び合う。「岩崎さん、こちら山本正嘉さんです」、小西君が連れの男性を紹介してくれた。二人でチュオユーを登る計画だという。高所順応のためにアイランドピークを登ろうということで、その日、そこに居た。
 山本さんとはお会いできないままになっいるが、NHK教育テレビ『中高年のたの登山学』には、運動生理学者のお立場ら協力して頂いたりもしている。
 昨年(2000年夏)、山本さんから一冊の本が届いた。『登山の運動生理学百科』(東京新聞出版局刊)である。「ネパ−ルで謔度お会いした山本です」という添え書きがあった。
 既にお読みになった方はご承知の通り、登山者にとって貴重な本である。我田引水的発言を許してもらえるなら、岩崎の日常的な言動を科学的に解説している内容なのだ。「ゆっくり歩きましょう」「歩幅を小ざくすることです」というアドバイスの正じさが、運動生理学的に説明されている。
 ということで『登山の運動生理学百科』をテキストとして使いながら(山本さんに電話して了解を頂いている)、改めて「バテない登り方」についての考えを述べていきたいと思う。乞う、ご期待・・・。

バテない登り方教えます(2)
                       岩崎元郎  01.2.10
 エンジンの働きで自動車は動く。ガソリンを燃焼させると、二酸化炭素と水どエネルギーが発生。このエネルギーが車を走らせるのだ。
 身体を動かしているのは筋である。筋は車でいえばエンジンに相当する。筋というエンジンが必要とする燃料は、食物栄養素で糖質とも呼ばれる炭水化物と脂肪とである。食物栄養素が燃焼して、二酸化炭素と水とエネルギーを発生する。このエネルギーが筋を作動させ、山に登らせてくれるのだ。
 シャリバテという言莱がある。長時間行動だったり、タイミングが悪く食物を口にすことができないでいると、全身から力が抜け、足が前に出ない状態のこと。『登山の運動生理学百科』を読む以前は、明快な理由はあいまいなまま、「腹が減っては戦ができない」のは当然と思つていた。 食物栄養素が燃えることでエネルギ−が発生するのだから、燃料切れ、つまり「腹が減っては戦ができない」のは必然なのだ。
 この連載の回を重ねながら、バテない登り方のあれこれを考えていくことにしている。筋カトレーニングという考えがある。もちろんこれは正論だ。しかし、筋カトレーニングというものは、そう簡単に始められないし、長続きしないし、従つて筋力強化するのは難しいということになる。
 身体が動く仕組みを前述したが、このことをベースとして考えれば、だれにでもできる「バテない登り方」の第一歩は、食料計画にあるといえる。
 次に挙げられるのは軽量化。日帰り登山の場合、ザククの中身の主要部分は食料であろう。自身の筋力を考えることもなくガソリンタンクを満タンにしておけば安心という発想で、おいしい食物を詰め込むだ一打という食料計画は感心できない。おいし食物というの−ぼ、概して重い。
 ザックが重いとバテるから、軽い方がいいに決まっていると、理由を深ぐ考えることもなく軽量化を指導していたが、身体が動く仕組みを考えれば、これも必然。2トントラックに3トンも荷を積むのと、1トンしか積まないのとでは、どちらが軽快に走るか。3トンも積んでしまえば、それなりのエ
ンジン(筋力)、それだけのガンリン(食物)、それを燃焼させるだけの酸素が必要になるわけで、バテずに登るためには軽量化が必然ということは自明であろう。
 身体が動く仕組みが説明されたことで、食料計画と軽量化の重要性が理解できたことと思う。おいしいのに軽い、という食物を用意する、というのがポイント。とまあ、ここまでは順調に来たが、それつてなに?、という問題が残ってしまった。おいしいのに軽い、入手も容易という一品があったら、事務局の方へご連絡下さい。『登山の運動生理学百科』ご希望の方も事務局にご連絡下さい。本代2100円、送料210円です。

バテない登り方教えます(3)
    ゆっくり歩<こと 
                         岩崎元郎 01.3.10
 身体が動く仕組みは前回説明した。植物栄養素の中の炭水化物と脂肪とが酸素と反応して水と二酸化炭素とエネルギーを発生する。そのエネルギーが筋というエンジンのを動かしてくれる。
 脂肪を燃やすのはちよつと難しいらしいのだが、上手に脂肪を燃やすことができれば、生活習慣病の原因となる過剰な脂肪の蓄積を防ぐことができるというわけ。
 おいしいものをたくさん食べて動かずにいると、筋を動かすエネルギーを必要としないから不要なエネルギー源は脂肪となって体内に蓄積してしまう。そうならないようにするには、酸素で食物栄養素を燃やす運動が必要なわけで、これを有酸素性運動という。山登りは健康にいい、理想的な有酸素性運動というわけだ。
 「有酸素性運動というのがあるなら、無酸素性運動というのもあるんですか」
ある。 マラソンや長距離の水泳、クロスカントリースキーなどのようにハードではなく長時間続けられる運動が有酸素性運動であり、重量挙げや相撲のようにハードで短時間で終わるのが無酸素性運動である。息をつめて、エイヤッとやるやつ。酸素無し、つまり食物栄養素を燃やしてくれない。一般論としては健康によくない運動といえる。
 登山はマラソンよりハードな運動なのですよ、というと驚かれる人がいるかもしれないが、そうなのだ。マラソンでの消費工ネルギーは2500Kcal前後ということだが、一日十時間も行動するようなハードな登山では、5000−7000Kcalのエネルギーを消費するという。
 遠足倶楽部のゆつくり歩きでも、1時間あたりの消費エネルギーは400Kcal 前後あるから、実動6時間の山歩きをすると、フルマラソンと同じになってしまう。
 脂肪は低〜中強度の運動を長時間継続するとエネルギー源として燃焼するというから、登山は脂肪を燃やすための理想的な運動ということになる。
 登山が健康にいい理想的な運動であるということはよく分かった、それでどうしたらバテずに山を登ることができるの、と聞きたくなるところであろう。
 答えは簡単、「ゆっくり歩くこと」である。しかし、皆さんゆっくり歩くことが上手にできない、五十歳から山登りを始めたという方は、一歳でヨチヨチ歩きできるようになってから四十九年間、街中を歩き続けてきたわけだから、街の歩き方がしっかり身に付いている。山に入ったからといって、すぐ山の歩き方に替えられるものではあるまい。バテない登り方、っまりゆっくり歩きをマスターするには、まず頭での理解からと考えてこの連載を始めた次第、登山をタテヨコナナメ、生理学的に理解できれば、ゆっくり歩きもできるょうになるのではないかな、と。

バテない歩き方教えます(4)
                       01.4.10 岩崎元郎
 五十歳になって山登りを始めようという方は、およそ五千年間という長い間、六十歳になっていたら」六十年間という長い問、街中を歩いていたのだから、街中での歩き方が骨の髄までしみ込んでいる。歩幅、歩くスピードとリズムが、である。
 山でバテない登り方のコツは、歩幅を小さくゆっ<り足を運んでいくことです、と岩崎が口酸つばくして言っても、この言葉だけでは、実際どれくらいの歩幅ならいいのかイメージできない」、ゆっくりと言われただけでは、そうそうゆっくりできるものではない。「百聞は一見にしかず」と言うが、一度足運びの講習会に参加してみてほしい。地方の山のグループに招かれて、バテない登り方のご指導に出向いた。
 登り始める前に準備体操をやり、自己紹介があつた。A子さん、六十五歳、仲間についていくのが辛くなったから、山をやめる頃合かなと思っていた。きょう岩崎さんと一緒に山歩きずるのを思い出にして山をやめます、とおっしゃる。
 参加者は三十八人、一人8分間、ほくのうしろに付いてもらって、歩幅、足運び、リズム、ゆっくりさ加減を勉強して頂いた。A子さんがぼくのうしろに付いた。「こんなにゆつくりでいいんですか」、とおっしやる。「これなら息も切れずに楽です」。
 三十八人が一巡するとうまい具合に下山口のバス停だった。整理体操の後、皆さんの感想を聞いた。
「このスピードでいいんだったら、辛くないので山登りやめるのやめにします」とA子さん。「歩幅が小さいと太腿も楽だし、バランスも崩しませんね」
 こんな感想を頂けるのは、登山インストラクター冥利というもの。
 別にこんな話も聞いた。ネパールヒマラヤトレッキングにご一緒したB子さん。当時七十歳。五十歳の頃、友人に誘われて山歩きを始めた。歩き方が遅いと仲間から文句を言われることが多かった。六十歳を過ぎると腰が痛い、ヒザが痛いと訴える仲間が増えてきた。そして、一人、二人と脱落していった。
 七十歳になった現在、山に登り続けてるのはB子さん一人。いつも遅れる彼女を叱侘激励してくれた仲問は誰も残っていない。「あの頃よりも、さらにゆつくりになりましたけど」、B子さんの笑顔は自信に満ちていた。
 小さな歩幅の目安は、自分の靴の長さであろう。並の登降なら靴一足分、登降がきつくなってきたら、靴半分の輻で足を運んでみることだ。前に出した足はヒザから下を鉛直方向に下ろし、その上に上体の体重を静荷重してやる。このくり返しだ。四月十五日と二十四日に予定している高尾山は「バテない登り方を学ぶ会」だ。岩崎と一緒に山歩きをしてない方は、このチャンスに高尾山に参加することをお勧めしたい。バテない登り方教えます。
   
バテない歩き方教えます(5)
 路面をよく視察する
                       岩崎元郎 01.5.10
 「歩き方が下手なんです」、という方がいらっしゃる。その人の歩き方をみていると、その下手さ加減にあきれるばかりなのだ。
 足の運びがとにかく無造作、下手だという『覚があるのなら、もう少していねいに歩かれたらいいのにと思ってしまうし、どうして、ていねいに歩けないのか不思議に思ってしまう。
 足下、つまり路面を全然みていない。路面の凸凹におかまいなく靴を置くから、斜めになっていればズリッと滑るし、段差があればカクッと足首が曲がるし、丸石の上に置こうものなら、石車に乗るを絵に書いたような状況になる。
 バテない登り方の大きなポイントとし、路面をよく観察することが挙げられる。それがどうしてできないのか、、ちょっと考えてみた。歩き方が下手な皆さんは、街歩きに慣れすぎて、道というのは舗装されて平らで歩き易いものと、頭と足とが思いこんでいる。その結果、山道に入っても路面状を考えることなく足が運ばれていってしまうのだろう。
 山道は街中の道とは違うのだ。足を前に運ぶ前に路面状況をよく観察すること。
 まずコース全体の状況を把握したい。赤土で滑り易い道、富士山のように火山礫で歩きにくい道、岩場の続くコ−ス、この場合、花崗岩なら滑りにくいが、雨でぬれると滑り易い石灰岩もあるから、岩質もチェックできると安心度は増す。腐葉土の道なら歩き易くていい。早い話が出発に際しての覚悟の持ちようだ。火山礫の続くコースであれば、ちよつと大変と兜の緒をしめ、腐葉土の道なら、それほど心配はいらないなどと、頼りの御足にサインを送る。それだけ合ことでも、バテ方の程度に差が出てくるものなのだ。
 次に目の前の路面状況の観察だ。凸凹、傾斜、乾湿、必要な状況をインプットし、瞬時に送り出す足をどの位置に踏み下ろせばいいかの指示を出す。
 歩幅を小さく、ヒザから下は鉛直方向にして靴裏は全体が路面に密着するようべたっと置く。だからその場所は与えられた条件の中では、できるだけ平な方がいい。それも路面をよく観察してないと判断できないわけだ。
 コースの傾斜も問題だ。緩やかであれば息切れることもないが、急になってくると前述の靴裏全体を路面に密着するようにべたっと置く(登山用語ではフラットフット)ことが難しくなる。無造作に足を運べばつま先から着地してしまい、ふくらはぎをつらせることにもなるから、傾斜が急になってきたら意識して足を逆ハの時に着地させるようにすればフラットフットできるのだ。そして、カカトを押し込むようにしてやると足が滑ることなく、立ち込んでいけるものなのである。
 路面をよく観察し、頭で考えて足を運んでいくことが、バテないコツをいえよう。
 
バテない歩き方教えます(6)
 花の人形山をプランする
                      岩崎元郎  01.6.10
 バテない登り方の大きな要素として、いい山を選ぶということが挙げられる。バテる。バテないには、プランニングが大きく関与するということだ。バテようがない山の最右翼に「花の人形山」がある。6月5日に登ってきた。4日JR北陸本線高岡駅で集合して一行5名は城端線の電車に乗り込む。
 日本人の国民性というのだろうか、知名度の低いものに目が向かない。ぼくがあっちこっちで人形山はいい山だとPRしているにも関わらず、うちの会員さんですら知る人は少なく参加者は4人。同じ時期に計画する白神岳が20人を超える参加者がいるのに、である。白神岳は素晴らしい山だかち、ぜひ登って頂きたいと思っている。20人を超える参加者があっても不思議はないのだが、知らなかったために人形山に参加しそびれるというのは、もったいない話。参加『した4人はチョーラッキーということになる。
 城端で下車、今宵の宿「中根山荘」のオーナー山崎登美雄氏が迎えて下さる。氏の車で五箇山トンネルを抜ける。世界遺産に指定されている合掌作りの相倉集落に立ち寄って下さる。
 集落に入る前に手前の林道から高台に上がり、集落全体のたたずまいを銚めることができた。これがすばらしかった。足下に合掌作りの家々が並び、目を上げれば人形山が、名前通り手をにぎり合って姉妹の雪形を見せて聳えている。
 頂上直下に雪庇が横に一筋残っていた。「あと一週間もすると、さらに雪が溶けてあれが三つに分かれるんですよ。地元では『三つ星』と呼びます」
 山崎さんの説明に大きくうなずく。集落内を見学の後、中根山荘に送つて頂く。五日、三時半起床、四時三十五分出発。林道を二十分歩いて登山口入口。立派な道標があり、水場もある。しばらくは杉林の中の薄暗い道。それでも林床にチゴユリが咲き、スミレも可憐な姿を見せていた。「あった」とだれかが声をあげた。イワウチワを一輪見つけたのだ。
 さらにひと登りした辺りだったろうか。イワウチワの群落登場。気がつくと明るくなっている。杉林を抜け自然林に入っていた。ショウジョウバカマ、イワカガミ、バイカオーレン、ニオイコプシの花があざやかで、あでやか。あれよあれよという間に宮屋敷跡に登りつく。
 次に登場するのはカタクリ、ツバメオモ卜、イワナシ、イチゲ、あっという間に人形山のてっぺんだ。帰路、三ヶ辻山に立ち寄る途中でシヤクナゲを愛で、そうそう人形山のてっぺんからは雄大な白山の眺めを堪能しました。
 ルンルン下山。登山口にある駐車場で、地元の方たちからお酒や山菜汁もふるまって頂く。プランニングがよければ、バテずに登れるという見本のような一日であった。


バテない歩き方教えます(7)
     緊張感のある山はバテない
                 主宰 ・岩崎元郎  2001.9.10

 6月3日に頂に立った毛勝登山について報告しよう。
剣岳北方稜線は池ノ平山と越えると大窓へと沈み、登り返すと赤谷山。それから毛勝三山と呼ばれる猫又山、釜谷山、毛勝山が連なる。剣岳は手を触れれば切れてしまいそうな鋭鋒だが、毛勝山は大きくドーンと存在感ある雄峰だ。早月尾根から毛勝三山を眺めた人は、いつか登ってみ
たいと心秘かに憧れを抱いたに違いない。
 二十年近い昔のこと。剣岳開拓の一方の旗頭である魚津岳友会のお招きで毛勝山に登ったことがある。6月上旬であった。雪で埋まった毛勝谷からいとも簡単に頂に立った記憶がある。一度皆さんをご案内したいと思いつつその時を待っていた。計画を爼上の乗せようと資料をチェックし始めると、「いとも簡単というのは記憶違いで、けっこうハードだ。阿部木谷(上部で毛勝谷と大明神沢とに二分)出合下片貝山荘に宿泊、ここから山までは高度差で約一七OOメートル。落石事故もあれば滑落事故もあるという。勢い参加要項の文言が厳しくなってしまった。
 確定表でO印参加申込みのあった方が次々キャンセル、最終的に八人の講習生とサプリーダ −に椎名守同人を得て、総勢十人でのチヤレンジとなった。
 二日、魚津駅前よりタクシーで片貝山荘に入る。ナント、救急車がサイレンを鳴らし、上空にはヘリが飛んでいる。聞けば二人滑落し、クレバスに転落したという。夕方前には救出されたが、いきなりくらった先制パンチに。パーティーの緊張感は否応なく高まった。
 翌朝は4時45分に出発。明神谷を右に分け、毛勝谷へ入ると傾斜は次第に増してくる。アイゼンを効かせ快適に登っていく。落石のことは頭からまったく消えていた。
「ラーク」先行パーティーから声がかかる。見上げれば頭大の石が雪渓の上を飛んで来る。右往左往してはいけない。マーフィーの法則によれば落石は逃ける方に飛んでくるし、バランスを崩して滑落する危険もある。落石をにらみつけ、直前に体をかわすしかない。
 かくてドラマは始まつた。休んでなんかいられない。久々に鬼の岩崎となつて稜線までパーティーをリード。稜線に立つと初夏の真つ青な空に、剣岳がくつきり浮かび上がって、大歓声が上がる。ゆつくり休んだ後、雪稜漫歩で10時15分山頂に立つ。
 さて下り。落石があるから口ープを結ぶこともできない。雪上訓練の成果を信じて下ってゆく。落石にはもう驚かなくなつたが、他パーティーの方が我々の横を滑落していったのには驚いた。運良く無事に止まてホッ。一七OOメートルを下りきつて山荘には14時45分に帰着した。緊張感のある山はバテない。

後半へ
岩崎元郎文書集トップ無名山塾ホームページ月刊岩崎登山新聞
 
2002 Company name, co,ltd. All rights reserved.