大阪物語 監督:市川準 1999年 日本
いよいよ観客の疲れが見え始めた。「月とキャベツ」終了後、椅子の上でうずくまり始める観客が目に付いてくる。研究室時代に鍛えた夜型人間の私は、全く大丈夫である。月とキャベツによって頭はやや痺れているが、この痺れは眠気ではない。
午前1時45分、第三作目「大阪物語」が開演された。
以前逸した映画である。話題は数々の映画新人賞を本作で総なめにした、池脇千鶴であるが、作品自体の評価はあまり高くなかった。実際、本日の4作品中では最もイマイチな映画であったが、その分際立つものもあった。月とキャベツがその作品そのものに感動したのと異なり、本作はその逆で、俳優に引かれた。といっても、池脇千鶴にではない。
ストーリーは、売れない夫婦漫才(沢田研二と田中裕子)と二人の子供(池脇千鶴と誰か知らん子供)を軸に、堅苦しく言えば家庭崩壊家庭を描いている作品である。家庭崩壊の原因は、想像どおりに沢田研二扮する隆介の女グセの悪さである。離婚後でも夫婦漫才を続ける両親に対し、主役の池脇千鶴が力強く接していき、いきなり失踪したお父ちゃん隆介を探しに大阪中を駆け巡る池脇千鶴を、市川準のカメラが追って行く。
ストーリーは、後半部分が冗長だった。これは3作目であったから、自分自身がダレたというのではなく、後半部分の池脇千鶴を追う展開は、あまりに長すぎた。池脇ファンならまだしも、まだそんなにファンも多くないであろうデビュー作である。スクリーンを単独で張れるほどの14歳はそれ程多くないと思うのだが、池脇千鶴にしてもご多分には漏れていない。確かに演技はやや顔が似ている安達由美より数段自然で毒々しくなく、上手いと思うが、終了後の観客の感想「メリハリが無かった」と言うのは、私の感想でもある。舞台は大阪、キャストは相当豪華(吉本の芸人も出ている)、期待の新人など、材料は整っている筈である。シェフの技量に疑問符を付けざるを得ない点で、月とキャベツのように従順にはなれなかった。
というわけで、これ以降は俳優に対する感想を述べていく。全体がイマイチであったことからさらに目立ってしまったかもしれないが、とにかく目立ったのは田中裕子の演技力の高さである。本作品だけではなく、本日見た4作品中で、最も光った演技は田中裕子のものである。夫婦漫才の妻役で演じてはいるが、まさか田中裕子があそこまで超自然に逞しい芸人のお母ちゃんを演ずるとは予想しなかった。圧巻だったのは、夫の隆介が孕ませた女を初めて見たときのその態度である。「これか!」とその女を見て言うのだが、このときは「凄いなこの人」と思ってしまった。それ以外、特に家にいる田中裕子の演技は、全くもって普通のお母さんである。ナビィの章でも述べたが、この普通さを素人が出せるか。絶対に出せない。少し疲れた感じや、だるそうな口調など、とても素人には出来まい。何気ないシーンだが、最近流行りの「素人使い」とは完全に一線を画している。これぞプロの技である。田中裕子に本来あるべき俳優を見たとき、私の安いマイブームに冷や水を浴びせ掛けられたような感じがした。恐るべき好俳優である。
演技が上手いだの下手だの考えながら、映画を見るのはよくないと思っている。見終わった後で反芻する際に思うのはいいと思うが、評論しながらでは映画そのものがつまらなくなってしまいそうで不安である。それでも、演技の下手なのを見ると、ストーリーそっちのけで、俳優に舌打ちをしてしまう。そして、その逆もまたある。演技力のある俳優に対して「なんて上手いんだ」と思いながら見るのも、またあまりよろしくない。映画は映画であって、その物語が最も重要で、細かいカメラワークなどは無意識にその素晴らしさに感動すべきで、意識的に感動するものではない。だが、今作は映画そのものがイマイチであったので、どうしても田中裕子の演技そのものに意識が集中してしまったきらいがある。池脇千鶴のお父ちゃん探索シーンに冗長さを感じたのは、田中裕子が殆どスクリーン上に出なくなったからであるかもしれない。とすると、私にとってこの映画は、田中裕子無では殆ど何も無いと言っても過言では無い。何しろ最後のほうではまた田中裕子が出てくるのだが、このシーンになると安心する私がいたことから、やはりこれは否定できない。
池脇千鶴に、田中裕子の能力を期待できるか。全く未知数である。先述のとおり、確かに演技は下手とは言えず、上手いのだが、やはりまだ分からない。数々の新人賞を池脇に贈った日本の映画界は、かつて新人賞を贈った永瀬正敏程度になれると期待しているのだろうか。それとも、それ以外に目ぼしい存在がいなかったのか。多分に政治的な意図が働くであろう受賞モノでも、どれほどの責任を池脇に負わせられるのか、それとも評価を与えたものとして負う準備があるのか。今後の池脇には期待したいが、次の池脇主演作品を見たいとは思わなかった。可愛いことは確かなんだけどねー。
この作品は、結局田中裕子と池脇千鶴のものであったと思う。田中の快演に驚嘆し、池脇の未知の可能性を探る作品だった。だがキャストが良いだけで、必ずしも良い映画になる訳ではないことを、近年でももっとも痛感させる作品でもあった。特定の俳優ファンを楽しませるならまだしも、映画ファンを楽しませるのは、やはり監督の仕事なのだろうと思った。何しろ、いくらキャストが素人でも、映画そのものは監督が優れているものの方が充実しているのだから。