ナビィの恋 監督:中江裕司 1999年 日本


今回の第一作目の上映作品は、昨年度からミニシアターもので評価が高い「ナビィの恋」である。舞台は沖縄県粟国(あぐに)島である。日本映画としては、自身2回目の「字幕付き」映画であった。全編字幕付ではなかったが、老人同士が話す琉球詞は、私には全く理解が出来ない代物であった。これがウリであるのかもしれないが。ストーリーとしては、東京に出ていた孫娘奈々子が会社を辞めて、一旦生れ故郷である島に戻って来るところから始まる。彼女を迎えるのは両親ではなく、祖父母夫婦であり、物語も祖父母との関わりで進んでいく。タイトルの「ナビィ」とは、この祖母の名前である。

東京から戻ってきた奈々子は、島の人間が勝手に決めた「奈々子の許婚」であるケンジの運転する船で島に帰ってくる。船が島に着いたとき、2人の男も島に降り立つ。一人は白いスーツに身を包んだ老年、もう一人はTシャツに短パン姿の青年である。奈々子は祖父母夫妻の家に身を寄せるが、上述二人のうちの若い方である福之助も、ひょんなことからこの家にいつくことになる。そして、もう一人の白いスーツに身を包んだ老年が、タイトル「ナビィの恋」に深く関わっていることは、観客の誰の目から見ても明らかであり、実際にそうであった。そして奈々子にしても、外から来た福之助に対して分け入っていく。二人の女性は、島のしきたりに、程度の差こそあれ翻弄されながら、やがて各々の道を進むことになる。

というのが、非常に大雑把なストーリーである。ここまで書くと、島のしきたりなど、因習的な要素もあったりで嫌な雰囲気もありそうである。しかしながら、この映画においてはそのようなものはあまり無く、全編を通じて歌と踊りが全てを解決するという仕組みになっている(仕組みか?)。キャストは本職の俳優が多いが、最近日本映画でよく見られる「演技素人を使う」というところもある。奈々子の祖父で、今作品の中で最も愛されているキャラクターのおじい役・登川誠人は、三線の大家ではあるが俳優ではない。それは映画を見れば明らかではあるが、このような「演技素人」を使うのは、昨年公開された「ワンダフルライフ」以来、邦画においてしばらく続いている技法である。

ここで奈々子の祖父が出てきた。この祖父は非常に面白いキャラクターとしてスクリーン上に存在しており、観客の中でも「あのおじいちゃん可愛かったよねぇ」という声が、かなり聞かれた。確かに、初めて牧場で福之助に会ったシーンで「あんた、この島にはおっぱいの大きい女の人はいないよ。隣の島に行きなさい。」とか、「うちのおばあはこの島一の美人さぁ。昔はおっぱいだって大きかったんだよ。でもね、おっぱいが大きいのもいいけど、小さいのもまたいいもんだよ。」とかを、坦々と若者に言うのである。さらに言葉の端々に英単語を入れ、ナビィに「今日のランチはトエルブフォーティファイブ(12:45)に牧場に持ってきて」などとまるで臆面も無く言う。そして福之助の運転する軽トラの荷台に三線を持って乗り込み、アメリカ国歌を奏でながら牧場に向かうのだ。全編を通じて、やや不真面目なおじいを演じているが、その人間的な優しさで、決して要領良く立ち回ってはいない「おじい」に対し、劇場の評価は集中していたことが、上映後に強く感じたことである。

一方、他のキャストはどうであったか。恐らく次に劇場の評価が高かったのは、ナビィ役の平良とみであろう。72歳だそうだが、その一種滑稽とも見える情熱的な老女を演じる彼女は、私の中では本作最高評価に値する俳優であった。とにかく、「田舎のばあちゃんってこんなだよな」というものを感じさせたのが非常に良かった。沖縄芝居の第一人者らしいが、最初は素人かと思った。だが、演技の端々で見せる「自然さ」は、素人には出せないものであろう。スクリーン上で自然に振舞っているように見えるのは、俳優の技量によるものだと思うのだが、このナビィ役の平良とみは「やはりプロじゃないか」と劇中で思い始め、上映後にパンフを買ったら、やはりそうだった。350ml缶を縦に潰したような体をしているが、おじい曰く「昔はおっぱいだって大きかったんだよ」と言うのは、納得のキャスティングである。おじいがあまり表情が豊かでないのに対し、このナビィは微妙な表情を見せることが多く、これも私がプロたるものと感じた所以である。

脇を固める(というか、恐らくこの二人が主役)若い二人も注目したい。ヒロイン奈々子役の西田尚美。松嶋菜々子に似ている。本作においては、私はかなりの割合で、以前見た「楽園」の設定をオーバーラップしていたのだが、楽園が「静」であるなら、ナビィの恋は「動」である。最大の理由はヒロインの違いで、西田尚美演ずる奈々子は、男勝りで活発で、凄い寝相で布団で寝ている。おじいが福之助に「こんなタバコも吸って、いつも朝寝坊で、おっぱいの小さい女の人でもいいの」と言うのだが、正にそれは当てはまっている。島のしきたりに縛られて苦しむナビィと対照的に、奈々子は島のしきたりに反抗しながら、自然と(いや、表面的な話の流れとしてはやや唐突かも)福之助に引かれていく。まあ福之助に引かれたのも、多分にナビィの影響を受けてのことなので、島の変な因習に対して、若者としても無視することは出来ないという演技もなされていた。

最後に、福之助を演じる村上淳。福之助は冷静なキャラクターとして、一貫してスクリーンに居座っている。常におじいに付き従い、おじいの下で三線を習い、おじいと供に牛に草をやる。勝気な奈々子に対しても、その静かな柔軟性のある物腰に、絶妙とも言えるコンビを形成する。劇中では出自も明かされておらず、そもそもお前は何故こんなところに居るんだと言う感じではあったが、唯一の日本人(やまとんちゅ)として粟国に溶け込んでいるようにも見える。最終的に奈々子を包み込むが、それまでも心の中では奈々子と愉快な祖父母を包み込んでいる、「オイシイ」役回りを演じていたかの如くである。これは「楽園」におけるシンジと同じようなものだが、楽園のシンジとはことなり活動的ではない。この逆の役割分担が、非常に私には良く映った。顔も濃くてハンサムという感じで、沖縄にあっていたのだろうか。

沖縄で取られた作品ゆえ、沖縄の美しさが前面に押し出されているかと思ったのだが、この物語は完全に人間主体である。沖縄らしさも多分に感じられ、「沖縄に行きくなった」と言う人も多いかと思うが、人間ドラマとして必見の価値あり。

8時間耐久top