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「イスラエルにはどれくらいおられるんですか」と問われ、「1週間くらいですね」と答える。こんな他愛も無い会話から始まった。私は彼の素性を聞いた。
彼は言ってみればフリーターであるが、大学の神学科を卒業した後、大学の先生の紹介でここに来ている。現在は、その大学の先生の知り合いの経営するキリスト教系のホテルでボランティアとして働きながら、ヘブル語の勉強をしている。いや、ヘブル語の勉強というのは語弊がある。聖書の勉強をしている。現在、イスラエルに来て1年が過ぎているが、ヘブル語にしてもまだまだだそうである。大学の先生からは、何もかも分かるまでは帰ってくるなと言われており、本人もそのつもりらしい。何故ヘブル語かというと、旧約聖書がヘブル語で書かれているからだと言う。
学者を目指しているのか、と問うてみた。そうではないと言う。先生は学者になれというが、勉強嫌いが学者にはなれないと笑う。では、神父さんを目指しているんですか?と問うと「いや、神父と言うのはカトリックでの呼び名でして、プロテスタントでは牧師と言うのです。」と教えられ、そして彼がプロテスタントで牧師になりたいということを知る。何故牧師になんかに?という疑問は当然湧いてくる。失礼なようだが、これも聞いてみた。すると「父が牧師なのです」と言う。ん?聖職者は妻帯していいのか?と疑問を持つと、「プロテスタントでは、『結婚もしないで人生の苦しみがわかるか』と言うわけで、結婚は認められれているんですよ。」とまた教えられる。それでは、お父さんの影響で、牧師になりたいんですね、と問うと、そう簡単にはいかないらしい。
親の影響で大学は神学科に入った。しかしながら、当の本人は興味が無いどころか、キリスト教には批判的であった。理由は単純な親への反抗と言うわけではなく、キリスト教に関わっている家庭に育ったゆえに、キリスト教内のくだらない争いが目に余ったそうなのだ。つまり、プロテスタントとかカトリックとか、そんな中にくだらない争いがあり、さらにプロテスタントの中にも細かすぎる『信徒が守らなければならないこと』に嫌気が差していたそうだ。大学は神学科に入ったものの、他の学生同様に遊び呆けていたらしい。
転機は大学3年次だったとか言っていたような。何気なく新約聖書のヨハネによる福音書を読んだらしい。本人曰く、「それでガツンと来ました」。彼はそれまで、キリスト教内の争いや、細かい教義に嫌気が差していたと述べたが、その聖書を読んだ瞬間、本質を忘れていたことに気付かされたそうだ。それは、言うも恥ずかしい「愛」の思想である。キリストは永遠の命を得たが、自分もこの永遠の命を得たいと思ったらしい(ここで言う永遠の命とは、当然肉体の永遠ではない)。どんなに人が苦しんでいても、自分だけは助けられる人間になりたいと思ったらしい。それからは、遊びもきっぱり止め、聖書研究に取り組み始めたらしい。その結果、今ここにいるわけである。
因みに、この「愛」という単語を出すときの彼の照れ臭そうな顔は、失礼だが傑作であった。少し話は逸れるが、彼はことあるごとにキリストの偉大さというか愛の深さを私に強調するのだが、どうもまだ人様にこんな話をするのは慣れていないらしく、言ったそばから自分で吹き出してしまうのだ。まるで、「何ておかしいことを言っているんだ俺は」みたいな感じでである。しかも「いやあそのう、何て言うんですかねぇ、まあイエスって言うのはその...」という風に、照れ臭そうに核心をぼかす。きっと、店の主人にも、「折角日本人が来たんだから、キリストの話をして聞かせろ」と言う風に言われ、また自分でもキリストの素晴らしさを知って欲しいという気持ちも強くて、日本人が来るたびにこうしてやって来るのだろう。だが、実際来てみるといつもこうなのだろう。自分がイエスに対する気持ちには自信があるが、人に聞かせるのは、どうも自信が無いようなのだ。しかし、大上段から半ば高圧的に神の話をする人や、わざとらしく笑顔を作りながら、それだけで偽善的に見えてしまう話し方をする人と異なり、彼のような人は、聞いている側からすれば非常に素直に話を聞ける。この点で、案外彼は得をしているのかもしれない。
ローマ法王の話を聞いてみる。「ローマ法王が来て、キリスト教関係者は忙しいのではないですか?」と聞くと、「あれはカトリックですから、全く関係ありませんね。それよりもカトリック系のホステルは一斉に閉めるんで、その内にこっちが儲けさせてもらいますよ。」と、さらりと返す。そう言えば、ロシア正教系の「マグダラのマリア教会」には、ローマ法王のPLOに対する柔軟姿勢を批判してか、「(パレスチナ情勢の)現状維持を!」という横断幕が掲げられ、何やらキリスト教内で意見の一致が見られないのかと思っていた。だが、それ以上に双方は関心が無いらしい。しかし、「同じキリスト教でも、中身は全く異なっているんですか?」と聞いてみると、彼はきっぱりこう言う。「目指しているものは全く同じです。しかし細かいところがいろいろ違います」。本質は同じと言うことらしい。
その他、様々なキリスト教のことを彼に聞きつづけた。彼は、例の口調で親切に答えてくれる。そのうち、私は彼に何気なく自分のことも話し始めた。
私がイスラエルに来た理由。それは今までも何度も書いた。キリスト者でもないのに、イエスを追いに来たのだ。この時点では、誰にもこれは言っていない。誰に言っても分からないと思っていたからだ。しかし、彼に言うのはいいだろう、と自然に思った。
「実はイスラエルに来たのは、僕が遠藤周作のファンで、読んでいるうちにキリストに興味を持ったからなんです。」
すると彼は、
「遠藤周作ですか。僕も読みましたよ、『イエスの生涯』。『イエスは愛そのものの人であった』、全くその通り!」
と答える。例のごとく、「その通り!」と力強く、しかし下を向きながら言う。だが、私は彼にこのことを言ってよかったと思った。何しろ、彼の反応は、私の考えを完全に包み込んでいたからだ。何故か私は、安心した。
それからもう一つ、これはここ数日で私の感じていることだ。
「キリストを追いに来たのはいいのですが、所詮僕はクリスチャンではないので、どうも所在無さと言うか、居住まいが悪いのです。」
この問いに対して、彼が何を言ったのかは覚えていない。ただ、彼がその時私を見た目は覚えている。伏目がちではあったが、その目には同情と、優しさが感じられた。彼自身、全く異境とも言える日本からこの国に、聖書の勉強などをしにきて、私以上に居住まいの悪さを感じてきたであろう。従って、彼は私以上の疎外感と、そして不安を感じてきた筈である。だから、私の軽い空虚感など、物の数には入らないであろう。しかし、そうはいっても私に「お前なんかに分かるまい」という視線を投げず、同情と優しさを投げる。この視線に、私はこれまでの空虚感が全く和らいだのことを感じた。
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店の主人が、私達のところにやって来た。何やらヘブル語で話し掛けたらしいが、牧師の卵の彼が「そろそろ閉店だそうです」と言う。私たちは席を立ち、連れ立って店の外に出た。彼はこれから働いているホテルに帰るという。私も彼とそこで別れることにした。別れ際、彼が言った。
「いつでもいいです。何となく興味が湧いたら、新約聖書を読んでみて下さい。」
彼の人生を変えたといっていい、一冊の書物を読むように私に薦めて、彼は遠ざかっていった。
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イスラエルに、それなりの意義を持ってやって来た筈だった私だったが、その意義を疑わざるを得ないまでになっていた。しかしこの出会いは、その意義をもっと深いものにまで変えていったような気がした。喫茶店で話しているときに、彼がふと「こうしてここで暮らすようになって、月に一人か二人の日本人の方がこの喫茶店にいらして、幸いにしてこうして話をする機会に恵まれるんですよ。今日の岩田さんのようにね。だから何と言うか、その、何かこうやって機会を与えられていると言うか、神の導きと言うと変な印象を持たれるでしょうが、そんなものを感じるんですよね。」と言った。彼にとって、このように日本人にキリストの話をし、そして少しでも交わりを持つのは、聖職者を目指す身分としては「正に与えられた機会」であるのだろう。しかし、それはひょんなことからこの喫茶店に訪れた日本人である私にしても、何かしら当てはまることである。我々にしても、見えない何かによって、この機会が与えられたと考えてみてもいいのではないか。したがって彼の言う「導き」は、私にとっても何かの「導き」であった筈である。彼だけに「導き」が与えられたわけではなかろう。
夕闇のエルサレムの小路を歩きながら、私はこのことを反芻せずにはいられなかった。