
その3 ウィーンにてB
翌朝やや遅く、私は目を覚ました。既に朝食の時間は始まっており、少し急いで着替えて、レストランへ向った。
レストランは6割を東洋人が占めているような感じだが、当然私以外は全員韓国人である。家族連れから学生旅行風まで極めて様々である。一人日本人の私は、何となく居住まいが悪い感じで朝食を取り続けた。海外旅行をしている東洋人で、殆ど韓国人と言う情景が見られるとは、隔世の感がある。
ホテルをチェックアウトし、私はフランツヨーゼフ駅前から市電で西駅へ向った。今日の夜、私はアルメニアのエレバンへ向けて出発するのだが、空港行きのバスは西駅からも運行している。今日は日中ウィーン観光にあてる予定だが、まずその西駅のコインロッカーなりに荷物を置き、それから夕方までウィーン市内を散策する算段だ。
市電は何線か覚えていないが、昨日乗ったD線と異なり、この市電はリンク外部を通る。よって観光地を通る訳ではないので、少し寂れた感じのウィーンの街並みを淡々と進む。市電の乗客も地元の人間ばかりと言う風情で、どうと言うことも無い。観光地以外のウィーンは夏でも若干暗い感じで、人通りもあまり多くない。今日は日曜日だからだろうか。
西駅に着いた。ヨーロッパにありがちな壮大な建物ではなく、比較的無味乾燥な感じのする直方体の建物である。そういえば南駅もそうだった。この西駅は多くの国際列車が発着し、私が後でブタペストに行く際も利用することになる駅である。駅舎に入り、コインロッカーに荷物を詰める。駅を散策するのが結構好きな私は、そのままホームへ向った。
ホームに行っていきなり目に付いたのは白亜のICE(ドイツの新幹線)である。ウィーンに乗り入れしていたのか定かでないが、こうして目の前にあるということはウィーンに乗り入れているのである。既に折り返し表示されており、行き先はドイツ北辺の港町、ハンブルクである。つまり、このICEはドイツの南にあるオーストリアから、ドイツを南北ほぼ縦断することになる訳だ。隣に止まっているのはキリル文字が印刷されている国際列車である。車内は学生旅行者グループでいっぱいだが、行き先はユーゴのベオグラードである。と言っても、途中では主要駅(ブタペストやザグレブ)などもあるだろうから、ベオグラードまで乗り続ける人がどれくらいいるかは見当が付かない。殆どが白人だが、東洋人も混ざっている。が、日本人はどうも見当たらない。やはり韓国人である。彼らは日本人同様、比較的閉鎖的・排他的な性質を持っているようで、コンパートメントに入るやカーテンを閉め、他の客が入りにくいようにしたりしていた。私が大学1年の時もよく見た光景で、私が大学生の頃は日本の学生などがこうであった。
地下鉄に乗ってウィーンめぐりを開始した。昨日はウィーンの外縁部を彷徨い歩いていただけだったが、今日は中心部をよく見る予定だ。昨日の感覚で、中心部は私の「足」で回ることの出来る範囲であることは分かっている。取り合えず中心の中心とも言える、シュテファン寺院を目指す。地下鉄の駅はシュテファンプラッツである。

シュテファン寺院
シュテファンプラッツを降りて地上に出ると、いきなり巨大なシュテファン寺院が目に入ってきた。巨大すぎてフレームに入らないが、私が今まで見てきたキリスト教寺院で恐らく最も高い塔(137mらしい)を持つだろう。ここは地理的にウィーンの中心で、つまり観光の中心となっている。東京で言うところのどこかは判然としないが、ソウルで言うところの市庁舎前と言う感じであろう(分かりにくいな)。城壁内でもここが中心である。
シュテファン寺院は焼失や崩壊を重ねているため、今の姿がいつのものなのかはよく分からない(と言うより知らない)。最初は12世紀建立らしいが、聳え立つ南塔は14世紀のものとのことである。装飾などは中々異様で、迫力がある。
堂内に入るとミサ中で、何か鉄格子より奥は行けない様な雰囲気である。仕方なく堂外に出て、南塔のそばにいく。するとなにやら小さい付属家のようなものがあり、そこで観光客が何がしかの金を払って奥へ入っていく。どうも南塔を上る入り口のようである。時間の有り余る私は、この入り口に入った。

南塔内の階段 ガムの跡が目立つが、その時は暗くて気が付かなかった
石組みの螺旋階段を延々と登る。ガイドブックによると344段だそうだが、当然数えていない。前の白人が度々立ち止まるため、私も合わせて立ち止まらなければならない。また、下りの階段も兼ねている為、上から人が登ってくると道を譲り合わねばならない。目が回るくらい散々回り登った挙句、漸く展望室に辿りついた。


順に北西方向、北方向(昨日のヴォティーフが見える)、南方向
恐らく建築の高さ制限があるのだろう。教会の塔以外に高い建物は無く、従って視界を遮るものは全く無い。高いところは登った甲斐があったと言うほど景色がいいものだが、ここもご多分に漏れず爽快な景色である。暫く逗留する。
南塔を下りて、シュテファン寺院の周辺から市内を回り始める。ここで、いきなり軍服姿の東洋人の一団が姿を現した。見ると日の丸をと国連章を付けている。どこかのPKOで派遣されている部隊だろうか。だが特筆すべきは、この一団は私がこの旅行で唯一見た、日本人の大団体であったことである。それ以外に日本人の団体は全く見なかった。
暫く歩くと途端に迷うが、すぐに同じ道に出てきたりする。特に秩序だっていないと言う訳では無いにもかかわらず、ウィーンの道は若干分かりにくい。ただし、歩いているうちに必ず何らかの有名なスポットに出くわすのもウィーンの特徴であろう。いきなり繁華な通りに出て、ペスト記念柱やペーター教会が目に飛び込んでくる。


ペスト記念柱とペーター教会
ペスト記念柱は中世ヨーロッパを襲ったペスト禍が去ったことを記念して建てられた記念碑で、頂には三位一体像が光っている。ここは歩行者天国でちょっと高そうな店が並ぶ商店街である。少し横に入るとペーター教会がある。と言ってもこの教会を知っているわけではないが、案内板によるとウィーンで二番目に古い教会らしい。シュテファン寺院南塔から見える緑色の丸い屋根のあの教会である。中に入るとここもミサ中であるが、特に鉄格子で区切られている訳ではない。司祭の話す言葉に耳を傾けたが、どうもドイツ語のようである。ラテン語でやっている訳ではないんだな、と思った。
明らかに観光客と思える家族連れも入ってきているが、彼らは私と同列の教会後方にいながら、夫婦とも片膝をついて祈りを捧げている。同じキリスト教徒と言うことで、何となく彼らと祭壇近くにいる人々との間に連帯感のようなものを感じる。私はいつもの通り、こういう場面に疎外感を感じざるを得ない。私は形式的にも仏教徒である。
その後はただ漫然と歩いた。とにかく歩き回った。足が棒になるのは久し振りだと言うくらい、漫然と歩き回った。何の変哲も無い建物に何故これだけの彫刻を施すのだろうか、などと思いながらとにかく歩いた。目に留まった建物を写真で撮ったりするのだが、私はやはり街並みの方が好きで、こうして歩いているだけで楽しくなってくる。

名のあるスポットなのかもしれないが、普通の建物に見事なピエタがあったので撮ってみた
歩いているうちにリンク沿いの道に出てしまった。時計を見ると昼である。と言う訳で、昼飯を取ることにした。近くにあったカフェに入り、そこでビールとサラダのようなものを注文した。夏のウィーンは暑く、来たビールはそのまま一気に飲んでしまった。
さて、漫然と歩いてきたものの、どうも肝心のスポットなどは全く見ていないようである。と言う訳で、午後はとりあえず目標を決めて歩くことにした。王宮内は取り敢えず日本に帰る直前に見るとして、それ以外のところを選んで回ることにした。まず選んだのはベートーベンの終の棲家である。
ベートーベンは長くウィーンに住んだが、彼は市内を転々としたらしい。その中で最も長く落ち着いたのが今向うスポットだ。カフェの地点からは市電を使うのが最も手っ取り早い。場所は昨日夕飯を食べたレストランの近く、つまり城壁の北辺である。
ところが、全くその場所が見つからない。取り敢えず地図に書いてあるように行くのだが、カフェしかない。ここなのだろうかと思って覗き込んだが、地図をよく見るとメインの通りから若干奥まったところにあるような感じである。私はもう一度自分の位置を確認して、そして若干高台にあるアパートに目をやった。あれか?


ベートーベンの棲家であることを示す観光板 これが無ければ気付かなかっただろう
何の変哲も無い普通のアパートで、しかも今も普通に人が住んでいるようである。ドイツ語でなにやら書いてあり、ベートーベンとだけ読めるが、どうやって中に入るのだろうか。いや、中には入ることは出来るのだが、ここ勝手に入っていいのだろうか、と言う感じである。何だか同潤会アパートのような湿気を感じる、本当に普通のアパートである。明らかに人が住んでいると思われるアパートの階段を登り、4階に行った。チケット売り場のようになっているのだが、どうも本当に同潤会などに入っている画廊のような雰囲気で、ここでいいのか受付のおばちゃんに尋ねてしまったほどである。
中に入るとベートーベンが使っていたと思われるピアノが置いてある。今のようなピアノでなく、若干小ぶりのもので、恐らく今のものとはかなり違うものだろう。ピアノ線の張力もかなり弱いものである筈だ。その他、ベートーベンに関連する人の肖像やベートーベン自身の肖像、さらに直筆の楽譜や当時のコンサート案内のリーフレットなども展示されている。リーフレットがドイツ語で無くフランス語であったりするものもある。ただ、この家にあるもので最も目を引くのはベートーベンのデスマスクである。
石膏で出来ているのか定かでないが、ベートーベン死後、顔の型を取って作ったものであろう。死顔の表情は若干険しく、肖像で見るようなベートーベンそのままと言う感じである。顔は結構広いので、細顔のヨーロッパ人の中では珍しい顔であるが、これも肖像の通りだ。口はきりりと結ばれており、何だか肖像を元に作った塑像のような気がするほどだ。死亡後、ベートーベンは確か少し解剖されたはずだが、解剖された後はだらしない顔つきになったと聞いた。と言うよりそんな絵をどこかで見た。ということは、このデスマスクはその前のタイミングで取られたものだろう。
さて、ベートーベンの家を辞した後、暫く歩いた。次はオスマントルコにウィーンを包囲された際、その砲撃による傷が残ると言うミノリーテン教会に向ったが、一体どこが傷なのかよく分からない。と言う訳で割愛。
歩いていくと、王宮入り口に出た。


王宮ミハエル門と対面のロースハウス
王宮は日本に帰る直前に見る予定だ。何故なら、最後の夜はこの辺の宿を取ったからである。私は王宮前を通って、さらに先へ進んだ。
と思っていたら、何だか若干便意を催して来た。トイレを探したが無い。どうしようかと思っていたら、何だか音楽が聞こえてくる。行ってみるとそこはカフェで、中ではバイオリン、チェロ、ピアノで生演奏が行われている。ウィーンは街頭で楽器を演奏している人が多いが、このようにカフェで演奏している例も見られる。傍を観光馬車が通り、馬車の兄さんが客に、「土日はここのカフェで生演奏をしているんです」と言っているのが聞こえた。便意も風雲急を告げつつあったので、私はこのカフェに入った。
ウィーンはカフェが多い。ここに入るまでに、私は何軒もカフェに入って、そこでビールを一気飲みして渇きを癒してきた。が、日本でも知られる「ウインナコーヒー」の類を飲んでいないことに気付いた私は、ここではコーヒーを注文しようと考えた。と言っても、やはり暑くて熱いのは飲む気にならない。普通のアイスコーヒーを注文した(と言うより、アイスコーヒー以外のメニューのドイツ語が分からなかった)。
演奏は続く。しかし、通でない私は曲の名前は分からない。モーツアルトか?と言うほどである。だが、何ともいい気分である。カフェは店内にソファが置いてあり、私も5人ほどかけられるソファに一人ですわり、音楽を聴いている(この時点で既にトイレは済ませている)。ウィーンのカフェには必ず尋常な量を超える新聞が置いてあり、客は新聞を読みながらいつまでもカフェに逗留するような、そんな風情である。私は新聞を見る事も無く、ただ座って演奏を聴いていただけである。そこに、アイスコーヒーが運ばれてきた。単なるアイスコーヒーが来る訳ではなく、コーヒーの上には生クリームがたっぷり盛ってあり、生クリームに隠れてバニラアイスが浮かんでいる。おお、これがウィーンの「普通のアイスコーヒーなのか?」と思いながら、飲み始める。
結局3曲も聴いてしまってから外に出た。私はこのカフェが気に入った。後にもう一度、わざわざ行ったほどである。
さて、カフェを出てからはまた市内巡りを開始したが、もう夕方と言う時刻である。今日のフライトは夜10時ウィーン発だが、遅くとも7時半には市内を出たいと考えているため、少し急ぐ。次の目的地はドナウ運河沿いに建つウィーン最古の教会、ルプレヒト教会である。建立は西暦740年。


とは言うものの、既に中には入れない時間で、外からその教会を見ることしか出来なかった。建物は石組で、他の建物とは異質な感じである。蔦に覆われており、それが古めかしさを助長している。ザルツブルク大司教で塩商人の守護聖人として知られた聖ルプレヒトによって建立、とはガイドブックのガイドである。尚、モーツアルトの生まれ故郷ザルツブルクは「塩の街」の意。
ルプレヒトを辞して、今度はマリア・アム・ゲシュターデ教会に向う。ここは内装が凄いらしい。
アリマ・アム・ゲシュターデ教会
ここは閉まっていなかったが、中は人気が無く、寺院特有の冷んやりした薄暗い感じがする。内装は特に凄いと感じなかったが、私はここで暫く黙想した。
さて、そろそろ時間である。が、もう一つ見ておきたいところがある。それは街の東側にあるフンデルトバッサーハウスと言う、画家フンデルト・バッサーが意匠設計をしたアパートである。






このメルヘンチックなアパートに対して、文句をつけるところは特に無い。時間が無かったから20分くらいしかいなかったが、希望を言うと中の部屋を見たかった。と言う訳で、私は外観を眺めただけであり、そこから得た感想しか言えない訳であるが、その印象は悪いものではなかった。
この雰囲気は感じた事がある。それは表参道に並ぶ同潤会アパートに対して感じたものとほぼ同じである。感じ方は人によるかと思うが、私は高校時代以来、この表参道の雰囲気を決定しているのは同潤会のアパートだと思っている。確かに、表参道は様々な建物が建っていることは建っているし、原宿駅の近くに行くとそれが如実に分かる。また、246との交差点近くもかなり違う。ただ、その間を結ぶ表参道は、鬱蒼としたケヤキ並木が並んでいて、どちらかと言うと緑豊かな通りを連想させると思う。そして、そこに何の不自然も無く、自然に並んでいる同潤会アパートは、正に表参道の風景を決定している。
と言うのと同じようなものを、このフンデルトバッサーハウスに感じた。生活臭も同潤会同様、ふんだんに感じられる。
さて、時間が無い。私は再度市電に乗って、途中で地下鉄に乗り換えて西駅へ向った。コインロッカーから荷物を取り出し、バス停に向う。ウィーンに対する「別れの寂しさ」は無い。数日後に、またウィーンに戻ってくるからだ。どうやら私はウィーンが気に入ったようだ。それより今の関心事は、今から向うアルメニアは、一体どんな国なのかということである。
暫しさらばウィーン