その一 出発
結局昨日は飲んでしまった。夜12時くらいに帰宅して、昨日まで準備してあった荷物準備を仕上げる。と言っても、パスポートをバッグに入れるくらいだった。布団に入ったのは2時過ぎだったが、布団に入ると、ああ、明日から旅行だ、などと久し振りに若干興奮して、眠れなかった。
と言う訳で、半分眠った状態で午前5時を迎え、身支度を整える。家人がまだ寝静まっている午前5時、私は家を出た。成田までは学生時代を思い出して、京成で行こうと決めており、表参道で銀座線に乗り換える。早朝、表参道で銀座線を待つのは久し振りで、旅行に出ると言う気分が高揚してくる。上野に着いて京成の改札に向かい、スカイライナーの券を買ってスカイライナーに乗り込む。夏休みの土曜と言うことで、座席はほぼ満席だった。
空港第2ビルに到着し、そのまま出発ロビーに向う。最近は第二旅客ターミナルしか使わなくなったが、どうも未だに勝手が分からず、カウンター探しに戸惑う。スカイライナー同様、出発ロビーはごった返しており、前に進むのも容易で無い感じがある。しかしながら、カウンターでの券受け渡しは全く待たずに済み、拍子抜けした。航空会社カウンターは軒並み大渋滞である。
すぐに出国審査に向った。まず搭乗券を見せて、荷物検査、それから出国審査である。荷物検査までは訳も無く進んだが、出国審査が相変わらずの大混雑で、出国のスタンプを貰うまで40分かかった。出国審査は以前に増して効率が悪くなったようだ。平行滑走路が供用開始になってから便数が増え、同時に利用客数も増えた筈だが、それ以外のシステムは以前のままであるのが原因だろう。荷物検査ブース付近まで人が並んでいるにもかかわらず、空いている審査ブースに追加で審査官が入る気配が無い。前のドイツ人は「世界一遅い」と憤慨していたが、全くその通りで、こんな空港見たこと無い。成田空港公団は何をしているんだと言う感じだが、間違いなく何もしていないと思う。
ほうほうの体で審査を終え、ゲートに向う。今回の旅行で使う航空会社はオーストリア航空だが、それよりも私の乗る便の30分後に出発するタイ航空の出発ロビーが気になる。実はこの日、仲の良かったパキスタン人研修生2人が1年間の日本滞在を終え、このタイ航空機でラホールへ戻るのである。ギリギリまで待ったが、結局彼らの姿を見ることは出来なかった。恐らく、自国の遅れている空港より遥かに緩慢なあの出国審査につかまっていたのであろうか。
機内に入り、今回の旅行の予習を始めた。何しろ、今回の行き先についてはまだあまり知識が無いのである。
今回の行き先はウィーン、アルメニア、ブタペストであるが、メインは行き先で唯一国名を挙げたアルメニアであり、ウィーンとブタペストは全くのオマケと言って過言ではない。スケジュール上こうなっただけで、本来ならウィーンとブタペストは行かない所である。アルメニアなどと言う、コーカサスの小国に観光で行こうと言うのは随分酔狂であるが、切っ掛けは大学院卒業直前に言ったイスラエル旅行である。エルサレムの城壁内にアルメニア人地区と言うのがあり、それ以来アルメニアに若干興味を持ち続けていた。当時の旅行記に、私はアルメニア人地区について、以下のように書いている。
城壁内に戻る。アルメニア人地区を歩く。アルメニア人のように、全く知名度の低い民族が何故エルサレムの一地域を占めるのかはよく分からないのだが、その中にアルメニア博物館がある。とりあえず入ってみる。
中は完全に普通の、アルメニア博物館だった。エルサレムにあるのに、まるでアルメニアの歴史以外に興味がないといった風情である。だが、これが目的なのかもしれない。何しろ、アルメニアなどという知名度の低い国は、行こうと言う者など少なく、また一生そのアルメニアという国を知らずに生きていくことになる。しかし、仮にも多くの人を集めるエルサレムにこのような資料館を建てておけば、それまでアルメニアを知ることのなかった人々が、バルトロマイによるキリストの布教を知り、早くからキリスト保護に転換したアルメニア人を知り、そして、殆ど知られていない近代のトルコ人によるアルメニア虐殺の歴史を知ることができるだろう。何しろ、私のその一人となったわけであるし。アルメニア博物館は、そのような訳で私にはかなり興味深いスポットであった。中庭は鳩の糞だらけであまり清潔とはいえなかったが。
会社に入ってからは忙しい日々が続き、海外旅行どころではなかった。しかし、遂に一息入れるチャンスが到来した。行き先を決める時、私の脳裏に走ったのはアルメニアである。そこで今回、アルメニアを行き先に決めたわけである。
飛行機が離陸した。一旦九十九里を出て太平洋上に出て、そこでUターンをして再び房総半島に戻る。すぐに今飛び立った成田空港が眼下に見える。その後、関東平野を走る大蛇のような利根川を望みつつ、機は本州を横断、山地を越えて、比較的大都市上空に出た。ワールドカップをやった新潟スタジアムが見え、阿賀野川と信濃川の河口が見える。日本海に出て、いよいよ機はユーラシアを目指す。
オーストリアのガイドブックに再び目を落とし、オーストリアの予習を再開する。ウィーンに着くまで、私は一連の予習を終えなければならない。何しろウィーンには1日半以上滞在する予定である。
機内食を食べて、酒を入れたら、睡眠不足から眠くなってきた。と言う訳で暫し眠った。気が付くと機はシベリアに入っており、窓からは蛇行した大河が見える。エニセイ河かと思ったが、どうやらオビ河のようだ。周囲は湿地帯である。本を読んだり窓からの景色を眺めたりと、10時間を超えるフライトはそれ程長くは感じなかった。ウクライナ上空あたりから窓の外の景色が開墾された農地に変わり、この調子でウィーンに向った。ウィーンには予定とほぼ同じ時刻に着陸、いよいよ旅の始まりだ。
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