未知との遭遇?
 昨年の夏に、私は2人目となるはずだった子を流産している。
 自分でも驚くほど体の立ち直りは早く、そしてさらに驚くほどココロは、その悔しさを忘れてはいない。


 で、いま3人目となる子を出産する1ヶ月前となっているのだ。
 2人目の子は、きっと私に 『 恐れるな。あんたはちゃんと産める体だよ 』 と教えるために宿ってくれたのだろうと思う。
 事実、流産して半年で3人目の子が私を選んで宿ってくれたのだから、これはもう恐れる事は失礼に当たる。なので、出産すること自体にはそれ程恐怖も不安もない。
 が、いかんせん5年ぶりの出産。
 5年というと短いように思えて、しかし30代前半で1人目を産んだときと変わって、私は高齢出産の30代後半となってしまっているのだ。1人目を妊娠しているときには、こんなに苦しかったか???と、自分の記憶の曖昧さを呪うほど、今回の10ヶ月はなかなかスリリングなもので・・・。


 ぶっちゃけてしまうと、妊娠糖尿病という、あまり名誉なことではない事態になってしまっていて、インシュリン投与に至るまでのリミットぎりぎりのところをウロウロしている。
 それに加え貧血まで出てきた。妊娠中期ごろから、よく脳貧血を起こしていたが、とうとう数値に明らかに出てしまって、最近になって、これまた不名誉なことに、鉄剤を処方されてしまった・・・。
 後期に入ってお腹の子の成長が加速すると、胃が圧迫されて苦しい。そして胃酸過多になり、つわりの再来かと思うような気分の悪さ・・・。


 妊娠糖尿病は妊婦全体の数パーセントしかならないらしいが、それになったおかげで、出産後に本格的に糖尿病になる確率が出てきてしまって、いままで健康体として生きてきた私にとっては、40代目前にしてかなりショックな出来事だ。
 糖尿病患者が多い日本では、砂糖を使わない食品が増えて、食生活における欲求不満はかなり解消できるようになってはいるものの、食べたいものが食べられない苦しみは結構大きい。


 そんなストレスと闘いながら、いま私にとっての未知の世界とは、2人の子どもを育てる日常とはどんなか? という点。
 私自身が1人っ子なので、家の中に子どもが複数いる光景を日常的に見たことがない。主人は2人兄弟なんだけれども、どうやら今度産まれてくる子も上の子同様女の子みたいなので、家の中に女性3人、内2人が子ども、男性1人、といった図になる。
 女3人集まれば姦しいとなるわけだが、現在娘1人でも結構賑やかなのに、もうひとり増えて、しかも最初は当然なにも出来ない赤ん坊なわけだから、姦しいに加えて、母親である私はかなり忙しい・・・。
 上の娘はまだ保育園だ。送り迎えのときは下の子を園内に連れて行くべきか・・・。買い物なんか人ごみの中に入るときはどうしようか・・・。夜寝るときは誰がどの部屋に寝るのがベストなのか・・・。だいたい、私はまた、あのオムツとミルクを必要不可欠とする生活をしながら、家のことやら何やらをこなす体力があるんだろうか・・・。

 そんなこんな、心配事はかなり多い。
 もともと、何事もかなり前からシミュレーションしてイメージトレーニングしておかないと気がすまないタチ。
それによって、実際に遭遇したときに慌てなくて済んだことが多々あるにしても、こんどの未知との遭遇はけっこう武者震い状態。(1人目を産むときも武者震いしたけど・・・)
 楽しみ半分、緊張半分。
 上の娘を産んだときに感じた、生きるという意味への実感は今も色濃く感じることが出来る。
 
(ちなみに上の娘の出産前の実感は、48を参照・・・よければ。)
 しかし今度は同じように見えて、まったく違う命との遭遇が待っている。
 昔、母が私に言った 『 あんたを産んだら怖いものなんてなくなっちゃったわよ。 』 という言葉。それを言った母でさえ、3回妊娠し、2人を出産しようとする私に 「 勇気あるねえ。 」 と言った。 勇気があるのかどうかは分からないけれど、ここまできて敵前逃亡は出来ないのだから、諸々含んで初めて尽くしのこの出産、そして育児、あと1ヶ月あまりとなった今、お腹の中でしゃっくりを繰り返しながら、上の娘に負けず劣らずゴリゴリ動いて私を苛めて来るこの未知の存在を、ただ静かに迎えるばかりである。


 ちなみに、上の娘はたま〜に、見えないはずのものが、さも見えているような発言をする。作り話か本当か。
 これも一種の未知との遭遇???