自在放言 135


戦争の勝者と敗者

最近イラクの刑務所に於いて、収監されているイラク人に対して、米軍による非道な虐待行為があったことが判明した。これに対してブッシュ大統領は厳しく責任を取らせると発表した。この様な行為は、軍が組織としてやったのではなく、個人が行ったということにして、個人の責任にしようとしているようだ。裁判を行っているが、どの程度本当のことが判明するであろうか。

それにしても戦争とは如何に人々に残酷な行動を取らせるものであろうか。

この前の戦争においても、わが国は勝利者が敗者を裁く東京裁判において、平和に対する罪及び人道に対する罪ありとしてその責任をとらされた。裁判官も検事も戦勝国、証拠物件も戦勝国に不利なものはすべて却下された。

ここに一つの古新聞の切抜きがある。これは筆者が中学生の時切り抜いたものであるが、発行元の新聞社も年月日も不明である。多分昭和18年か19年の頃のものであろう。 あるキリスト教徒であるアメリカ兵が、戦場で戦死した日本兵の遺骨を記念品として戦地から米本国の少女に贈った「髑髏と少女」の写真である。

この写真は米国の有名な雑誌ライフの5月号に戦時中載ったものである。ドイツ外務省がこれを入手し、ベルリンから日本へ電送されたものである。

雑誌ライフの説明には『これは日本兵のドクロを米国兵が記念に少女に贈ったものだ。彼女はいまこのドクロの寄贈者にお礼の手紙を書こうとしている』と記載されている。

また米国民主党ウオルター下院議員はルーズベルト大統領に日本兵戦死者の骨から製作した紙切り小刀を寄贈した。大統領はこの紙切り小刀をそのまま寄贈者に送り返したといわれている。

この古新聞の切り抜きはどの新聞か又年月日も不明である。併しこのように日本兵の戦死者の遺骸を冒涜した事は確実な事実である。この様な行動も人道に対する罪である。しかし勝者にはその罪は問われないのだ。

この様な行為をした米国兵も、平和な時は敬虔なキリスト教徒であったであろう。如何に戦争とは人を残忍な行為に走らせるものであろうか。

(2004/06/30)

放言136バックナンバー放言134ホーム