玉蔵は、クロエの様子を横目で眺めていた。

「なぁ・・・・ブレフォール」

彼の呼びかけに、横の紳士が汗ばんだ顔を向ける。

「足、大丈夫か」

老人の横顔をみながら、紳士・・・ブレフォールの顔は微かに笑った。

「大分まずいな・・・」

プロロロ・・・・。

 その時、機械的な音とともに、月の中から黒い影が近づいてくるのにクロエは気づいた。

やがて風と照明の光が、玉蔵とブレフォールを襲った。

ホコリを巻き上げながら、その光の主、青い中型のヘリコプターはサーチライトを屋上に這わせた.

 マイクの死体を照らしたライトに、吹き付ける風に外套をはためかすクロエの姿が映る。

反射的に、クロエは血の着いた大振りなナイフを顔の前に構えた。

光がナイフに反射し、煌く・・・・。

 ヘリは、再び高度を上げ屋上を離れていく。

ロロロ・・・・・。

 クロエに睨まれながら月を横切り、それは白い夜景の向こうに消えていった。

「奴さん、退散した様だぜ・・・」

玉蔵はくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出して、ブレフォールに言う。

ガチャッ・・・。と屋上の入り口が開く音がし、何人かの黒服が入ってくる。

「ご無事ですか!?」

 彼等は玉蔵とブレフォールの姿を確認し、そう叫んだ。

 

 ホテルの玄関前の、送迎用のロータリーには黒塗りの車両が数台停まっていた。

足を吊って、彼らの仲間に脇を支えられたまま玄関から出てきたブレフォールの姿を見て、車の近くに居た 黒服たちはスーツの袖に着いた無線に向かって何かを告げた。

その中の一人が、ブレフォールへ近づき耳うちをした。

「やはり、私への情報は遮断されていたか・・・そして、一番最初に彼女がそれに気づいたのか・・・」

ブレフォールはその男に確認すると、横のクロエと玉蔵・・・特にクロエに向かって言った。

「君とアルテナに救われたようなものだな・・・・礼を言う」

 ブレフォールの感謝の言葉にも、クロエはちらりと彼を見ただけで特にそれ以上の感心を示さないようだった。

 その時、ブレフォールを支える男のイヤホンにノイズ交じりの新しい連絡が入った。

「ブレフォール様・・・・やはり、今回の件は『ローゼンクロイツ』が背後にいたようです・・幹部の中にもかなり内通者が・・・今、それに関する確かな証拠があがったと・・・」

「おい」

 彼に全ての情報を最優先で伝えるよう命令されていた男は、義務的にブレフォールにそう言いかけて彼に制止された。

「情報を漏らすな、部外者がいる」

ブレフォールが、彼の隣の、タバコの煙をふかす老人を目で指して言うと、男は焦ったような素振りを見せた。

 玉蔵は、その男に向かって軽く笑みを返すとブレフォールを置いてロータリーに降りた。

クロエがそこで宙を見上げていた。

「あんた、月が好きなんだなァ・・・」

タバコの灰を落としながら、つぶらな瞳がその横顔を見る。

「はい」

 三白眼に月を映したまま、クロエは答える。

なぜかその横顔が泣いているかの様に、玉蔵は錯覚した。

「でも、ここの月は荘園で見えるほど綺麗じゃない」

クロエは正面に向き直り、一歩前に出た。

 少女の眼前に、黒いビル群が放つ白い灯の群れがあった。

「光が・・・月の明かりを邪魔しています」

老人も月を見る。

「確かにあそこの月は綺麗だった」

 その言葉に内心驚いて、クロエが振り向くと玉蔵は目を閉じて、安堵したような、疲れたような笑みを浮かべていた。

「あなたはアルテナを・・・」

驚いたように尋ねる、彼女に玉蔵は微笑をくずさぬまま答えた。

「友達なんだ・・・前に荘園にも一度な・・・」

 その答えに、クロエの瞳が瞬きの回数を増やした。

そんな彼女に玉蔵は一歩近づく。

「これ、やるよ」

 彼が差し出したのは、木の棒切れだった。

たった3文字、平仮名で『あたり』という文字が焼印されていた。

「適当な店に持っていけば、もう一本もらえる・・・・お勤めが終わって、腹が減ったら使いな」

しげしげと、クロエはその得体の知れない棒切れを見ていた。

「なによりあんたが無事に帰ることが一番大切な事だ、無事に勤めを終えてアルテナを喜ばせてやれよ・・・」

 玉蔵は彼女のそんな様子を見て、呟くように言った。

「はい・・・」

顔をあげて、クロエは幾分はっきりと答えた。

「彼女に宜しくな・・・」

クロエから背を向け、疲れたように肩をおとして優しく玉蔵は言った。

「・・・何者なのですか、あの男」

車の中から、2人を眺めていたブレフォールは先程の男にそう尋ねられた。

「阿修羅・・・かってはそう呼ばれていた男だ」

 その言葉に心当たりがあったらしく、男ははっとした表情をした。

「素手以外の道具を暗殺に用いないという・・・あの?」

いぶかしげな男の声に、ブレフォールは黙して肯定した。

 

 

 

「だからね、お婆さんそこの路地で人が死んだの」

 白い手袋をした、背広の若い男が眼前の老婆に対し、ゆっくりと、大きな声で言う。

「それで、お婆さん、貴方その日に怪しい人がこのお店に来ませんでしたか?」

「えぇその日、珍しくお客さんが・・・来ましたよう。緑色のマントを被った女の子でしたよう」

 和服を着た皺だらけの老婆は、やたら間延びした調子で答えると、若い男の表情にあきらかに苛立ちが浮かんだ。

はぁ・・・とため息をつき、彼は頭を掻いた。

「大滝警部補」

彼はそのまま振り返ると、棚に置かれた串が刺さったビンをいじくりまわしていた中年男性を呼び止めた。

どこかぼんやりとした、人の良さそうな顔をした彼は自らを指差し自分を呼んだのかどうか、若いその刑事に確認する。

「女の子は・・・アイスのね、あたりの棒をもってきたんです・・・わたしゃあ腰が弱いからぁねぇ・・・そこの冷蔵庫から好きなのとって頂戴ねって・・・」

若い刑事が再び困ったように老婆を見る、大滝と呼ばれた中年刑事もそれを黙って伺う。

「ガイシャは、大手おもちゃメーカー、浅草トーイの技術主任。唯一の目撃者候補は・・・今年で91の駄菓子屋のおばあちゃんか・・・・」

 大滝は自分に確認するように言うと、彼女の前の机においてあった飴玉を手に取る。

「刃物で頚動脈を一閃・・・明らかにプロですよ、犯人は」

若い刑事は首を指で切るジェスチャーをしながら、悔しそうな表情でそう言った。

「あの子ったらねぇ・・・ピクリとも笑わないで・・・それは不気味な子でしたよう」

 大滝は老婆をしげしげと見ると、フン。と鼻を鳴らした。

「西川君、このヤマ迷宮入りするかもしれないよ」

大滝の唐突な言葉に、西川と呼ばれた刑事は眉間に皺を作った。

「なんとなく、そんな感じがするんだよねぇ・・・・あ、お婆ちゃんこれ頂戴」

 

「では、たのむよ」

 ベンチに座った灰色の和服を着た老人・・・玉蔵がそう言うと、眼前のコートを着た栗色の髪の若い女性は、黙って傅いた。

そのまま彼女は枯葉を踏みながら、公園の出口へ向かって歩いていった。

「じぃちゃん、あのお姉さんだれ?」

カチ・・・カチ・・・!

 彼の横、黒い携帯ゲーム機に見入る、玉蔵に良く似た小さな目を持つ少年が尋ねた。

「金太、お前は知らなくてもいいんだよ」

「ふぅん」

 玉蔵が言い聞かすのを、鼻を指につっこみながら金太と呼ばれた少年は返事をした。

「コレ、金太鼻くそほじんな」

 玉蔵が眉をひそめて金太に注意した。

「鼻くそって言やさー食う奴とか居るじゃん」

金太は、鼻から指を取り出しながら言う。

「つまり鼻くそって・・・うめぇのかなぁ」

「お前、それ喰う気?」

玉蔵が金太の指先を見ながら言った。

「いらねぇ」

ピンッ→

指先に付着していたものを弾き飛ばすと、金太は再び携帯ゲームに視線を移した。

「お前も来年中学に上がるか・・・・」

 玉蔵は秋風に震えるように、手を服の中に引っ込める。

「お前と同じ齢で殺しをしている奴も居る・・・・」

「ん・・・?」

金太が思わず顔を上げて玉蔵のどこか陰のある表情を見る・・・しかし、すぐに思い出したように彼は、あわてて携帯ゲームの画面に視線を移す。

「あ―――」

 だが、すでに手遅れのようだった。金太は黒い画面に浮かんだゲームオーバーの表示を見ながら、落胆の声をあげた。

「金太」

そんな彼の耳に玉蔵の声が聞こえた。

「寿司・・・喰いに行くか?」

 顔を上げると、玉蔵が黄色い歯を剥き出しにして笑っていた。

答えるように、金太も小さな歯を、剥き出しにして笑い、応える。

その笑顔が秋空に映えた。

 

 古代ローマ時代のものだろうか。

かろうじて原型が解るくらいの崩れ落ちた、時代がかった建造物の遺跡。

 それに沿って、日の光に反射して青い光りを放つ畑があった。

その青い光を放っているのは葡萄であった。

 深緑の外套を纏った紫色の髪の少女が、その中のまっすぐに伸びる、舗装されていない道を進んでいく。

視界に広がった、澄み渡った空の下に、先程の建物と同じくらい時代掛かった柱頭に守られた、煉瓦作りの小さな家があった。

「あっ・・・」

 その家の前に、白い装束を纏った女性の姿が見えた。

その姿を見て、少女・・・クロエは走り出す。

そうして女性との距離を詰めるにつれ、あの冷たい瞳に光が、外套の襟に隠されていた口元に弾んだ息とともにほころびが顕れた。

「アルテナ―――――っ!」

 白い装束の女性に、クロエは飛びつく、彼女はその小柄な体を受けとめる。

アルテナは、長いブラウンの髪をした背の高い女性だった。

 外見だけ見れば20代過ぎくらいの様にも見えるが、全身から放たれるどこか落ち着いた雰囲気は彼女はそれよりも高い年齢だと感じさせた。

「無事勤めを果たしたのですね・・・さぁ、クロエ。お顔を見せて」

アルテナの言い聞かせるような言葉に、クロエは抱きついたまま顔を上げた。

「はいっ」

 覗いたのは、嬉々とした声と表情だった。

「アルテナ・・・あなたの手紙のお陰です」

アルテナはそう、少し照れくさそうに言うクロエの頭をなでながら言った。

「本来の勤めに加えて裏切り者の存在。さぞ、今回の勤めは困難だったでしょう・・・」

 その優しげな双眸が、ここを旅立った時からずっと心を支配していた緊張から解き放ってくれた。

「平気です」

クロエは力強く、その双眸に答える。

「あなたとあの子の事を思えば、平気です」

 アルテナと改めて目が合う。

アルテナは、特に素振りや表情の変化を見せなかったが、彼女の言葉に同意したようだった。

「タマゾウにも会いました」

家の戸に手をかけるアルテナにクロエは思い出して、言う。

「そう・・・彼に会ったのですね」

答えながらアルテナが戸を開ける。

「さぁ、中に入りましょう・・・・」

クロエはそれに続いた。

 

 月が、葡萄畑を銀色に染めていた。

 その明りが窓から差し込み、簡素なベットの中で安心しきって眠るクロエの顔を照らした。

その横で、アルテナは彼女をじっと見ていた。

部屋の光源である蝋燭の光りに照らされ、壁に彼女の影が作られていた。

コンコン・・・・。

 部屋の扉を叩く音が聞こえ、蝋燭をもって彼女はそちらへ向かう。

扉が開き、漏れた光が栗色の髪をした若い女性の顔を照らし出す。

「ご苦労でしたね・・・・マレンヌ」

 その優しげな瞳が、闇の中でかすかに細められた。

―――――親愛なるアルテナへ。

マレンヌと呼ばれた女性が消え、再びアルテナはクロエの横に座り、手にした紙を見た。

―――――君のあの子を見させてもらった。

 蝋燭に照らされ、紙の上に書かれた文字が漢字と平仮名が混じった日本語だと解る。

―――――いい喩えが見当たらないが・・・・性能は兎角、恐ろしくいい。全てに置いて正確で冷徹。流石君が育てあげた事はある。

アルテナは、不意に視線をそらして眠るクロエを見た。

―――――だが、それだけが君が求める物ではない筈だ。

オレンジ色の光が、彼女の微笑んだ寝顔を照らしていた。

―――――あの子はノワールにはなれない。

ガタッ・・・・アルテナは椅子から立ち上がった。

―――――最初、彼女は機械を私の前で装っていた。しかし君の手紙を見た途端・・・彼女は唯の母親を想う少女になった。

 その、少女に彼女は顔を近づける。

―――――ノワールは偶像だ・・・。『もう一人のあの子』ならともかく、彼女には・・・。

窓からは、銀色の月が見えた。

―――――彼女は、君を愛しているよ・・・大切にしてやれ。

 アルテナの手が、クロエの顔に伸びた。

ひざまづく様にして、彼女はクロエを抱きしめた。

―――――大切にしてやれ・・・・・。

その胸は温かく・・・。

その手は冷たく・・・・・。

クロエはその中で、ただ安堵して眠っていた。

 

 

 

 

 

クロエさん―――完―――