はぁ・・・。と溜め息をつくながら、芥は顔を真っ赤にしている友人に声をかけた。
「それじゃ・・・ご好意に甘えて、それもらっとくわ」
「・・なんでだよ?」
手を差しだした芥に、つぐみがぴしゃりと言い放つ。
「・・・・・。」
 芥は、思わずつぐみの顔を見返した。
「それって・・・俺のじゃ・・・ないのか?」
「なにいってんだよ、当たり前だろ?お前は友人代表として最低5枚はかってもらうからな。」
つぐみはCDケースをいじり回しながら返答(こた)える。
「でも・・それじゃそれは誰にやるんだ?金太にはもう・・。」
「え!?」
 つぐみが、びっくりしたように芥の方に向き帰った。
芥はおもわず、まずいことが口をついてしまった事に気付いた。
(盗み見してたなんていったら・・・・まずいだろ。)
「いや、誰にやるんだ、それ?」
 芥はいぶかしげに自分を見るつぐみに向かって、冷静に聞こえるように努めながら声を掛けた。
「あぁ・・・。アイツ・・・金太の家の人にさ。」
「金太の、家族?」
 意外な返答と言えばそうだろう、芥は何故、彼女が金太の家族に対してそんな事をするのか気に掛かった。
「おうよ、アイツがいなくなって、1バン辛いのは、やっぱ・・・家族だと思うからな・・・。」
「・・・・・・・。」
思わずつぐみの顔を、芥はまじまじと見返す。
「・・・ま、まぁ、あれだ・・・。あんな事を経験しちまうと、な。色々考えちまうんだよ。」
 芥の視線に気付いてか、つぐみは頬をかきながら、少し照れたように言葉を繋げた。
「・・・俺は、一人暮らし同然だからあんま解らねえな・・。」
ちょっとした気まずさを感じながら、芥は再び車外に視線を移した。
「・・・・親に泣かれてみれば、わかるよ。」
「・・・・・。」
 オレンジの夕焼けが、電車の中まで同じ色に染め上げていた。
「次は、アキハバラ、アキハバラでございます・・・・。」
電車が駅に着くその間、2人の会話はしばらく止まった。

 大滝は階段を下っていた。
やがて、階段を下りきると、コンクリートのむき出しになった広い駐車場に出る。
大滝がキョロキョロと辺りをうかがっていると・・・。

ピッー!
 クラクションの音に続き、大滝をライトが捕らえ、彼の背後のコンクリートの壁に大きな影が伸びた。
彼は目の前に一台の車・・・かなり古いタイプのデザインの車に近づいていく。
 大滝は車に近寄ると、コンコンと、これも最近の車には付いていない様な三角窓を叩いた。
ガチャッと、大滝の目の前のドアが開いた。大滝はそこから車の中に身を屈めて乗り込む。
「どーも、お迎えに上がりました。」
「すまないね。」

 運転席からの女性の声に、大滝は労いの言葉を返す。相手の女性は車の中が薄暗いせいと黒服にサングラスを掛けているせいでよく顔は解らない。
「しかし、現場から大学(こんなところ)に直行なんて・・・どうしたんですか?」
 相手の声はどこか陽気な感じだった。敬語すら使ってなければ、親しい友人に対して話してるのと変わらない感じだ。
「いやぁ、ここの院生に親しい親友が居てね、あんな事した後じゃ本庁で堂々と調べものってわけにもイカンでしょう?」
 大滝はバタンと、ドアを閉めながら答える。
「調べものですか・・・仕事熱心ですね。」
「あんまり、他人に喜ばれないけどね。」                                          大滝は言いながら、車のバックミラーをこちらに向け、自分の顔を見る。その時運転席の女性は彼の横顔に新しい青あざがあるのを発見した。
「うん、私は帰ったら当分なんやかんやで動けないでしょ?悪いけど、山本君。これに書いてある人物・・代わりに調べてといてくれないかな?」
 大滝は、横の女性にホチキス止めされた資料を差しだす。
「了解。」
 山本と呼ばれた女性は、大滝の方へ向き直ると自分のサングラスを外ずした。
その女性はおそらく実年齢より若く見えるタイプだろう、どこか悪戯っぽそうな、猫を連想させる顔がにぃと、大滝に向かって笑ってみせる。
 彼女は資料を受け取り、ダッシュボードにそれをしまうと、車のキーを捻ろうと手を伸ばした。          「あ、私が運転しますよ。」
大滝は山本より先に、キーに触れようとしたが・・・。
「あぃっ・・・・・」
腕を伸ばした途端、脇に刺さるような痛みがが走った。
「大滝さん!大丈夫ですか?」
 突然、苦痛を訴えた大滝の肩を山本が支えた。
「いや、すまない・・・・・怪我をしててね・・・。」
 大滝は体をシートに戻しながら、山本に弁明した。
「怪我って、大滝さんが?珍しい・・・。」
「ははは。山本君、世間は広いよ・・・。」
 苦笑しながら、大滝はシートに深く座り直す。
(あれは・・・・・・・・。)
 大滝の脳裏に、あの不可解な状況が蘇る。
――ガッチリとロックした腕
――全体重を載せて制した躯(からだ)
――その、躯から伸びてきたもうロックしてない方の腕。
――指で・・・・・突かれたのみ、殴られてはいない。
――だが・・・!
「大滝さん。」
 運手席からの声に大滝は我に返る。
「それじゃ、私が運転しますよ。」
「あ、ああ・・ヨロシク。」
ギュルルル・・・・。
 エンジンが作動する音が聞こえ、車体が軽く揺れる。
「ホントに、大丈夫ですか・・・?」
ハンドルを握った山本が、大滝を横目に見ながら訪ねる。
「うん?問題ないよ、直行して。」
 大滝は脇腹をさすりながら答えた。
実は穿たれたあとがまだ疼き、痛む・・・。
それでも大滝はどうにか笑顔で返した。
「山本君。」
 車が動き出した時、大滝が言葉を発した。
「ハイ?」
「私が、いない間・・・こいつ壊さないでね・・・。」
 まるで我が子を不安がるかの様な口調の大滝に、山本は笑って応答した。
いまでは骨董品といってもいいようなデザインの水色の車は、ゆっくりと駐車場の出口にむかって動き出した。

  芥とつぐみがアキハバラ駅のホームに降りた時、ホームは夕方の混雑でごったかえしていた。
休日と言うことで仕事帰りの人より、親子連れが多い様な気がする。
2人はその合間を抜け、階段を下り、改札に向かう途中だった。
「芥・・・・。」
「うん?」
 階段の人ごみの中で、つぐみが電車降りて初めて、芥に話しかける。
「わりぃな・・・付きあってもらって・・・。」
ホームのアナウンスや、電車の行き交う音にかき消されそな程小さく、つぐみが呟いた。             「気にするな。」
そう芥が言ったとき、2人は階段を降りきった。
「・・・・?」
影がその半分を覆った芥を見ていたつぐみはその時、不意におかしな感覚に捕らわれた。
(・・・・芥・・・?)
 似ている・・・まるで試合前の格闘家に・・。
つぐみは息を呑む。
横にいるのは、いつもの級友だ。
 いつもと比べても、なんの変哲も無い。
 しかしその横顔に彼女は言いしれぬ・・・どこかせっぱ詰まったような緊迫感を感じた。
理屈では無い、空手の黒帯である彼女の経験が本能的にそれを知らせている・・・。
そんな風に、彼女は思えた。
(で、でも・・・なんで。)
「どうせ、行くつもりだったから。」
はっ、とつぐみは意識を取り戻す。
「やっぱり・・・実感なかったからね、あいつが死んだってことに。」
芥がそれまで下げていた顔を上げて返答する。
「・・・・・。」
ピヨ、ピヨ、ピヨ。
「あ。」
ティンコーーン!
 大きな音とともに、つぐみの足が突如現れた黒い板に止められた。
「え・・・?ここ・・改札?」
 つぐみは芥の方を焦った顔で向く。
彼女の後ろの乗客達が迷惑そうに別の改札へ向かう。
「お前、今日なんか変だぞ・・・・。」
 芥が呆れたように呟いた。
「・・・ひばりの奴が乗り移ったかな・・・?」
「?」
「あ・・いやなんでもないって!」
 不審そうな顔の芥につぐみは愛想笑いで答えた。

 夕暮れが街や、行き交う人々や車をオレンジカラー一色に染め上げていた。
「じゃあ、これから金太の家にいくんだな。」
「あぁ。」
改札口を出てしばらくたってから、芥はつぐみに話しかけた。
「収録もあるんだろ?」
「夜にな。」
 その時、ちらりと芥は後ろの方を見た。
「どうした?」
 つぐみが不信気にこちらをのぞく。
「いや・・・金太のおふくろと親父さんと知子ちゃん、それにあいつのおじいちゃんによろしくな。」
芥がずれた眼鏡を直しながら返答した。
「・・・あぁ・・・。じゃ」
 つぐみは芥に背を向けると、足早に歩き出した。

「・・・・・・。」
 遠ざかっていくその背を眺めながら、芥は記憶の反芻を試みた。
―――卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれず死んでいく。
(はじめは、なんの確信もなかった・・・・金太が死んだその日に届いたメール。)コツ・・・。
―――我らが雛だ。殻は世界だ。世界の殻を破らねば、
(単なるいたずらじゃあない・・・)コツ・・・。
―――我らは生まれず死んでいく、世界の殻を破壊せよ。
(なにか・・・・)『ねぇ、よしこぉあのヒト。イケメンぽくない?』『まじ?どれだよ?』『ほら、あそこぉーロン毛の・・・。」
―――世界の殻を破壊せよ!!
 彼の後ろからは、車のクラクションと、電車の行き交う音。自分と同じくらいの年頃の少女が調子外れの声で騒ぐのが聞こえていた。
 芥は、メガネを指で支えていた。
(確かめてやんぜ・・・)        

―――――――破壊せよ!!

 芥は後方を、ゆっくり近づいてくるその気配に向かい、ゆっくりと振り向いた。
「あんたか・・・・。」
 色を赤から紫に変えつつある都市の景観を背にして。
その男は立っていた。
 年で言えば、まだ20代だろうか?いや、もっと上であるのような気もする。ハンサムという形容詞そのもののである様な長身、長髪のヤサ男。
 しかし、その華奢そうな躯からは、前衛的ではないが・・・緊迫感。そう呼べるある種の風格が漂っていた。
「何処の誰かは知らないが・・・あのメールは一体どういう事なんだ・・・?」
芥は、その男をじっと睨んだ、しかし男はまったく涼しげな表情を崩さない。
「桃 金太・・・オレのダチが『ZERO』となり生きてるってのは・・・」
「・・・・・・・・。」
 芥は、ふつふつと沸いてくる感情や言葉を必死に押さえていたが、それでも語彙が強まっていた事に気づいた。
 男はなおも何も語らず、涼しげなまなざしで芥を見下ろしていた。
沈黙。ほんの数秒がひどく長い・・・。
 その状況を痛感した芥が、冷静であることに限界を迎えそうになったその時。
「間に合ったね・・・。」
 男はようやく口を開いた。
「野木 芥君。」
!――――
 芥は眼鏡の下の目をおもいっきり見開いた。
男の、静かだがよく通る声。本来なら他人をなだめるのこれ以上ない調子であろう。しかし、芥はその声を聞き、いよいよもって警戒の念を強めた。
(ほう・・・。)
 ちり、ちり・・・・。
刹那、彼らの間の、その一角にだけ、緊迫感が横たわった。
(これは、これは・・・。)
 男は、眼前の10は年下であろう若者の並々ならぬ静かな気迫を受け止めながら口元を緩めた。
「ますます気に入ったぜ、少年。」
 その張りつめた空気をまるで無視したように、男は手に隠し持っていた何か・・・唐突なことで芥には何を投げたか判別できなかったが・・・を芥に向かって放り投げた。

 宙で弧を描き、芥の思わず差しだした手にそれは落下した。

 

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