カムチャッカ紀行
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大口君が昨年のペルーアンデスの次に今年選んだのはロシアのカムチャッカでした。 カムチャッカ旅行は日本でも旅行会社のツアーなどがあり 現在ではアバチャ山の登山なども出来るようです。 しかし彼の場合は現地のガイドを自分で探して手続きなど全て自分でやることにこだわっています(費用が安くなることもあるようですが)。そのため色々な国の人と知り合うことが出来たり、安全重視の旅行会社では行けそうにないような所に行けたり、完全自己責任ですが旅行会社のツアーでは味わえない楽しみもあるようです。今回もトイレに入っている時 強風で飛ばされそうになったり、幅30センチほどの火口の淵を歩いたりと面白い話しに事欠かないようですが、前置きは此の位にして大口君のカムチャッカ紀行をお楽しみください。尚紀行文は全て本人によるものなので一人称で述べられています。
カムチャッカ旅行 by Ohguchi  
カムチャッカは火山とクマの半島だ1991年まで外国人の立ち入りが禁止されていたため,大自然が手つかずのままに残されている。8/21から8/31までの現地旅行会社のツアーをみつけて,それに参加することにした。参加者は日本人1人(自分)・イギリス人3人,英語がとてもうまいフランス人1人・英語を話すスペイン人カップル・英語がとてもうまいロシア人3人・英語を話さないロシア人6人・英語の苦手なガイド2人・英語とドイツ語を話すアシスタントガイド1人・コック4人だった。メンバーに出入りがあったので,平均して 15人ほどで行動した。飛行機便の都合で,僕にとっては, 8/19から9/1までの2週間の旅行となった。

8/22日,カムチャッカ州都ペテロパブロフスク・カムチャスキーから大型ヘリコプターで間欠泉の谷,ゲイゼル渓谷に向かう。途中にカリムスキー火山があり,ヘリはその周りを1周した。カリムスキーは,巨大なカルデラの中にそそり立つ火山だ。溶岩と火山灰の長い裾野を広げ,裾はあとわずかでカルデラの外輪山を乗り越えようとしていた。

ゲイゼル渓谷。北アルプスのような景色だ。

巨大な間欠泉。1時間に1度熱湯を30mほどの高さに吹き上げる。数十年前の噴火で川がせき止められて湖がつくられたとき,この間欠泉は湖に沈まずに,湖岸に残った。

斜面から小型の間欠泉が湯気や湯を吹き上げている。ゲイゼル渓谷には,間欠泉ばかりではなく,泥をわき上げたり,硫化水素を吹き出したりする噴出口が至る所にある。

ヘリはゲイゼル渓谷からウゾン・カルデラに飛んだ。ここの湖底には溶けた硫黄が溜まり,深海底から黒煙を上げる熱水噴出孔に似た環境をつくっている。湖周辺には様々な種類の温泉がわき出しており,そのいくつかは原始の地球環境に似ているといわれる。

ウゾンカルデラの噴出口の1つ。ガイドによれば,強酸性のものだそうだ。周辺には,シダだけが生えていた。シダは劣悪な環境に対して強いのだと感心した。だからシダは陸地に最初に上陸できた植物なのかと納得する。

/2224,ヴィストラヤ川でラフティングをした。教科書で世界の植物群系を見ると,カムチャッカはタイガ(針葉樹林帯)に属しているのだが,カバノキ・ヤナギ・ブナの仲間が川岸に生えていて,針葉樹が生えていなかったのには驚いた。小型のハイマツらしきものが周辺の山の斜面に少し生えているようだが,ほとんどの樹木は,落葉広葉樹だ。そのため,緑のバラエティーが豊かで,景色は柔らかくのどかだった。それにしても,教科書は100%信用できるものではないことを改めて知る。アシスタントガイドのイリアが「クマだ。漕げ。もっと速く,もっと速く」と叫ぶ。褐色ヒグマが遠くの河原に降りてきていたのだ。僕にはどこにいるのかわからない。「速く。速く」。20分以上の間必死になって漕いだ。 まだかまだかと思っていると,やっと僕にもクマを見ることができた。ヒグマは河原を下流に向かって歩いていた。グリズリーより褐色のヒグマで,これで冬を迎えることができるのかと心配になるほどほっそりしていた。追いつく前に,ヒグマは河原から土手を上り,藪の中に消えていった。

このツアーでは,ラフティングボートから釣り糸を垂らして,マスを釣り,釣ったマスをフィッシュ・スープにする。川の浅瀬には,マスの死骸がいくつも引っかかっていた。

ラフティングの終点は”Japanese Bridge”だった。終戦後,シベリヤに抑留された日本人兵士たちが,カムチャッカの鉄道敷設にも動員された。ヴィストラヤ川に鉄橋をかける作業をさせられたのだが,結局1/3を架けたところで,工事は打ち切りになり,橋は未完成に終わる。ここでも何百人かが死んだことだろう。

 

8/25,アバチャ湾のクルージング。ペテロパブロフスクから船で沖に出る。巨岩の上にはカモメが乱舞している。

岩肌にはたくさんのカモメが営巣していた。

ツノメドリが群れ飛ぶ。

海上で踊るカモの仲間。整翅をしてから,翼を広げて立ち上がり,羽ばたく動作をしていた。

8/25,次のキャンプ地に向かう途中にあった火山。カムチャッカの火山のほとんどが,先端が尖ったコニーデ式火山だ。ラフティング途中に川から見た火山の中には,先端が三角に尖ったピラミッド型のものもあった。

キャンプ地では,アヤメの花期が終わりかけていた。カムチャッカの花は日本の北アルプスの花とよく似ていた。

8/26,ムトノブスキー火山に向かう。火山灰で埋められたカルデラを6輪駆動のトラックバスで走る。平原には雪が残っている所もあって,そこでは,車は僕のクロールより遅いと感じられるほどゆっくりと走った。

トラックバスを降りて,3時間ほど登るとムトノブスキーの火口に着く。火口には硫化水素の臭いが立ちこめていた。ここは正真正銘の活火山なのだ。噴煙の向こうには外輪山と氷河が見える。ガイドのミーシャが「この先のクレーターを見に行かないか」と言うので,ついて行くことにした。噴煙の下を,涙を流して咳をしながらくぐり,写真の右側斜面の奥に回り込んでいった。すると,火山灰の急斜面があり,そこには靴巾の道がついていた。踏み外せば,下のクレーターまで滑り落ちる。

その斜面を登り切ると,さらにクレーターの外輪山の斜面が立ちふさがっていた。写真右側に続く斜面を,ロープを使って登り切ると,ミーシャが「その道を少し行くと,広い所に出る」と言う。道は,写真のような絶壁に30cmほどの巾で岩を削ってつくられたものだった。岩壁にロープはない。自己責任で行くことにした。

下をのぞき込むと,火口から噴煙が上がってくる。風向きが変わると,直に当たる。まさに命がけだった。ミーシャの言っていた「広い所」は,腰掛けることができるほどの広さで,そこに腰かけ,リュックからカメラを取り出すことができた。

そして,氷河で埋められたクレーターを写した。氷が溶けて,青い半月刀のような水たまりをつくっている。この青さは,まさに氷河の切り口の氷の青さだ。

ムトノブスキー下山後,滝を見に行く。滝は落差は100mほどあるように思えた。滝の水は,氷河の溶けた水と温泉水が混じって灰色に汚れていて,これがスクリーンとなっていた。写真ではわかりにくいが,虹が縦にかかっている。

滝の下は,滝が虹に変わっている。こんな縦にかかる虹は今まで見たことがない。

今年は,バンクーバー島の海で,白い虹も見た。虹の当たり年か。(写真は 2013年8月4日 バンク-バー島にて)

ムトノブスキー山麓のチシマギキョウ。

キャンプ地のワタスゲ。

8/27,ゴレリー火山(1829m)登山。浅間山に似た姿の活火山。ここでは,ガイドのミーシャに,尖った三角屋根の棟のような火口縁を歩かされた。
ゴレリー火山中腹から見た遠景。コニーデ式火山が3つ見える。

昨日登ったムトノブスキー火山。噴煙が上がっている所が,火口のある所だ。

ゴレリー火山山麓のクモマグサ。

8/28/30アバチャ山登山基地滞在。基地周辺に住むマーモット。アバチャ山登山基地は,ペテロパブロフスクから6輪駆動トラックバスで,3時間ほどの距離にある。

アバチャ山。初夏には,日本人の登山客がツアーで訪れる。

8/29,登山日。28日夜半から,登山基地は,小屋が揺れるほどの大風に襲われていた。風は朝になっても衰えるどころか,ますます強まっていく。写真は,別のツアー客が基地にやってきて,食堂小屋に歩いてこようとしているが,強風のため歩けないでいる。写真左端にはトイレ小屋が見える。強風をついて嵐の中,僕はトイレに向かい,用をたしてから無事帰還できたのだが,その2時間後に1つのトイレ小屋が吹き飛ばされた。思い出してもぞっとする。

 

8/30,ペテロパブロフスクへ帰る。途中,来たときには乾いた川原だった所が,帰りは川になっていた。6輪駆動トラックバスは,川の中を進む。

9/1,空港へ向かう途中,ドライバーにお願いして絶景ポイントで止まってもらった。アバチャ山だ。先日の嵐で中腹まで冠雪している。今年は、もう、一般人は上れないだろう。


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