From old Shibarikyu to Zoujyo temple

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 このルートの写真が少なかったので、最初の江戸散歩から10年程後の2019年7月21日に同じルートを辿ってみた。しかし10年の歳月は都会の街を変貌させるには十分で、途中 雁木坂まで行ったところでルートが分からなくなりゴールの金刀比羅宮まで行くのは断念した。 2週間後また近くまで行くことになったので再チャレンジしてみたが、同伴者がいたので目的物を捜す時間があまり無かったため不完全な探索になってしまった。麻布のこの辺りは勤めていた頃の仕事場がアークヒルズ、神谷町、溜池山王と、足掛け20年以上関わりがあったので、また機会があれば訪ねてみたい。


日時: 2009年 10月 15日, 2019年7月21日、2019年8月4日

交通: JR浜松町駅、帰り 営団銀座線 虎ノ門駅
ルート:旧芝離宮〜芝大神宮〜増上寺〜雁木坂〜永井荷風旧宅偏奇館跡〜金比羅宮  約 4.5キロ

浜松町駅南口方面から旧芝離宮を望む

2019年7月21日
   旧芝離宮の池に映った周りのビル。この庭園は潮入り回遊式庭園で なかなか見ごたえがあった
   近くにはマンションもあり 近所の親子連れが遊びに来ていた。
   旧芝離宮のアオサギ

2019年7月21日
浜松町のモノレールの湾曲したレールと高層ビルの対比
  芝大神宮

増上寺に行く手前にある伊勢神宮の分霊を祀り、関東のお伊勢様と江戸の人々から信仰されてきた神宮である。
「め」組の辰五郎で有名な歌舞伎の「め組の喧嘩」の舞台となった所でもあるが、浅草の神門辰五郎は「と組」で別人である。

2019年7月21日
   ペリー提督の胸像

増上寺の手前の芝公園の一部(10号地)に、幕末に日米和親条約の締結を迫った黒船の司令官ペリーの胸像がある。この胸像の向かいには万延元年遣米使節団の記念碑がある。

2019年7月21日
増上寺三解脱門前の托鉢僧と昼休みのサラリーマン

広重は江戸百景で増上寺を題材とした絵を2枚描いている。
  増上寺旧方丈門(黒門)

増上寺の方丈(庫裡)の表門である。江戸時代初期(十七世紀後半)の特徴を示す様式の四脚門である。

2019年7月21日
  旧台徳院霊廟惣門

門の両脇に安置されているのは寄木造りの木造仁王像。

2019年7月21日
  東照宮

初代将軍徳川家康を祀るため三代将軍家光が寛永18年に創建した社である。

2019年7月21日
  芝丸山古墳

芝公園は増上寺を囲むようにして、広がる日本で一番古い都市公園の一つで、東照宮の裏手には伊能忠敬の記念碑や都内最大級の芝丸山古墳等もある。

2019年7月21日
増上寺の水子地蔵
  増上寺の水子地蔵

これは上の写真の反対側にある水子地蔵で、10年前来た時に比べると、ずいぶん増えているようである。

2019年7月21日 
   何時も撮る手水鉢の移り込み。
  東京タワーの入り口の真向いには、家康の黒衣の宰相と言われた以心崇伝の開山した臨済宗の金地院がある。

2019年7月21日
  雁木坂

坂の名前の由来は、昔は丸太や板を雁木状に組んで滑り止めにしていたことによる。
この辺りは都市開発が進んで、持参していた散策ルートマップが殆ど役に立たず、佐川急便の親切なお兄さんに聞いてやっと発見した。彼曰くこの辺りは坂が多くて大変なんですよと、宅配泣かせの場所らしい。ちなみに自分の住んでいる大田区の東雪谷も坂が多いが、麻布台のこの辺りは、約20程の名の付いた坂があるそうだ。

 2019年7月21日

  三年坂

この先 三年坂方面は工事で行き止まりで、散策ルートマップに示されている通りでは我善坊谷には行くことが出来なかったので、外務省外交史料館前から麻布小学校前を通り迂回して三年坂方面に向かう。
外務省外交史料館前の通りは以前に江戸散歩で歩いた記憶が確実にあるのだが、この散策で来たのかは不明。10年前も既に開発工事が始まっていて我善坊谷方面に行けなかったのだろうか?

 2019年7月21日
   落合坂

麻布小学校の先を右折しようと思ったら、まだ工事中の塀があり、三年坂方面に行くことが出来ない。我善坊谷一帯を立ち入り禁止としている広大な開発工事の様である。御組坂まで行ってようやく右折出来た。

2019年7月21日
霊友会と東京タワーをバックに蜘蛛を撮ってみた。
  上の写真と同じ場所から広角で撮ったものだが、右側は広大な開発工事が行われている。森ビルが麻布台に超高層ビルを建設予定と言うが、この辺りかもしれない。ここから偏奇館跡を訪ねるが、いろいろな人に尋ねるも分からず、今回は諦め 別の用事で新橋方面に向かう。
 
2019年7月21日
稲荷坂から上がって行った所に建つマンションだと思う。高台なので相当眺望が良いと思われる。
坂の上からの見晴らし。
   偏奇館跡(永井荷風旧居跡)

偏奇館跡は泉ガーデンタワーの公園内にあると言う情報を基に、後日再チャレンジしたが、偏奇館跡の説明プレートは発見出来なかった。この辺りは以前の職場がアークヒルズにあり、すぐ近くだったのだが、仕事に没頭していたせいか(?)全然思い出せない。

2019年8月4日
  アークヒルズ

バブルの頃の仕事場で、深夜に無線タクシーも通じず、タクシーを呼べないので桜田通りを後ろを振り返りながら自宅方向に歩き、今日は「一の橋」で乗れた、昨日は「二の橋」までタクシーを拾えなかったと言うような日々だった。

2019年8月4日
   サントリーホール前の噴水

ここは昔と全然変わっていない。

2019年8月4日
   神谷町の頃の職場ビル

神谷町に通勤するのには日比谷線を使っていたが、サリン事件当日六本木駅で突然下ろされ、バスで虎ノ門まで行き会社にたどり着き、デスクに座ると 息せき切って女性スタッフが駆け込んできて 虎ノ門駅で泡を吹いて倒れている人の中をかき分けて来たんですと目の前で喋りだすと、突然 咳込んで咳が止まらなくなってしまった。どうやら自分もサリンに反応したようだった。日比谷線であと一本先の電車に乗っていれば自分もサリンの犠牲者になっていたかもしれない。

2019年8月4日
   赤穂浪士自首の処

仇討ちの本懐を遂げた後、大石内蔵助ら義士が自首した所で 当時は幕府大目付の屋敷があった所である(現在は日本消防会館 別名ニッショーホール)。説明プレートが入り口付近にあると言うのだが、捜す時間がなくて写真は撮れなかった。

2019年8月4日
   ビルの谷間にひっそり佇む金刀比羅宮

讃岐丸亀藩京極家の上屋敷があった所で、自領の讃岐金刀比羅宮を分霊して祀ったもの。商売繁盛の神として商人に信仰されてきたという。
自分の田舎の神社も金比羅(こんぴら)ではなく刀が入った金刀比羅(ことひら)神社と言うが、漁業の町なので水(海難の守り神)に関係があると思っていたが 金(商売)に関係がある神社でもあるようである。

2019年8月4日



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