2018年3月31日 馬込文士村辺りは近場だがまだ行っていない所なので散策に選んでみた。実はメンバーの一人が大森山王に住んでいるのでわざわざ行くこともないだろうと思っていたが、ちょうど桜の時期なので馬込の桜並木で桜でも撮ろうと言うことになった。しかし今年は桜の開花が早く、馬込桜並木では翌日 「馬込文士村桜まつり」だと言うのに桜は散り始め見物人もまばらで桜はあまり撮れなかった。桜の撮影を早く切り上げ、龍子記念館で龍子の絵画を鑑賞し馬込文士村エリアに向った。馬込と山王の台地は昔は九十九谷(つづらだに)と呼ばれた坂の多い所であったが、「人生劇場」で知られる尾崎士郎が関東大震災の後移り住むと、彼が面倒見が良いこともあり多くの文士たちが移り住むようになり、いつしか「馬込文士村」と呼ばれるようになった所である。 |
日時: 2018年3月31日 地下鉄浅草線 西馬込駅~馬込桜並木緑道~龍子記念館~臼田坂~磨墨塚~
尾崎士郎・宇野千代旧居跡~万福寺~山王草堂記念館~ジャーマン通り~JR京浜東北 大森駅 約5キロ
馬込桜並木 翌日は馬込文士村桜まつりなのだが サクラは散り始め、見物客もまばらだった。 |
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馬込桜並木 屋台等出店は桜が咲いていなくても散った後でも、その年の決められた日にしか出店できないので、祭り当日は多分売り上げが少なかったろうと思う。 洗足池でも桜の見頃の頃には屋台等出店が出ておらず、屋台が出た頃は桜も散り見物客もまばらになっていた。 |
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馬込桜並木 今日最初の三角地帯。東京にはこのような三角地に建っている建物が多いので街歩きでは良く写すことにしている。 この後 龍子記念館で川端龍子の作品を鑑賞する(65歳以上は無料だった)。 |
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臼田坂下のツタの絡まる家 |
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川端康成と石坂洋二郎のレリーフ 臼田坂の脇道に入ると川端康成と石坂洋二郎のレリーフがあった。この辺りには他に猪野謙二、津村信夫、大庭鉄太郎等数名が住んでいたようである。 |
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萬福寺 朝日観音堂 臼田坂の横道を登るとこれから行くことになっている万福寺と同じ名前の寺があり、朝日観音像が鎮座している。 |
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万福寺前の三角地に立つ一本桜 | |
臼田坂上の金剛寺像 この辺りには臼田姓の人が今でも多く住み、川端康成は坂の途中にある旧家臼田家に間借りしていたことがあるそうだ。 |
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磨墨塚 鎌倉の武将梶原源太景季の愛馬「磨墨(するすみ)」を供養する塚。 馬込はその名の通り馬の産地で、磨墨もここで誕生した名馬と言う。洗足池にある佐々木高綱の名馬「池月」と宇治川の戦いで先陣を争ったことで有名。 |
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臼田坂付近の三角地帯にあった大きな石 | |
尾崎士郎・宇野千代旧居跡 尾崎士郎と宇野千代が住んでいた「愛の巣」と呼ばれていた住居跡に立つレリーフ。 ここは当時「馬込放送局」とも言われ、尾崎の家に文士たちが良く集まり、酒を飲んで話した話題がたちまち文士仲間に伝わったことから そんな名前が付けられたと言う。 |
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富士講灯篭 富士講で富士詣へ旅立つときに、馬込村の講中ではこの灯篭の前に集まり道中の無事を祈ったとある。 |
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万福寺山門 頼朝の重臣でこの地を領した梶原景時が創建したと言う曹洞宗の禅寺。 |
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名馬磨墨(するすみ)の像 洗足池の名馬池月の像によく似ている。同じ作者か? |
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万福寺本堂 万福寺はメンバーの一人の菩提寺でもあるので、墓参りをする。 |
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万福寺の観音像と桜 | |
摩尼輪堂と散り始めた桜 摩尼輪堂内に大きなマニ車があるが、回そうと思ったが動かなかった。 |
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梶原景時の墓 メンバーの他の一人が、自分がこの世に生まれ出る時に 取り上げてくれた遠い親戚の産婦人科医がこの寺に眠っているはずだと言うことで、寺の人に探してもらった。何とか見つけてもらい 無事お参りが出来てとても喜んでいた。 |
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室生犀星の旧居 万福寺には室生犀星の句碑があるが、犀星は万福寺西隣のこの地に娘のために家を建てたという。現在も室生マンションという名で残っている。 |
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馬込文士村のみち この掲示板によれば、馬込地区にはおよそ50人以上の作家や画家などが住んでいたようである。昼食後山王草堂記念館へ向かう。 |
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山王草堂記念館 日本最初の総合雑誌「国民之友」を発刊した徳富蘇峰が住んでいた跡地で、記念館になっている。 |
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成箕(せいきどう)文庫跡 徳富蘇峰が収集した文庫があった所。現在は御茶ノ水図書館に所蔵されているが、世田谷の静嘉堂文庫とは関係ない。 |
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尾崎士郎記念館 宇野千代と別れた後の新居だった処で、現在は記念館として保存されているようだ。 |
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尾崎士郎記念館の手水鉢と桜の花びら 馬込文士村の散策を終え、大森駅方面に向かう。 |
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ジャーマン通りの三角地帯 I 以前はドイチェシューレ(ドイツ学園)等がありドイツ人が多かったのかジャーマン通りと呼ばれている。ドイツ学園は現在は横浜にある。 |
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ジャーマン通りの三角地帯 II | |
大森山王小学校脇に咲いていた花 I メンバーの一人は山王小学校出身で、この近くに住んでいるようであるが、お邪魔しなかった。 |
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大森山王小学校脇に咲いていた花 II 大森駅近くで皆でお茶をして帰路に就くが、メンバーでシルバーパスを持っている人がいるので、一緒にバスで帰ることにする。町並みの景色を眺めながら、家からすぐの所のバス停で下りることが出来て、乗車時間も電車とほぼ同じで 何か得した気分。 |