東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery I 靖国神社から神田・御茶ノ水へ

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 最近は江戸散歩と言うよりは、花やイベントがある場所に行って写真を撮るのが主になってしまったが、2017年3月 まだ東京下町で散策していないルートがあったので久しぶりに散策することにした。神田お玉が池から水天宮・柳橋のルートは以前散策したが、神田のもう一方の学校や書店街が多い駿河台、神保町、猿楽町等はまだ行っていなかったので選んでみた。神田や御茶ノ水は良く知っているのであまり新しい発見はないかもしれないが、神保町などまた出掛けてみたい気にさせる魅力ある所である。

日時: 2017年3月10日 靖国神社~神田神保町~御茶ノ水碑~ニコライ堂~昌平橋~味の老舗街 約6キロ
交通: 行き:地下鉄 九段下駅 帰り:JR神田駅 

藩所調所跡に建つ昭和館

地下鉄九段下駅で下りるとすぐに昭和館が目に入る。
説明文によると当初は西洋の書籍を解読し、西洋の事情を調査するため開設されたが、後は幕臣などの教育も行われ、神田の一橋通りに移転後は洋書調所となり、その後開成所、開成学校となり現在の東大の前身となるとある。
靖国神社の大鳥居

明治新政府になり国家に尽くした人々の霊を供養する東京招魂社して創建されたが、後「戦没者」のみ祀る靖国神社となった。明治維新から第二次大戦までの戦没者約250万人の霊が祀られている。東京大空襲や原爆等で亡くなった一般人は含まれていないでこの数だから驚きである。
ビルに囲まれて鎮座する築土神社

九段下方面に戻り、田安門辺りで左折し和洋学園前から中坂を下ると平将門、菅原道真を配弔し、日本武道館の氏神でもある築土神社がある。
築土神社

境内にオフィスビルが建ち、社殿も鉄筋コンクリート造りで、周りがオフィス街でもあるせいか奉納版には良く知る企業名が多々あった。
築土神社

江戸時代には平将門の首が安置されていたと言う話も伝わり、日枝神社、神田明神とともに江戸三社(祭りで日枝神社、神田明神など江戸城に入ることを許される神社)に数えられたこともある由緒ある神社のようだ。
滝沢馬琴硯の井戸跡

中坂をさらに下ると、マンションの庭に南総里見八犬伝の著者滝沢馬琴の使っていた古井戸跡や旧居跡があった。
日本橋川の川面の面白い模様
寿老人

日本橋川を渡り神保町に入る。神保町は昔旗本の神保伯耆守の屋敷があったことに由来する。
喫茶 さぼうる

開店から60年続くコーヒーの老舗、コーヒー400円。
神保町すずらん通り

すずらん通りと九段下から駿河台下へ向かう靖国通りに挟まれた一帯で100件近くの古書店が集まっている世界最大の古本屋街である。本屋さんは本が日焼けしないように北向きだと言うが、確かにそのように見受けられた。
喫茶ラドリオ

この店も60年以上続く老舗で昔多くの文人達のたまり場だった。すずらん通りの路地裏にはレトロな気になる店が多い。
漱石の「吾輩は猫である」の碑

神田古書店街を後に山の上ホテル方面に向かう途中漱石の学んだ錦華小学校跡(現在の御茶ノ水小学校)に「吾輩は猫である」の碑があった。
錦華坂前のツタの絡まるビル
山の上ホテル

ホテルのレストランで昼食にしよう思ったら満席で諦める。
マロニエ(とちの木)通りの男坂

マロニエとはフランス語で「とちの木」のことで、通りの先にアテネフランセがあるための通称のようである。
この通り沿いに男坂と女坂があり、猿楽通りに通じる。
女坂

女坂とは言え踊り場が2つほどあるが、結構急な階段の坂である。
アテネフランセ

我々世代ではフランス語を勉強する女性の学校のイメージがあるが、男女共学である。
さいかち坂

難しい漢字であり、上手く変換出来なかった。昔さいかちの木が多くあったためと言うが、さいかちの木は見当たらなかった。
神田上水掛樋跡と中央線

神田川の水を内神田や日本橋方面に給水するために架けられた水道橋(水を運ぶための橋)があった所である。
カエデ通りにあった梅

そろそろサクラが咲いてきたかと思ったら梅であった。
カエデ通りにあった梅

駿河台方面に向かう。
大久保彦左衛門屋敷跡

江戸時代には駿河台辺りは旗本の屋敷地だった所で、三河以来の幕臣大久保彦左衛門(忠孝)もその一人である。この近くには他に幕末の要職を歴任して非業の死を遂げた小栗上野介忠順も住んでいた。
大田姫稲荷

室町期、大田道灌が娘の病の平癒を祈願して京の伏見稲荷を勧請したことに創まる古社。
ビルの谷間に桜発見

ようやく近くの中華屋さんで昼食を取ることが出来た。
ニコライ堂

正式には日本ハリストス正教会東京復活大聖堂。
幕末に来日し、以来50年にわたって布教活動をし、日本の土となったギリシャ正教会大司教ニコライ・カサ―トキンによって明治24年に創建されたギリシャ正教の日本における本山である。
ニコライ堂

火曜日から土曜日の午後1時から4時まで一般参観が出来るので、我々も参観する。昨年函館に旅行で行った時も函館ハリスト正教会で参観したが、ニコライ・カサ―トキンは函館ハリスト正教会から神田に移り布教活動を全国に広げていった。
ボランティアで教会内で説明してくれる信徒の方は面白可笑しくニコライ堂にまつわる色々な話を聞かせてくれる。
ニコライ堂

日本最大のビザンチン様式の建物。近くのJR御茶ノ水側の「聖橋」は湯島聖堂とニコライ聖堂を結ぶ橋と言うことで名付けられたと言う。
淡路坂を昌平橋方面に下る
昌平橋

広重が江戸百景で「昌平橋聖堂神田川」という題で雨の神田川を描いている。
昌平橋

中央線、総武線がこの先から一緒になる。
万世橋方面を望む
神田やぶそば

数年前の火事で長く休業していたが、新店舗で営業を再開。やぶそばの発祥の地は千駄木の団子坂にあった蔦屋で前に藪が生い茂っていたので「やぶ」を屋号としたそうだ。
神田まつや

神田まつやも蕎麦の老舗で、美食家でもある池波正太郎が愛した店である。
この辺りの神田須田町交差点付近は老舗が多く、昔は東京一の盛り場で寄席などもあり賑わっていたが、震災後は銀座、日本橋へと人の流れが移って行ったと言う。
JR神田付近でお茶をして今日の散策は終了。

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