東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery I 三軒茶屋から豪徳寺へ

戻る

 今回の江戸散歩は、以前 他のメンバーと歩いたことがある三軒茶屋から豪徳寺までのルートにしてみた。本来は三軒茶屋から旧烏山川跡の緑道を歩き豪徳寺まで行くルートだが、江戸散歩メンバーも高齢になってきたので世田谷線を使って楽をすることにした。世田谷線沿には史跡も多く、一日乗車券である世田谷線散策きっぷ(330円)を買うと途中何度も乗り降り出来るのでとても便利である。尚 以前旧烏山川跡緑道を歩いて訪れた時の写真や三軒茶屋の三角地帯に飲みに行った時の写真なども加えてあるが、その場合は括弧書きで年月日を入れている。

日時: 2016年6月14日
交通: 行き 田園都市線 三軒茶屋駅、帰り 田園都市線 三軒茶屋駅
ルート:三軒茶屋~世田谷八幡神社~豪徳寺~世田谷代官屋敷~松陰神社~目青不動~三軒茶屋~三角地帯


三軒茶屋

世田谷通り沿いにある説明版によれば、三軒茶屋という名の由来は大山道の本道(現世田谷通り)と近道(現玉川通り 国道246)の分岐点に田中屋、信楽屋、角屋と言う3件の茶店があったことによるとある。
(2013年11月20日)
「大山道」道しるべ

大山道は もとは矢倉沢往還と言い箱根足柄峠の手前の矢倉沢へ通じる道筋だったが、室町期に山岳信仰の大山詣が盛んになった頃より大山道と言われるようになった。
世田谷線三軒茶屋駅で一日乗車券を買い「宮の坂」へ向かう。
玉電

世田谷線「宮の坂」で降りると、昔懐かしい玉電(デハ80形)が展示してあった。
江ノ電に譲渡されていたが、役目を終え里帰りしたものらしい。
旧烏山川跡緑道

今回は利用しなかったが、池尻辺りから豪徳寺付近まで続く旧烏山川跡の緑道である。昔は川だったというのが、途中何度も見かける橋の名残からもそれが分かる。
(2013年11月20日)
世田谷八幡神社

宮の坂駅から徒歩1分ほどの所に世田谷八幡神社がある。宇佐八幡宮とも呼ばれ、世田谷城主7代目吉良頼康が城の守護神として建立したもの。もとは源八幡太郎義家が陸奥の後三年の役での戦勝を祝したのに創まると伝わる。
世田谷八幡神社の境内に作られた土俵

毎年9月の秋季大祭に行われる奉納相撲が有名であった。いまは地元東京農大の相撲部員がこれを行いチビッ子に人気があると言う。
世田谷八幡神社本殿

6月30日に行われる茅の輪造りをしていたおばちゃんに、9月の例大祭に是非来るようにと言われたのだが、良く考えると地元の氏神様の雪谷八幡例大祭と同じ日だった。
力石

力石を持ちあげた人の名前と日時、重さが彫られている。それによれば明治大正時代では40貫台が最高だが、文政年間には50貫(187キロ)を持ちあげた人がいたようである。
大谿山 豪徳寺
世田谷八幡神社から城山通りを左に折れて5分ほどのところに豪徳寺がある。
世田谷城主吉良政忠が城内に開山した弘徳院に創まる曹洞宗の寺で、高輪泉岳寺の末寺である。
豪徳寺境内

境内には木々が多く、紅葉の時期も見ごたえがある。
参道の右側には猫観音を祀る招福殿や区内最古の梵鐘などがある。
豪徳寺三重塔の招き猫

豪徳寺は福猫伝説で有名な寺で、江戸期に領内見廻り中の井伊直孝が馬で寺の門前を通りかかったところ、寺の住職の愛猫タマがしきりに手招きするので寺の中に入ると、一天俄に搔き曇り、ひどい雷雨となり幸運にも落雷から免れることが出来た、これが縁で井伊家の江戸における菩提寺となったと言う。
井伊直弼の墓

寺の墓地の左手には広大な井伊家の墓所があり、その中の一画に十四代 彦根藩主で幕府の大老井伊直弼の墓がある。万延元年(1860)3月3日雪の日桜田門外で水戸浪士らに襲われ暗殺された。墓石には3月28日とあるが、お家断絶を避けるため死んだことを しばらく秘密にし28日に死亡したことにしたためである。
奉納された招き猫

以前来た時より大幅に増えている。本来この招き猫は願いが叶ったら ここに奉納するはずなのだが、こんなに願いがかなった人がいるのだろうか?
願いが叶うのは難しいだろうと思い招き猫の付いたお守りを買う。
秋の豪徳寺山門

(2013年,11月,20日)
豪徳寺三重塔と紅葉

(2013年11月20日)

豪徳寺の紅葉

(2013年11月20日)
世田谷代官屋敷内

豪徳寺を出て城山通りを左に進むと小高い丘(世田谷城址跡)があるが、そこから上町駅を超え世田谷通りを突っ切るとボロ市通りに突き当たる。世田谷代官屋敷はこのボロ市通りの中ほどにあり、代官大場家の役宅だったもので、大名領の代官屋敷としては都内唯一のものである。
   お白洲跡

玉砂利の上に正座されてお裁きを受けていたのだろうが、痛くて直ぐ白状してしまったのではないか?
松陰神社の大鳥居

世田谷線松陰神社前で下車し、商店街を抜けると松陰神社の大鳥居が見えてくる。この神社は安政の大獄に連座した吉田松陰が葬られている。最初、千住小塚原の回向院に葬られていたが、のち松下村塾の高杉晋作、久坂玄瑞らの門弟たちが ここにあった長州藩毛利家の抱屋敷に移葬した。
吉田松陰墓所

同じく連座して処刑された頼三樹三郎ら門弟の墓が一緒に葬られている。
この神社には萩の松陰神社内にある松下村塾を模した建物があるが、今回は修理工事中で見ることが出来なかった。
石灯籠

毛利元昭、伊藤博文、山形有朋、井上馨、桂太郎など明治維新で活躍した人達が奉納した石灯籠が並んでいる。
目青不動教学院

世田谷線で三軒茶屋に戻ると、駅からさほど遠くない所に江戸五色不動の一つ教学院最勝寺があるので寄ってみる。
これで江戸散歩では江戸五色不動(他は目黒不動、目白不動、目赤不動、目黄不動)を全て廻ったことになる。
この寺にはアジサイが多く咲いていたのでアジサイを皆で撮る。
教学院最勝寺のアジサイ
その1
教学院最勝寺のアジサイ
その2
キャロットタワー

ニンジンのように茶色で先が細くなっているので命名されたのであろうか?
所属する写真倶楽部(自分は名目会員ですが)では、例年このビルの3階にある世田谷文化情報センターのホールで写真展を開催している。
三軒茶屋と言えば三角地帯の飲み屋街を外せないので 帰り世田谷通りを渡りちょっと散策してみる。
三角地帯にある はるな愛のお好み焼き1号店

本人も良く来るそうだ。
  昼の三角地帯

この三角地帯は玉川通りが世田谷通りに分岐する三角地帯にあるので呼ばれるようになったようである。
昼は廃墟のようだが、夜になると一変する。
夜の三角地帯1

夜になると昭和初期の飲み屋街にタイムスリップ。昭和初期のレトロな感じが今に残る飲み屋街である。

(2015年9月4日)
夜の三角地帯2

何度か行ったことがあるが、なかなか面白い所で、リーズナブルな値段で飲み食いできる店が多いと思う。
いちど魔のトライアングルに足を踏み入れてみては如何でしょう。

(2015年9月4日)
すずらん通

三角地帯には「ゆうらく通り」「エコー仲見世商店街」「三茶三番街」などがあるが、キャロットタワー側にも現代の飲食店街「すずらん通」が頑張っています。

(2015年9月4日)

戻る