東京江戸散歩 写好倶楽部     Gallery I 北町奉行所跡から八丁堀・日本橋へ

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 最近は以前行ったことのある東京の下町のルートを再訪しているのだが、2016年4月12日以前行っていないルートがあったので出掛けてみた。八丁堀は時代劇に良く出てくる所で東京駅からさほど遠くない所だが、なかなか行く機会がない所でもある。人形町に出掛けた時のルートと重複している所もあったので一石橋や常盤橋などは割愛している。

日時: 2016年4月12日
交通: 行き JR東京駅、帰り JR東京駅
ルート:北町奉行所跡〜八丁堀〜桜川公園、桜川屋上庭園〜鉄砲洲稲荷神社〜南高橋、亀島橋〜
     堀部安兵衛武庸の碑〜於岩稲荷田宮神社〜霊巌島碑〜新川跡碑〜新川大神宮〜日枝神社〜
     鎧の渡し跡〜兜神社〜日本橋〜延命地蔵寺

北町奉行所跡の碑

八重洲北口のこの辺りは何度も通ったことがあるが、この碑には気が付かなかった。この碑によれば北町奉行所は現在のJRの東京駅ホーム辺りにあったようだ。南町奉行所は数寄屋橋門内にあったようだ。
リフレクション

東京駅から外堀通りを渡り、八重洲通りを八丁堀方面に向かうと、ヤンマー東京ビルのガラスに向かいの建物がクリアに映っていた。
八重洲の名を残したオランダ人船員ヤン・ヨーステンの碑が八重洲通りと中央通りの交差点の中央分離帯にあるが、横断中なので写真を撮る暇がなかった。
デコトラ

八丁堀辺りでにぎやかなデコレーショントラックを発見。「幸せ灯す夜の東京ネオン街」とある。
八丁堀交差点の辺りに町奉行配下の与力、同心の組屋敷が多く集まり、その堀の長さが八丁(約900メートル)あったため八丁堀と呼ばれたと言う。
新大橋通りを桜川公園に行く途中 宮田屋という酒屋で買い物をする。スタンドバーなどがあり 興味をそそらされる。
桜川屋上庭園

桜川公園の先の女性センタービル屋上に小さな屋上庭園があり、街の喧騒を忘れさせてくれる。
鉄砲洲稲荷神社

江戸の初期に大砲の射撃訓練したからなどと名前の言い伝えがあるが、定かではない。
広重が「鉄砲洲稲荷境内の不二」として富士塚を描いているが、丁度工事中で見ることは出来なかった。
徳船稲荷神社とサクラ

南高橋の袂にある小さな稲荷神社。町内会の人がボランティアで清掃していた。
赤穂浪士は討ち入りの後、永代橋を渡り霊巌島を経由して高橋から泉岳寺に向かったと言われている。
堀部安兵衛武庸の碑

堀部安兵衛のフアンなのか、碑の前で寝転んでいる人がいた。
旧姓は中山安兵衛であるが、堀部弥兵衛の娘妙(たえ)の娘婿になり、吉良邸討ち入りまでこの辺りに住んでいた。34歳で没す。
亀島橋よりリバーシティ
21方面を望む
亀島橋よりスカイツリーを望む
於岩稲荷田宮神社

四谷左門町のお岩稲荷を、夫の田宮家別邸に分霊したもの。市川左団次が「四谷怪談」の新富座興行の際に依頼したとも言われる。お岩稲荷はその他 夫の菩提寺が移ってきた西ヶ原の妙行寺にもある。
ビルに囲まれひっそり佇む金比羅神社

金比羅神社からほど近い所にある霊巌島碑のある公園に向かう。
江戸の中期 蒟蒻島の芦原に浄土宗の霊巌寺があったが、振袖火事後に深川に移転した。その後跡地は霊巌島と呼ばれるようになる。
隅田川に向かう途中見かけたシャクナゲ
隅田川沿いのサクラの並木にまだ散っていないサクラがあった
隅田川沿いの遊歩道より リバーシティ21方面を望む

桜並木が続くが、残念ながらサクラは既に散り始めていた。満開の頃はさぞ大勢花見客が訪れるのだろ。
隅田川沿い遊歩道よりスカイツリー方面を望む

お昼時で川辺でランチをしている人が多かった。
永代橋とスカイツリー

この辺りで新川跡を辿り、日本橋方面へ向かう。
新川大神宮

江戸の豪商河村瑞軒が開削した水路(現在は埋め立てられている)の脇にあった神社。当時は新川の両岸には酒問屋が建ち並んでいたという。南岸は関東の酒問屋、北岸は関西の酒問屋が並んだ。関西からの下り酒に対して関東の酒は下らない(くだらないの語源)という。
日枝神社

山王日枝神社の摂社。大森山王にも日枝神社があることを知る。
兜岩

源義家が京から陸奥の阿部頼時征討の途中、この岩に兜を掛けて戦勝を祈願したという伝説がある。
近くには鎧橋があるが、同じく奥州討伐の折、自らの鎧を海に投げ入れて荒れる海を鎮めたという。
兜神社にお参り

株の街兜町証券界の守護神、上は首都高速。
首都高速下の駐車場にあるちょっと不思議なレストラン
日本橋の獅子像

渡辺長男作、獅子の足が捕まえているのは、東京都の紋章。
日本橋は五街道の起点であり、一里塚を置いていた。
橋の南詰には「高札場」が、向かい側には罪人を衆人にみせしめにする「晒し場」があった。また北詰河岸には今の築地魚市場の前身となった魚河岸があった。
延命地蔵寺

一石橋近くにあり、本尊の延命地蔵菩薩は奈良時代の名僧行基の作と伝えられている。
東京駅に戻り、お茶をして今回の散策は終了。

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