Ichigaya

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今回の散策は紅葉の時期ということもあり、都内の紅葉の名所である小石川後楽園が入っているルートを選んでみた。以前行ったことのある市谷八幡から牛込といわれる江戸の職人が多く住んでいた地域でその職業が町名として残っている所や徳川慶喜が晩年過ごした所などを経由して小石川後楽園に至る道程である。小石川後楽園にたどり着いた時はすでに午後3時をまわっており逆光に映える紅葉を愛でるには少し遅かったが、それでも晩秋の紅葉狩りを楽しむことが出来た。尚Flickrに掲載しているものはその題名を記している。


日時: 2013年11月27日
交通: JR中央線 市谷駅、 帰り JR中央線 飯田橋駅
ルート: 市谷八幡~浄瑠璃敵討ちの場~光照寺~尾崎紅葉「十千万堂」~芸術倶楽部跡~赤城神社~日輪寺~徳川慶喜終焉の地
~永井荷風生育の地~萩の舎跡~牛天神北野神社~小石川後楽園 約6.5キロ

市谷駅前の外堀に映えるビル
JR市谷駅で降り外堀を渡り市谷八幡に向かう。
市谷八幡の急な階段
愛宕山の愛宕神社程ではないが かなり急な階段で手すりに掴まりながら登るのが賢明である。上にある鳥居は銅製で 新宿区の指定有形文化財でもある。右手には駿台予備校、左手には防衛省自衛隊市谷駐屯所を控えているので、学問と武芸にご利益があるのであろうか。

写真はEさん提供
上から見ると
急な階段が嫌なら画面右手に神社に上る坂もある。
市谷八幡本殿
市谷八幡は亀岡八幡ともいわれ、大田道灌が江戸城完成に際し西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡を勧請したのに創る古社。鎌倉の鶴岡に対して江戸の亀岡と呼んだことによる。江戸の八所八幡の一つである。

写真はSさん提供
秋色
光の具合が良かったので皆で紅葉した葉を写す。
Autumnal colors

Flickr
市谷八幡の臆病な主
力石
祭礼の時など村人が力比べをしたもので、卵型の自然石には石の重さと奉納した者あるいは持ち上げた者の名前が刻まれている。他に社の宝物として道灌が奉納したという竹の軍配内輪があるが、毎年例大祭の時のみ一般公開されるという。
茶の木稲荷神社
市谷神社へ向かう坂の途中には太田氏の家紋を神紋とした稲荷神社がある。
茶の木稲荷正殿
江戸名所図会によれば日数を定めて茶を断ち祈願すれば眼疾を患う者は霊験著しく願いが成就するという。
市谷八幡を後に浄瑠璃坂方面に向かう。
浄瑠璃坂
浄瑠璃坂の上の方にあるという浄瑠璃坂仇討ちの場に向かう。坂の名前由来は坂の上に操り浄瑠璃の芝居小屋があったことによるという。
浄瑠璃仇討の場
江戸三大仇討の一つである。宇都宮藩奥平家の家老奥平内蔵弁が主君の戒名をめぐって奥平隼人と口論となり刃傷沙汰を起こし切腹となった。子の源八がその仇を討つため主従42名でこの辺りの組み屋敷に潜伏していた奥平隼人を討ち取った。源八らは伊豆大島に配流となったが6年後許されたという。
残念ながら説明板があるのみで、壁にある2箇所の傷は仇討とは関係がない。現在大日本印刷の寮となっているが近々取り壊され区の公園になるようである。
宮城道雄記念館
牛込城跡がある光照寺に向かう途中 盲目の音楽家宮城道雄の略傳が友人の佐藤春夫によって記された碑がある記念館の前を通る。
牛込城跡
光照寺前には当時この辺りの牛込台地一帯を領した牛込氏の居城跡の説明板があった。牛込氏は最初北条氏の家臣としてこの辺りを治めていたが北条氏滅亡後徳川家に従い牛込城は取り壊されたという。
光照寺
芝増上寺の末寺で牛込城が取り壊された後天保2年神田から移ってきた。境内には神田の旅籠紀伊国屋によって建てられたもので旅の途中で亡くなった人を供養する諸国郡邑旅人菩提碑がある。
境内に咲く椿のような花

写真はSさん提供
大きな石榴の実
境内に植えられたブルーベリーのような青い実
地蔵坂
尾崎紅葉の十千万堂跡に向かう。 市谷から神楽坂のこの辺りにかけては坂が多く、坂の名前の由来を知るのも面白い。地蔵坂とは坂の上の光照寺に子安地蔵があったため付けられたというが、藁を売る店があったため別名「藁坂」とも呼ばれていたという。
途中で見かけたピラカンサスの実
ちょうちん草
袖摺坂
大久保通を横切り袖摺坂を上がり尾崎紅葉が住んでいたという「十千万堂」に向かう。袖摺坂の坂名の由来はすれ違う人がお互いの袖を摺り合わす程狭い坂道だったことによる。

写真はTさん提供
妙徳山円福寺
尾崎紅葉がその短い生涯を送った住居「十千万堂」に寄るが現在は一般の住宅になっていたので写真は撮らず、近くの紅葉が綺麗な日蓮宗の円福寺に寄ることにした。この辺りは横寺町といわれ寺が多い所でもある。
円福寺は文禄5年加藤清正により創建され、江戸末期には徳川家の祈願寺でもあったという。
円福寺の広告塔?
円福寺縁起によれば日蓮聖人自ら魂入れをしたという厄除開運祖師と明治維新には江戸城紅葉山より夜光鬼子母神が当寺に移され泰安されているという。

写真はTさん提供
福を呼ぶ福朗ちゃん
猫かと思ったらフクロウだった。

写真はTさん提供
A little autumn
横寺町の朝日坂の途中にある芸術倶楽部跡に向かう。

Flickr
芸術倶楽部跡
この辺りは演出家島村抱月が女優松井須磨子とともに創設した芸術座の本拠で新劇発祥の地であり、抱月終焉の地でもある。須磨子は抱月の死の翌年ここで後追い自殺する。
赤城神社
神楽坂を横切りこの地の豪族牛込氏が城の諸護神として、上野(こうずけ)の赤城権現を勧請して祀ったという赤城神社に寄る。
赤城神社本殿
別当寺は天台宗東覚寺で本尊は将軍地蔵尊という。社務所は近代的なガラス張りのビルである。
出世稲荷神社
赤城神社内には「出世稲荷神社」や受験生の合格を祈願する「蛍雪天神」(旺文社が寄贈)があり、幅広く参拝人を集めているようだ。

写真はSさん提供
国産飛行機発祥の地
神楽坂で昼食を取り日輪寺に向かう途中神田川の手前に国産飛行機発祥の地の説明板があった。説明板によれば日野熊蔵大尉によりこの地で日本初の国産飛行機「日野式一号機」が作られ、明治43年には試験飛行も行われたという。
神田川の映り込み
徳川家康は江戸入府を前にして水不足を心配し家臣大久保藤五朗忠行に上水道を作らせることにした。まず小石川付近の流水を江戸城方面に引いた小石川を造り、これを発展させ神田上水を造った。神田上水は井の頭池を水源とし途中で善福寺池と妙正寺池からの流れと合流し小石川の関口で分水したものである。後には後楽園を通って神田川の上を水を通す橋(水道橋)で渡し江戸城方面に流した。江戸っ子たちは「水道の水で産湯を使い。。」と自慢していたが、実際は飲用、調理用の水で産湯には使えなかったという。
日輪寺
曹洞宗の禅刹で江戸中期の兵学者で「海国兵談」を著した林子平の墓がある。明治19年この境内に我国最初の幼稚園である小石川幼稚園が創設されたという。

写真はSさん提供
神仏混合?
日輪寺の本堂と氷川神社の本殿が一緒に並んでいる。

写真はTさん提供
境内のツタ
小日向にある徳川慶喜終焉の地に向かう。

徳川慶喜終焉の地
静岡で隠棲していた慶喜が明治30年に61歳で東京に移り住んだが、34年から当地に移り76歳で没するまで住んでいた場所。現在は国際仏教学大学院大学のキャンパスになっていた。

写真はTさん提供
慶喜公屋敷大銀杏
慶喜は上京後天皇に拝謁し公爵の爵位を受け貴族院議員になっているが、上京当時は経済面でも健康面でも不安があったようだ。生まれた小石川水戸屋敷に近いこの地を愛し晩年は趣味(写真)の生活を送ったという。当時の面影を残すのはこの大銀杏のみである。
今井坂
慶喜終焉の地の横にあり、坂の名前は坂の上に今井四郎兼平の名にちなむ兼平桜という大樹があったことによるという。金剛寺坂方面にある永井荷風生育の地に向かう。
永井荷風生育の地
永井荷風が子供の頃過ごした場所。荷風といえば「アメリカ物語」や「腕くらべ」、「墨東奇憚」などが有名だが、東京の散策を語るには「日和下駄」は外せない。
地面に記されている道案内
地面に道案内が記されているのは珍しい。安藤坂の「萩の舎跡」の先の北野神社に向かう。

写真はEさん提供
安藤坂ー光る道
安藤坂の途中には萩の舎(や)跡の説明板があった。塾主中島歌子がこの辺りに和歌の歌塾「萩の舎」を開いたという。
牛天社北野神社本殿
鎌倉初期 源頼朝の創建と伝わる古社。祭神は菅原道真である。牛天神という異称は源頼朝が菅原道真が牛に乗って現れる夢を見て、この地に天神(菅原道真)を分霊することを思い立ったことによる。

写真はTさん提供
  貧乏神?
本殿左手にある太田神社・高木神社は芸能上達の神を祀っているのだが、もとは貧乏神といわれた黒闇天女(くろやみてんにょ)(弁財天の姉)を祀っていたもので、今でも「貧乏神様、わが家に来ないでください」と願をかけるそうだ。
  北野神社のおみくじ結びどころ
梅の枝に結ばないように牛をかたどった結びどころ用意してあった。
小石川後楽園に向かう。

写真はEさん提供
小石川後楽園
小石川後楽園はもと水戸徳川家江戸屋敷跡で、回遊式築山泉水庭園であり、庭園内に京都の渡月橋、東福寺の通天橋、中国の西湖堤などを擬した縮景庭園である。

写真はSさん提供
後楽園の紅葉 1
小石川後楽園は徳川頼房が神田上水の引き入れを許可し築造し 2代目藩主徳川光圀が完成させた。光圀は中国より招いた儒学者朱舜水の意見を取り入れ、「(士は)天下の憂いに先立って憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」という中国の「岳陽楼記」から「後楽園」と名付けたという。
Momiji 1
午後三時をまわって逆光に映える紅葉は撮れなかったが 光の周る所を探して各自めいめい庭園内を散策することにした。

Flickr
後楽園の紅葉 2
カワセミもいるようでカメラマンが大勢いた。

写真はEさん提供
水面に映る
後楽園の紅葉 3

写真はTさん提供
Momiji 2

Flickr
後楽園の紅葉 4

写真はEさん提供
後楽園の紅葉 5

写真はSさん提供
後楽園の紅葉 6

写真はEさん提供
後楽園の紅葉 7
後楽園の紅葉 8

写真はTさん提供
A fine late autumn day
日も翳ってきたので飯田橋駅でお茶をして今日の散策は終了とした。

Flickr
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