Shimoochiai

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今回の散策はまだ残暑が厳しい折りなのであまり歩かないですむ場所を選んだつもりだったが、これが間違いで坂がやたらと多い所で距離以上に歩いた気分になる坂めぐりになってしまった。落合という地名は神田上水と妙正寺川が合流して落ち合った所であることから呼ばれたそうだが、下落合付近は関東大震災後 都心から林芙美子や佐伯祐三など文化人が多く移り住んだ所でもある。 当時はのどかな郊外の田園風景が見られた所であるというが、現在は当時の面影を伺わせるものは公園など以外あまりなかった。 それでも坂道が多く 昔この辺りは小高い山々とその間を流れる川があり蛍の飛び交う緑豊かな地であったろうことは想像出来た。目白庭園の後に学習院大学の血洗いの池などにも寄ったが、構内撮影禁止なので掲載はしていない。


日時: 2013年9月10日
交通: 西武新宿線 中井駅、 帰り JR山手線 目白駅
ルート: 林芙美子旧居~佐伯祐三アトリエ跡~薬王院~七曲坂~おとめ山自然公園~目白庭園~鈴木三重吉旧居跡~
学習院大学 約5.5キロ

三の坂
保育園のちびっ子を乗せて三の坂を上る保育士さん、大変な力仕事だ。
中井の駅から林芙美子旧居に向かう途中には一の坂から四の坂が右手にある。
林芙美子記念館前の四の坂

写真はEさん提供
林芙美子旧居の庭
緑豊かな当時の下落合風景が残っている。林芙美子は「放浪記」で有名であるが(森光子の舞台でも有名)、尾道などに住んでいた若い頃は貧しかったようだが作家として大成し立派な屋敷を構えるようになった。

写真はSさん提供
居間
大正時代の日本家屋の風情が残っている。

写真はSさん提供
茶の間
昔は関東では火鉢が冬の暖房であった。

写真はSさん提供
庭にあった手水鉢
庭の石畳を這う蔦
二の坂
林芙美子記念館から中井駅方面に戻り途中見逃した二の坂を探すと坂の標識が道路工事現場内にあったため気が付かなかったようだ。
一の坂
ルートからちょっと外れるが、一の坂も探してみた。
実際は「一の坂」から「八の坂」まであるようであるが、メンバーの一人が後日下落合付近の坂の写真を撮りに行き残りの4つの坂の写真を見せてくれた。これから訪ねる坂以外にも落合付近には「久七坂」、「西坂」、「市朗兵衛坂」、「六天坂」など名の知れた坂があるようである。
見晴坂
山手通を渡り落合秋艸(しゅうそう)堂跡に向かうと、こちら側も坂が多い。この坂の名前は坂の上からの眺望が良かったこと、特に富士山の眺めが良かったので付いた坂名と言う。

写真はEさん提供
霞坂(かすみざか)
明治末に開かれた坂で 坂の名前の由来はこの辺りが田園で春霞が立つことからつけられたと言う。
緑に覆われた家
落合秋艸堂跡に行く手前に緑と花に覆われた家があった。落合秋艸堂跡が見つからないでウロウロしていたが、5,6件の新しい住宅が立ち並ぶ所でヤクルトのお姉さんと近所の奥さんが立ち話をしていたので、水分補給に皆でヤクルト製品を買って落合秋艸堂の事を聞くと、落合一小学校の校庭かもしれないと言う事になり小学校に向かう。学校で先生に聞くが校庭内には碑はないということで諦めて次の目的地に向かおうとしたら、先程話していた奥さんが息せき切らして駆けつけて、実は家に帰りよく考えてみたら落合秋艸堂跡は自分が購入した住宅の敷地がそうであったと何かに書いてあったと思い当たり探して その資料を持って来てくれた。一同感激して見せてもらう。 本名は会津八一といい早稲田大学で講義をしながら仮名書きによる独特の家風で知られる歌人であり、戦後は空襲で落合の秋艸堂が全焼したため故郷の新潟に移り住み昭和31年に亡くなったという。新潟には会津八一の歌碑があると言う。
聖母病院
次の目的地佐伯祐三のアトリエに向かう。ヤクルトのお姉さんから かなり分かりづらい所に在ると言われたが一旦聖母病院前通りに出て路地裏を進み何とか発見。
佐伯祐三アトリエ
佐伯祐三が妻米子とパリに移るまでのあいだ新婚生活を過ごした旧居跡。有名な連作「下落合風景」は一時帰国した時にこのアトリエで描かれた。現在は佐伯公園として一般に開放されている。

写真はTさん提供
アトリエの庭にいたカナブン
アトリエの庭に咲いていた赤い花
薬王院に向かう階段
フクロウとウサギのオブジェが階段の上にあった。

写真はEさん提供
階段の途中で見かけたクロアゲハ
薬王院参道
鎌倉時代創建と伝わる真言宗の古刹。奈良長谷寺の末寺で本山と同じくボタンの花が咲く名所として知られ、牡丹寺とも言われる。
薬王院山門
東長谷寺という文字が石版に読める。奈良の長谷寺に対し東の長谷寺と言われた。

写真はSさん提供
境内に咲く睡蓮

写真はTさん提供
薬王院本堂
本堂は清水寺の舞台のような造りになっている。春には手前の枝垂れ桜が見事だそうだ。境内は広く手入れも行き届いたなかなか立派な寺である。

写真はEさん提供
無縁仏供養塔
薬王院観音堂に向かう階段の上には
無縁仏供養塔がある。

写真はTさん提供
境内にある地蔵
この他牡丹園横には薬王院六地蔵がある。

写真はTさん提供
薬王院の主
いろいろなポーズをしてくれる人懐っこいネコである。
ポーズその2
下落合野鳥の森公園
薬王院を後に七曲坂方面に向かう。途中下落合野鳥の森公園に立ち寄る。この辺りも当時の田園風景が残っている所である。

写真はTさん提供
相馬坂
明治時代相馬家の屋敷に続く坂であったので付けられた名前と言う。この坂に隣接する「おとめ山公園」は江戸時代将軍家の御鷹場として一般の人の立ち入りを禁じた御禁止山(おとめ山)があった。

写真はEさん提供
七曲坂
江戸名所図会によれば鼠(ねずみ)山に上る坂であり曲がりくねっていることから付けられた名であると言う。古くは源頼朝が軍事目的で開いた道とも言われている。
氷川神社前の電線に絡まるツタ
反対側にたどり着くのは何時頃になるのであろうか?
氷川明神社
薬王院は当社の別当であるという。すでに七五三の案内が出ていた。
おとめ山自然公園の東山稲荷
おとめ山自然公園は旧陸奥中村藩相馬家の池泉回遊庭園跡地を利用して作られており、江戸名所図会によれば当時は落合蛍として蛍狩りの名所として有名であったようだ。東山稲荷は藤杜稲荷社ともいい薬王院を奉祀する。

写真はTさん提供
おとめ山通り
乙女山通りと読むのかと勘違いしそうだが、先に相馬坂で述べたように将軍家の御鷹場で一般の人の立ち入りを禁じた御禁止(おとめ)から来ている名前である。この辺りで目白に行く道を通りがかりのおばちゃんに尋ねると、近道があるけどこの先から行っても 鼻歌でも歌いながら行けば直ぐ着くよと言う。
玄関先に咲くヒマワリ
あのおばちゃんが言った意味が分かった。ここは目白の高級住宅街で田園調布のような佇まいの家が立ち並んでいるのだ。散歩がてらきれいな家々でも眺めて行けばということらしい。そういえば目白は政治家や芸能人の豪邸が多いという話は聞いたことがある。
目白庭園
目白庭園は豊島区立の池泉回遊式の庭園で、池の周囲をめぐることができる。庭園内には、雑誌「赤い鳥」を由来にした木造瓦葺平屋建ての数寄建築の「赤鳥庵」(左手)や、六角浮き見堂(右手)が配されている。
井戸跡
赤鳥庵傍のもと井戸があった所には今も湧き水がわいていた。
目白庭園の鯉
池には鯉が放たれ滝を眺める滝見台も配されている。
池の周りに配された大きな石
池に映る緑
HDR処理
池に映る緑、空、鯉
目白駅より徒歩5分、入園無料で9:00~17:00(7,8月は19:00まで開園)、休園日は毎月第2・4月曜日(月曜日が祝祭日と重なる場合は、その翌日が休園日)年末年始(12月29日~1月3日)、デートにも良し。
赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡
目白庭園に行く時は気が付かなかったが、帰り道で発見。現在は一般のお宅になっているようで玄関先に説明版だけがあった。 鈴木三重吉は夏目漱石の門下生で、児童雑誌「赤い鳥」はここで創刊された。
目白駅で遅い昼食を取り、その後学習院大学に寄り中山安兵衛(のちの赤穂浪士堀部安兵衛)が叔父の敵討ちをして血刀を洗ったという伝説の「血洗いの池」(実際は学生の作り話のようである 元々は湧き水でできた池で昔は血洗いよりも 皿洗いにちょうど良い池だったのかもしれない?)を見て 目白駅でお茶をして帰路につく。

写真はTさん提供
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