From Iwabuchinowatashi to Ukimabashi

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今回の散策は北区赤羽根界隈で、荒川沿いの渡しがあった岩淵から浮間橋までのルートであった。当初予定を組んだ時は桜や芝桜も見れるかと思っていたが 今年は桜の開花が早く桜は葉桜になっており芝桜も見頃を過ぎていた。もしかして荒川沿いに咲く桜と芝桜の競演を撮れたかもしれないと思ったが後の祭り。さすがに江戸名所図会などで江戸の名所として触れられている場所は少なく、さらにこの辺りも都市開発が進んでおり名所旧跡は跡地の立て札や碑のみになっており、探し物ゲームのような散策になってしまったが、自然観察公園では古民家を見学したり長い距離の割りには充実した散策であった。


日時: 2013年5月8日
交通: JR埼京線 恵比寿駅、 帰り JR埼京線 北赤羽駅
ルート: 八雲神社~岩淵の渡し跡~岩淵宿問屋場跡~正光寺・大満寺~道標・宝憧院~赤羽八幡神社~静勝寺・稲付城跡
~亀ヶ池弁天~自然観察公園~善徳寺・大恩寺~緑道公園~諏訪神社~浮間橋 約8キロ

八雲神社
赤羽駅から荒川を目指して歩くと岩淵橋前に八雲神社がある。岩槻街道(日光御成道)の第一の宿場であった岩淵宿の鎮守である。後で行く正光寺は当社の別当であった。

写真はSさん提供
新荒川大橋
岩淵橋からは埼玉の川口市まで続く新荒川大橋(国道122号線)が望まれた。
川口市
赤羽桜堤緑地に渡ると荒川の先に川口市の高層マンション群が現れる。300メートル程先はもう埼玉県である、遠くまで来たものだ。
川口善光寺
新荒川大橋の向こうにも川口市のビル群がまじかに見える。広重は江戸百で「川口のわたし善光寺」という題で新荒川大橋辺りから川口の善光寺を望む絵を描いている。工事中のビルの左下に屋根だけが見えるのが善光寺であろうか。信州長野まで行かなくとも同じ御利益があるということで江戸市民には人気だったようだ。

写真はSさん提供
新荒川大橋
橋の下より川口市の高層マンションを望む。
新荒川大橋は昭和3年に開通したが、橋がなかった江戸時代は善光寺の御開帳の時などには渡し舟が引きも切らず大変な人出で渡し舟が転覆したという話も伝わっている。
赤羽桜堤緑地に咲く野菊の一種

写真はSさん提供
赤羽桜堤緑地に咲くアカツメクサ

写真はEさん提供
岩淵の渡し跡
この辺りに岩淵の渡し跡の碑か何かがあるはずだが発見できず諦める。

写真はEさん提供
赤羽桜堤緑地の芝桜
見頃は過ぎていたがKITA(北区のこと)という字が書かれているのが分かる。 もっと右の方にはCITYと書かれている。
芝桜とJR京浜東北線
芝桜の向うにJR京浜東北線が走っている、近くで見ると花が咲いているのは僅かであるのが分かる。
赤羽桜堤緑地の桜並木
桜は跡形もなかったが地面に映る葉陰がきれいだった。
岩淵の渡し跡は発見出来なかったが ここで時間を費やす訳には行かないので次の目的地に向かう。

写真はSさん提供
岩淵宿問屋場跡
探すのに手こずったが ようやく東京の地酒「丸真正宗」の小山酒造の一角に問屋場跡の碑を発見。岩淵宿は岩淵街道の第一の宿場として栄え、この辺りに問屋場があったという。

岩淵街道を先に進むと正光寺、大満寺がある。
正光寺
鎌倉時代創建の真言宗の古刹。山門の先には高さ10メートルの聖観音像が見える。
正光寺境内
この寺の木々や彫像はなかなか見ごたえがあった。
正光寺本堂
本堂は焼失し長らく駐車場になっていたが、2011年再建されたのだという。境内には池や植林などまだ整備途中と思われる所もあった。

写真はTさん提供
正光寺の地蔵菩薩像

写真はEさん提供
南無阿弥陀仏像とノッポの木
大樹と本堂

隣の大満寺に寄る。
大満寺の岩淵不動尊
正光寺隣にある真言宗大満寺には岩淵不動明王を祭る不動尊がある。

写真はSさん提供
四国八十八ヶ所霊場お手かざし処
不動尊の横には四国八十八ヶ所の霊場札か掛けられた簡易四国巡礼処があった。以前行った江戸川区の善養寺にも四国巡礼処があったが、それよりもかなり簡単である。

写真はTさん提供
道標
大満寺を後に岩淵街道をさらに赤羽方面に進むと宝憧寺があり、門前に「南 江戸道」と書かれた道標がある。左右にはそれぞれ「西 西国富士道 板橋道」、「東 川口善光寺道 日光岩付道」とある。この辺りは岩槻道から板橋道が分かれる追分にあり この道標は元文五年に建てられたものという。

写真はTさん提供
宝憧寺本堂
宝憧寺は室町期の創建と伝わる薬師如来を本尊とする真言宗の古刹。
弘法大師一千一百年忌供養塔
境内にはその他 馬持中と彫られた南無馬頭観世音像などがある。馬持中とは馬を持つ農家の講中のことである。

宝憧寺を後に赤羽八幡神社に向かう。
赤羽八幡神社
師団坂横の参道を登ると岩淵五ヶ村の総鎮守赤羽八幡神社がある。坂上田村麻呂が蝦夷征討の途中戦勝を祈願して祀ったのが始まりという。江戸名所図会によれば荒廃していた社を大田道灌が再興したとある。

写真はTさん提供
  陽を反射して疾走する新幹線
赤羽八幡神社境内からは東北・上越新幹線が見えた。新幹線を撮ろうとして崖の先まで行くカメラマンが多いのか事故防止のため先の方までは行けないようになっていた。
赤羽八幡神社鳥居より東北・上越新幹線と師団坂下を望む
かってこの鳥居脇の清水坂の上には陸軍第一師団工兵大隊の兵舎があったので現在でも師団坂と呼ばれている。

赤羽駅に戻り昼食を取り 静勝寺・稲付城跡に向かう。

写真はEさん提供
稲付城跡
この稲付城跡の碑の脇の階段を上ると太田道灌が江戸城の出城として築いたといわれる砦(稲付城跡)跡があり、曹洞宗の禅刹静勝寺がある。この寺はこの道灌山という台地にあり(開基は大田道灌) 古くは道灌寺と称していたという。道灌堂には道灌の木像が安置されているという。

写真はEさん提供
門前にあった稲付村と彫られた地蔵像

写真はTさん提供
静勝寺本堂とツツジ
江戸名所図会では道灌手植えの五葉の松があったというが、寺ではちょうど葬儀が執り行なわれた直後の様なので早々に退出した。

写真はSさん提供
亀ヶ池弁財天に向かう途中見かけたツツジとピンク色の自転車。
亀ヶ池弁財天
江戸名所図会では静勝寺と亀ヶ池が描かれており 亀ヶ池はかっては大池だったことが伺えるが、現在はごらんの広さで中之島に弁財天が祀られている。 静勝寺弁財天堂の分祠で昔無数の亀がいたのでこの名が付いたという(霊亀がいたともいう)。
亀は何匹いるでしょう
この画面では7匹いるのだが分かるかな?
自然観察公園
善徳寺に向かう途中自然観察公園に寄る。かっての旧陸軍兵器庫跡に作られたもので、ここには北区で運営されている「ふるさと農家体験館」がある。この住宅は元浮間地区にあった江戸時代からあった旧松澤家住宅を譲り受け移築したものである。

写真はEさん提供
自然観察公園は子供たちの格好の遊び場でもあり、この日も大勢農家体験館にも訪れていた。浮間地域は荒川の氾濫などが度々あり盛り土の上に建てたり洪水時のために船を備えるなど独特の屋敷構えになっている。
自然公園内のネコに別れを告げ、善徳寺に向かう。
善徳寺山門
室町期創建の浄土宗の古刹。

写真はSさん提供
お竹大日如来の墓
お竹は江戸の大伝馬町の商人馬込家の召使でよく貧しいしとびとに施しをしたので「大日如来の化身」といわれ江戸中の評判になったという。今でもお竹ゆかりの古井戸が日本橋伝馬町の馬込家跡にあるという。

隣にある大恩寺に寄ることにする。
大恩寺山門
門前には大きな仁王様がむき出しのまま立っていた。日蓮宗の寺で駒込大恩寺といわれてたが 関東大震災後本郷より当地に移転したという。
境内にある三十三の観音像
この観音像は自然石で彫られたものという。また境内には日本最大の木彫水子観音像など数多くの仏像がある。珍しいものとしては自動車供養が出来る人動車観音像やペットの墓がある。墓所はかなり広く、墓所を見渡せる見晴台のようなものもあるが、案内書によれば建物内にも屋内墓所があり究極の都市型新墓所であるとうたっている。
大恩寺を後に軍用貨物線跡に作られた緑道公園に向かう途中見かけたツルツルした葉
  緑道公園
元軍用貨物線跡に作られた公園だが、当時の線路跡がレリーフとして残されている。

写真はTさん提供
緑道公園脇の民家の壁に映る木々の影
善徳寺のお竹如来の影響か、この辺りでは何匹もの野良ネコにそれぞれ名前を付け餌を与えているオバサンや、小鳥の餌を窓に備えている家など 分かち合いの精神に富んだ人が多いように見受けられた。

緑道公園から並木通りに入り、諏訪神社に向かう。
諏訪神社
室町期の創建の旧袋村の鎮守。
かっては社前に袂杉(寺の和尚が諏訪から袂に杉苗を入れて持ち帰ったため)といわれる銘木があり御神木にもなっていたが 今はその切り株が本殿の裏に移されてあるという。
これがその御神木「袂杉」の切り株が保管されているものらしい。
諏訪神社のバラ
境内には道標をかねた庚申塔があり、右側面に「北 当村かしば」とある。「かしば」とは荒川の河岸場のことで袋村の船の荷揚げ場のことである。
宮の坂
袋村の鎮守諏訪神社前の坂なので宮の坂と呼ぶとある。宮前坂は神社の前の坂によく見かけるが 宮の坂は初めてみたような気がする。
環八に出て最終目的地浮間橋方面に向かうと大きな水瓶のある店があった。
浮間橋 ダッシュ!
荒川は名前の通り荒れ狂う川で洪水が絶え間なかったがそれまでは橋がなく、昭和初期に寄金を集め陸軍工兵隊に依頼し昭和初期に作ったものが最初の浮間橋である。

浮間橋を渡り北赤羽でお茶をして暗くなる前に帰路につく。
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