From Daikanyama to Yutenji, Otorijinjya

戻る 

今回は東急東横線の渋谷駅から代官山駅間が地下化したというのでどうなったのか興味があったため近場ではあったが、代官山から目黒方面への散策ルートを選んでみた。行ってみると代官山駅はほとんど変わっておらずちょっと拍子抜けしてしまった。代官山は若い頃何度も来たことがあるが裏通りの猿楽町の辺りや、中目黒から目黒にかけての山側は今回初めて歩き大変興味深かった。さらに思いがけず代官山では旧朝倉家住宅を見学したり、中目黒の長泉院の現代彫刻美術館では彫刻を鑑賞することが出来たりと有意義な散策でもあった。 しかし意外にアップダウンの多い散策路で距離の割には疲れた。


日時: 2013年4月12日
交通: 東急東横線 代官山、 帰り JR山手線 目黒駅
ルート: 天狗坂~猿楽古代住居跡~西郷山公園~旧朝倉家住宅~猿楽塚古墳~恵比寿神社~地蔵の道しるべ~
富士塚碑~目黒川舟入場跡~鬼子母神正覚寺~中目黒八幡神社~祐天寺~長泉院・現代彫刻美術館~大鳥神社 
約7キロ

代官山駅の狭いプラットホーム

この先から線路が地下に入るというので狭いプラットホームだが先まで行ってみることにする。
渋谷方面行きホームの先端

吊り上げている線路が以前のもので、3月16日深夜に所要時間3時間半で切り替え工事が行われたそうだ。これにより東急東横線と東京メトロ副都心線の相互乗り入れが開通した。

写真はEさん提供
天狗坂

代官山の八幡通りを渋谷方面に向かい鉢山中東の交差点を左に入ると明治の末、「天狗煙草」で財を成した岩谷松平が晩年を過ごした旧居跡がある。旧居の横のこの坂道はそのため「天狗坂」と呼ばれているが、現在は駐輪所の様相を呈しているようにも見える。また彼は日本人の肉食による体質向上のためこの辺りで養豚場も始めたという。
鶯谷町の幼稚園の大きな楠木

猿楽古代住居跡に向かう途中猿楽町交差点の右手に大きな楠木があったので立ち寄る。この辺りは近くにある乗泉寺の敷地のようだ。
猿楽古代住居跡

猿楽町交差点を左折すると弥生時代の猿楽古代住居跡がある。 一応杭で囲まれているが砂遊び場のような一角がどうやら住居跡のようだ。

写真はEさん提供
ハナニラ

他に何もないので古代住居跡の花でも撮ろうとハナニラを撮る。この花はアルゼンチンが原産らしいが、成長するとこの写真のように青い線が入ってくるそうだ。
すずらんも咲いていた。
西郷山公園

猿楽古代住居跡を後に旧山手通りに向かい、通りを横切り右折して西郷山公園に行く。 西郷山公園は西郷隆盛の弟従道(つぐみち)の別邸があった所で中目黒方面を眼下に見下ろす回遊式庭園である。先日訪れた目黒天空庭園を思い出した。
八重桜がまだ残っており、近所の保育園の子供らが遊んでいた。
西郷山公園を目黒川方面に下ると管刈公園(すげかりこうえん)があるが、そこも西郷従道の別邸があった所で日本庭園のあるあまり知られていない憩いのオアシスである。
ワンちゃんのお散歩道

鹿児島からは西郷さんゆかりのこの地にケヤキなどの記念樹約2000本が寄贈されたという。

写真はSさん提供
満開の八重桜を撮る人
八重桜のクローズアップ

写真はSさん提供
旧朝倉家住宅

昔代官山に来た時は気が付かなかったが(それもそのはず、平成16年以前は経済企画庁の会議所であったそうだ)、代官山の交番前にある旧朝倉家の住宅が公開されていたので見学することにした。入館料が60歳以上は無料(といっても一般100円)なのには感激した(先日行った小石川後楽園や神代植物園では65歳以上が割引で数ヶ月足りず涙を呑んだ)。
旧朝倉家住宅は大正時代の趣を色濃く残した和風建築であり、震災や戦災での消失を免れた歴史的文化遺産である。
朝倉家は江戸時代よりの大地主であったが幕末頃からは精米業を営むようになり、大正時代から昭和にかけて東京府議会議長、渋谷区議会議長を務めた当主の虎次郎がこの朝倉家住宅を建てたという。

写真はTさん提供
床の間には今では珍しい欄間が取り付けられている。

写真はEさん提供
両サイドが開放でき庭園を望むことの出来る居間。
今では珍しい縁側。
ちょうど日向ぼっこに最適な場所でお茶でもあれば申し分がないのだが。
窓ガラスは昔風の歪んだ窓ガラスが取り付けられている。
庭にあったツツジ

写真はEさん提供
庭にあった木蓮
ビルの谷間にひっそりと佇む猿楽塚古墳

朝倉家住宅の裏口からビルの間を通り抜けると猿楽塚古墳の入り口の鳥居がある。6~7世紀飛鳥時代の円墳であり、以前はこの前を鎌倉街道が横切っていたという。
江戸名所図会によれば塚の上から遠くを見渡せたため斥候(ものみ)塚、または去我苦塚とも呼ばれたとあるが、昔この辺りで申楽興行があったためであろうと記されている。
メンバーの一人の娘さんが結婚披露宴を行ったという代官山の旧山手通り沿いのカフェレストランで昼食を取る。
「夕やけこやけ」の碑

代官山駅を横切り長谷戸小学校に向かう。 正門前には当時小学校の音楽教師だった草川信が作曲した「夕やけこやけ」の碑がある。作詞は中村雨紅である。

写真はEさん提供
近くの恵比寿神社に寄り参拝する。
恵比寿西にあるので恵比寿という名の由来に関係あるのかと思ったら、エビスビールの方が先輩のようだ。昭和34年ヱビスビールのあった兵庫県西宮市の西宮神社の分霊を勧請して恵比須神社としたという。
地蔵の道しるべ

正面に南無阿弥陀仏、右側面に祐天寺道、左側に不動尊道(目黒不動)と彫られている。我々は祐天寺に行くので右側の道を行くことにする。
祐天寺道にあった馬頭観世音

昔この辺りで疫病が流行ったおり、与右衛門という人が馬頭観音に祈り疫病を退散させたという。そのお礼に石で観音を作り祐天寺の祐海上人に加持祈祷を願いこの地に安置したという。

写真はEさん提供
別所坂の庚申塔

この辺りは江戸時代 富士の眺望がすばらしい景勝地であった。江戸後期には蝦夷、千島を探検した幕臣近藤重蔵が自宅邸内にミニ富士を造り目切坂上の「元富士」に対してこちらは「新富士」と呼ばれ人気を博したという。広重も「目黒新富士山と眺望」という題で描いている。
昔この辺りを別所と呼んでいたために別所坂と呼ばれるようになったとある。かなり長い坂道で麻布から江戸時代の景勝地である目黒に入る道でもあり 坂の上にある新富士を訪れる江戸庶民も多かったようだ。
目黒川舟入場跡より中目黒方面を望む

昭和初期までは舟入場として使われていたが、現在は下部を目黒川の水量調節池とし上部は公園になっている。

写真はSさん提供
鬼子母神正覚寺

舟入場跡より山手通りを横切った所にある正覚寺に寄る。この寺は目黒の鬼子母神として知られる日蓮宗の古刹。「伊達騒動」で有名な三沢初の墓がある。

写真はTさん提供
正覚寺の布袋様
三沢初の銅像

藩主綱宗の側室となった初は後正室となり四代目藩主亀千代(綱村)を生むが跡目相続をめぐってお家騒動が起こる。これが江戸時代の3大お家騒動の一つ「伊達騒動」である。幕府の命により綱宗は隠居となり亀千代(綱村)が2歳で四代目藩主となった。このお家騒動が黙阿弥作の歌舞伎「伽羅(めいぼく)先代萩」の題材となったものである。
わずか2年で藩主の座を降りた綱宗はその後新吉原の遊女高尾太夫と浮名を流したことでも有名。
正覚寺の大きな楠木
  正覚寺に咲いていた小手毬(こでまり)

写真はSさん提供.
駒沢通りより正覚寺山門と本殿を望む

写真はTさん提供
  駒沢通りにあった洒落た帽子

正覚寺山門を出ると誰かの忘れ物なのか なかなかしっかりしているが雨風に曝されていたような帽子が置いてあったので一枚。
中目黒八幡神社

祐天寺に行く途中駒沢通りからちょっと奥に入った所に中目黒八幡神社があるので寄る。
中目黒八幡神社 社殿

この神社は旧中目黒村全体の鎮守で、昔より十二座の神楽を奏することで有名で、今でも九月の例大祭には奏でられるという。

写真はTさん提供
祐天寺前の地蔵

祐天寺の山門に行く途中「天下和順、交通安全」の地蔵があった。
祐天寺の寺名は将軍家にも崇敬された高僧祐天上人の名による。
祐天寺仁王門と山門前で遊ぶ子供たち

この仁王門は両脇の仁王像とともに五代将軍綱吉の息女竹姫が寄進したもの。右手の方には累(かさね)伝説を伝える累塚がある。
花が散った桜の木の下で遊ぶ子供たち

2週間ほど前祐天寺に桜を撮りに来たが、今はすっかり散って葉桜になっていた。

写真はTさん提供
桜の代わりに今は藤が見ごろ

祐天寺を後に、馬喰坂方面の長泉院に向かう。
途中見つけた大きなカタツムリ

写真はSさん提供
現代彫刻美術館前の彫刻アーチ

馬喰坂に下りる手前(馬喰坂上)を右に曲がると現代彫刻美術館がある。どうやらこの美術館はこれから行く目的地長泉院の付属施設のようである。住宅街の真ん中にこんな美術館があるのには驚いたが、入館無料とあるので寄ってみることにする。

(バスで行くには目黒駅から東急バス三軒茶屋行 自然園下バス停徒歩3分 か 東横線祐天寺駅より目黒駅行 自然園下バス停徒歩3分が便利だが祐天寺から目黒駅まで散策する途中寄るのも面白い。)
美術館に向かう途中にも彫刻のオブジェが展示されている。これらもそれぞれ彫刻家の手になるもののようだ。
黒猫の彫刻?

これは野外展示場にいた彫刻でなく本物の黒猫。彫刻のように動かないので撮らしてもらった。
藤棚と彫刻

ちょうど藤が盛りで彫刻とマッチしている。この日は4月20日より展示される「石彫の現況 2013」の準備のため残念ながら館内には入ることは出来なかったが 野外展示場にある彫刻を鑑賞して、写真を撮らせてもらうことにした。

写真はSさん提供
  かなり高台にあるため野外展示場からは中目黒の清掃工場の焼却炉も見える。 素晴しい彫刻を東京の住宅街で見ることが出来る機会はめったにないと思うので 近くに来た折はちょっと立ち寄っては如何でしょうか。(現代彫刻美術館 月曜休館 Tel 03-3792-5858、http://www.museum-of-sculpture.org)

彫刻美術館に長居してしまったため、長泉院には時間をあまり取れなかったが、浄土宗の律院として増上寺45世大玄和尚を開山として建てられたもので、江戸名所図会には山間より清泉が沸き出いでるゆえ長泉と号したとある。墓所には小説家武田泰淳などの墓がある。

目黒駅方面に向かい帰路につく。

写真はSさん提供
大鳥神社
目黒のお酉さまとして有名で、毎年11月酉の市には熊手を売る出店が多く出て賑わう。大鳥神社にはこの他珍しい櫛塚や天然記念物のオオアカガシの木があったが現在は碑のみ。

写真はTさん提供
目黒駅に行く途中目黒通りより目黒雅叙園アルコタワーを望む。
意外と疲れたのでお茶をして一休みした後帰路につく。
戻る



Tweet