From Daiunji through IchinoeNanushiYashiki to Zenyouji

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今回の江戸散歩は前回、前々回に引き続き江戸川区の散策であった。長い残暑も終わり散策にはちょうど良い季節になったのだが 菖蒲の時季ではなかったので小岩菖蒲園などを割愛したこともあり距離の割には名所旧跡を訪ねることは それほど多くなかった。 それでも一之江名主屋敷や善養寺の影向の松など見ごたえのあるスポットがあり 史跡の少ないのを充分補うことが出来るルートだった。
2018年6月 前回の散策では小岩菖蒲園をパスしていたので菖蒲の季節でもあり、逆ルートで小岩菖蒲園で菖蒲を撮影した後 北野神社、善養寺、浅間神社へと向かうルートにしてみた。当日は6月にしては異常に暑く、東京でも31度を超えていた。家に帰ってテレビを見たら丁度我々が歩いていた江戸川沿のグラウンドで、野球少年が熱中症で搬送されたと言うニュースをやっていた。今回は善養寺まで歩かず篠崎でお茶をして帰路についたのだが正解であった。あのまま善養寺まで歩いていれば我々も誰か搬送されることになっていたかもしれない。尚今回の散策で撮った写真には日時を入れてある。


日時: 2012年10月16日, 2018年6月9日 改訂
交通: 地下鉄新宿線 瑞江駅、 帰り 京成線 江戸川駅
ルート: 大雲寺(役者寺)〜一之江名主屋敷〜鹿骨園芸の里〜鹿見塚神社〜浅間神社〜善養寺〜北野神社
〜小岩菖蒲園 約8キロ

瑞江駅を出て大雲寺方面に向かうと、東北の被災地で見かけたような光景が目の前に広がった。通りすがりの人に聞くと どうやら区画整理のため立ち退きした跡のようだ. 撤去した後の土台など そんなに古いようには見えなかったのだが。

写真はEさん提供

墓地の裏を回って大雲寺の正面に向かい参道より入る。
大雲寺山門

京都知恩院の末寺で江戸初期に浅草蔵前に創建された浄土宗の名刹。
関東大震災の後この地に移った。墓地には「切られ与三」を演じて当たり役になった市村羽座左衛門の代々の墓をはじめ、「四谷怪談」の尾上菊五郎、その他坂東彦三朗、松本幸四郎などの墓があり、歌舞伎役者の墓所として知られ そのため<役者寺>ともいわれている。
山門の天井には何か書いてあるが解読不能。
山門より本堂を望む。

写真はTさん提供
庫裏の前には陽を浴びたススキが群生していた。
境内にはちょっと珍しい鳩塚があった、境内を見回した限り鳩はいなかったのだが。

写真はEさん提供
芙蓉の群生している所から山門を望む。一挙に咲くのではなく 枯れているものやこれから咲くつぼみが一緒になっていた。
  同じ位置からちょっと広角にして色調をガールズフォト調にしてみた。
境内には色々な花があるが、これはムクゲではないかということになった。ムクゲは韓国の国花でもある。
庫裏の屋根にも鬼瓦

写真はTさん提供
紺碧の空と風鐸
山門に遊ぶ

大雲寺山門を出て通りを横切り一之江名主屋敷に向かう。
一之江名主屋敷

江戸時代に名主として一之江一帯を治めていた田島家の屋敷である。田島家の先祖は豊臣家の家臣として関が原の戦いに参戦した堀田図書であるといわれるが、戦に敗れ関東に落ち延び、姓を田島と改め一之江の荒地を開拓しその子孫が元禄時代の頃から一之江新田の名主となったという。名主は江戸幕府による村方三役の最上位で組頭、百姓代を束ねる。
正面が母屋で右手が土間であり上から見ると「く」の字のような形になっている江戸時代の典型的な曲屋造りの建築様式である。都内に残る最も古い民家の一つであり東京都の史跡に指定されている。

写真はSさん提供
土間には囲炉裏があり開館中は実際に火を焚いている。後方は生活実習の体験をしている子供たち。色調をレトロ調に変換。
母屋より中庭の松を望む

屋敷内には開館中は江戸川区の職員の方がいるようで色々屋敷の構造などについてお話を伺うことが出来た。
千本格子戸

用事がある時は戸を開けないで一部の格子戸を開け用を足すような作りになっており、寒いときなどは便利だ。

写真はSさん提供
いやにリアルな布袋様の置物もあった。

写真はTさん提供
火を焚いているのは燻って茅葺や柱などを丈夫にするためでもあるようだ。この建物は300年ほど前に造られたもののようだが、釘などは使っておらず 柔軟性があるため 3.11の地震の時は屋敷中が大きな音を立てて屋敷の中にいた人はあわてて中庭に飛び出したそうだが建物は無事でガラスなども使ってないし かえって安全だったそうだ。逆に中に居ると普段は分からないような小さな地震でも建物の骨組みの軋む音でそれと分かるという。

写真はSさん提供
天井に船が乗っかっている。
この辺りは昔洪水が多かったため避難するための小船を用意してあったという。

写真はEさん提供
一之江名主屋敷で江戸川区の職員の方より善養寺で菊祭りをやっているから是非行くように勧められ篠崎街道方面に向かうが 途中鹿骨(ししぼね)園芸の里に寄ってみる。ビニールハウスが多くあるが この辺りは大正のあたりから園芸栽培が盛んで入谷鬼子母神の朝顔市や浅草寺の鬼灯市にも出荷しているという。大きな花の卸をやっているような園芸店があったので店の人に話を聞くと なんとそこは大田市場から仕入れているとのこと。近頃は花もグローバリぜーションの影響で中南米や中国など外国産が多くなったのも頷ける。
長さ400メートル程の「流堀親水はなの道」を通り鹿見(ししみ)塚神社に向かう。
鹿見塚神社

意外に小さな神社であったが 説明板によれば 鹿島大神が,常陸の国から大和の奈良に向かう途中,大神の杖となっていた神鹿が急病で倒れたので,塚を築きねんごろに葬った所だと伝えられている。「鹿骨(ししぼね)」の地名の由来を伝える碑が建っていた。
本城寺

鹿骨にある日蓮宗の寺にちょっと立ち寄る。
この寺ではクロ松が有名とあるが、これであろうか?
本城寺を後にして浅間神社に向かう。途中通った篠崎公園では公園内の縁台で長閑に将棋を指している人たちがいた。
浅間神社

平安中期の創建と伝わる旧篠崎村の鎮守。 祭神は木花開耶媛尊(このはなのさくやびめのみこと)で火防、安産、子育てのご神徳があるという。
由来は平将門が関東において威をとなえたため、平貞盛が乱を鎮めるために派遣されたが、貞盛は将門が降伏するように祈願し、当社に霧島神社を祀り、金幣(きんぺい)と弓矢を献じて武運を祈ったと言われている。
下浅間神社御嶽宮横の石碑には木々の陰が鮮やかに映っていた。神社の周りは「浅間さまの森」といわれるほどの樹林に囲まれた自然の豊かなところでもある。
浅間神社拝殿

浅間神社は富士山を霊山とする富士信仰によるものであるが、本社の他に香取神社、天満宮、八幡神社など13のお社がある。 江戸川区内では最も古い神社であり、日本最大の「どろんこ祭り」といわれる幟祭でも有名である。
篠崎街道を横切り江戸川沿いの篠崎緑地を歩き善養寺方面に向かう。川向こうには千葉県市川市方面の高層マンションが見渡せる。
すずめの学校

この緑地のジョギング、サイクリングロードは道幅が広く車も間違って入ってくるのではないかと思うような広さである。
   江戸川の土手のサイクリングロードを走るサイクリスト
空はもう夏の雲である。(2018年6月9日)
   江戸川沿いのグラウンドの野球少年
この後誰かが熱中症になったのであろうか?(2018年6月9日)
   女子生徒もランニング
(2018年6月9日)
善養寺横にある江戸川病院の緑の壁

最近緑で覆った壁の建物が多くなってきたが これほどのは初めて見た。それにしても手入れが大変そうな気がするのだが。
善養寺仁王門より影向(ようごう)の松を望む

善養寺は室町時代初期の創建と伝わる真言宗の古刹。奈良県の長谷寺を総本山、東京の護国寺を大本山に仰ぎ「星住山地蔵院」と号し、俗に「小岩不動尊」ともいわれる。

写真はEさん提供
この松(クロマツ)は影向の松と言わるが 影向(ようごう)とは、神仏がこの世に現れた姿のことを言い、樹齢600年以上で繁茂面積では、日本一の松と言われている。
  影向の松
手入れが良いのか前回来た時と殆ど変わっていないようだ。(2018年6月18日)
モノクロ変換
つっかえ棒がなかったらどうなるのだろう。松の根元にある石は、盗人の足形が残るという伝説の「影向の石」である。
影向の松の向うに本堂を望む

善養寺は影向の松で有名だが この寺の裏門近くには天明3年の浅間山噴火による山津波で江戸川に流れ着いた死者達を供養する浅間山噴火横死者供養碑が建っていることでも知られている。
小高い鐘楼から見ると 確かに一本の松の木でこれだけ広く茂っているのは今まで見たことがない。
鐘つき堂より影向の松と小岩不動尊を望む

この鐘楼は横綱山といわれる小高い所にあるが、かっての横綱栃錦は小岩の生まれで それにちなんで付けられた名前という、傍には栃錦の碑もある。
境内にある四国八十八ヶ所を模したお遍路巡拝道

一応回ってみた。
菊祭りは始まっていたが、まだ満開には程遠く11月初旬が良いとのこと。菊祭りの実行委員の人たちはスカイツリーに見立てた菊など 見頃に備えて準備に余念がなかった。
   善養寺の今にも倒れそうな松
この松もよく倒れないでここまで持っているものだ。(2018年6月9日)
江戸川沿いの小岩緑地土手に映える大樹の影とウォーキングする人

小岩菖蒲園は時季でないので割愛することにしたため今回の散策もほぼ終えたことになる。小岩緑地の土手下を歩き京成江戸川駅を目指し食事をする所を探すことにする。
  江戸川沿いの土手をランニングする人。(2018年6月9日)
   小岩市川関所と渡し場
小岩菖蒲園横のこの辺りに小岩市川関所と渡しがあったそうだ。江戸川には江戸を守るため橋が架けられず、房総からは渡しでしか江戸に入れなかった。(2018年6月9日)
  渡し場にあった常灯明台
近くの宝林寺には渡し場にあった常灯明台が移設されていた。(2018年6月9日)
   北野神社
菅原道真を祀る旧小岩村の鎮守。
6月25日には「茅の輪くぐり」が催される。(2018年6月9日)
   小岩菖蒲園
今年は開花が早いと言うことだったが、まだ見頃で大勢の見物客が訪れていた。(2018年6月9日)
   小岩菖蒲園
(2018年6月9日)
   小岩菖蒲園
(2018年6月9日)
   小岩菖蒲園
(2018年6月9日)
   小岩菖蒲園
(2018年6月9日)
   小岩菖蒲園
(2018年6月9日)
夕日に映える京成線 ちょっと鉄道写真風に

食事をし終えたら時間がもう遅くなっていたので珍しくお茶をしないで江戸川駅より帰路に着くことにする。
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