古川親水公園(Furukawashinsui park)

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今回は江戸川区の古川親水公園を中心とする散策であった。 古川はその昔船堀川と呼ばれ 行徳の塩等を運ぶ重要な水路であったが、のち新たな水路(新川)が作られ その地位を明け渡し従来の船堀川は古川と呼ばれるようになった。その後 生活排水などで汚れていたのだが 地域の人々が古川の清流を取り戻そうと景観地区として川の沿線の建築ルールなどを決め 親水公園として甦ったものである。まだ梅雨明けではなかったが 暑くなるだろうと予想して水辺で緑の多い所を選んだのだが これが正解だった。 うだるような暑さで梅雨明けと思わせるような夏の空であったが 親水公園の散歩道は意外と快適であった。


日時: 2012年7月10日
交通: 地下鉄新宿線 船堀駅、 帰り 地下鉄新宿線 瑞江駅
ルート: 日枝神社〜光明寺〜法竜寺〜古川親水公園〜妙光寺〜妙勝寺〜熊野神社〜今井の渡し〜香取神社〜浄興寺〜
明福寺 約5.5キロ

船堀駅を降りると高い塔が目に入った。エレベーターの実験塔ではないかという意見があったが、それにしても何でこんな駅前にあるのだろう。
日枝神社
船堀新田開発の際に山王権現を守護神として祀ったのが始まりという。切妻屋根の破風が珍しい。

写真はSさん提供
日枝神社の天水鉢に映る狛犬と鳥居
 赤坂の山王さまに対して船堀の山王さまとして広く信仰されたという。境内には富士塚があり狛犬の台座も溶岩石で作られている。
光明寺
真言宗豊山派の寺で別名「横道の不動様」とも呼ばれ眼病に御利益があるという。先の日枝神社の別当寺である。
光明寺の横には浄土宗の古刹法竜寺があるが、境内に入ることが出来なかったので蛙の置物がある家の前のミラーに法竜寺の門前を映してみた。山門前には食用ガエル供養碑があるが 昔この辺りの池で食用ガエルが多く繁殖したが乱獲された。碑はそのカエルを供養するために建てられたと言う。またこの辺りは江戸時代金魚の養殖が盛んだったそうだが 途中それらしき面影を発見することは出来なかった。
緑濃い古川親水公園に入る。もとは船堀川と呼ばれていたが新川が出来てからは古川と呼ばれ いつしかどぶ川になってしまったが昭和49年緑と川が流れる古川親水公園として甦った。
妙光寺(赤門)
室町末期の日蓮宗の古刹。門が赤いので赤門と言われる。開山は日能上人で 漁師が葛西の沖で網にかけた木造「海中出現七面大明神」を祀る七面殿がある。
この寺には見事に育てられた木が多くある。七面殿の前のこの松は一つの枝を継ぎ木しないで横に伸ばしたものらしい。

写真はEさん提供
この松もその傾斜といい見事に刈り込まれた枝が参道を指し示しているようにも見える。
この二股の木も面白い。 以前歩いた新宿の法善寺にも似たような木があった。
変わった鬼瓦
この寺は装飾も凝っている。

写真はTさん提供
墓所に浮かび上がる花一輪

写真はTさん提供
古川親水公園に戻りまた水辺沿いに進む。
まだ紫陽花が咲いていた、日陰なので咲くのが遅れたのだろうか。
途中あった小さな滝。
環七に架かるギラギラと焼け付くような陽の光を浴びる歩道橋
古川親水公園は途中環状七号線で遮られるが、歩道橋を渡りしばらく行くとまた親水公園が続く。
この細いビルの左側をしばらく行くと右手にまた古川親水公園が見えてくる。
二之江神社のケヤキの神木
親水公園をはさんでちょうど妙勝寺(黒門)の向かいにある二之江神社(かっては香取神社と称された)のケヤキの神木。樹齢500年を超える区内屈指の巨木と言う。
妙勝寺(黒門)
妙光寺の赤門に対して黒門と言われる。 鎌倉時代創建の日蓮宗の古刹。葛西沖で難破した船に乗っていた少年を助けたところ、少年は平家の末裔で後に日尚上人となり、船堀川べりに小堂を建てたのが始まりという。
妙勝寺の手水場の二つ竜。

写真はEさん提供
珍しい鳥の懸魚
これも珍しい動きのある鬼瓦

写真はTさん提供
妙勝寺本堂横の赤い花一鉢

写真はTさん提供
親水公園に戻ると川の底の苔むした黄金色の石が青空に映えていた。
古川に映える緑と青空
親水公園もこの辺りまで この先は旧江戸川にぶつかる。
旧江戸川と新中川が合流する付近にある熊野神社
現在は小さくて見過ごしてしまいそうだが江戸時代には葛西の「おくまん様」と呼ばれ江戸川を渡る船人の信仰を集めたという。またこの辺りの江戸川の水はきれいで「おくまんだし」と言われ将軍家の茶の湯に使われていたり、野田の醤油の製造にも使われていたと言う。
旧江戸川に出ると突然現代にタイムスリップ、旧江戸川の向こうには化学工場のような設備が見えた。
今井橋の向こうの清掃工場の煙突の先には梅雨明けかと思われるような夏の雲が見えた。
旧江戸川に係留する船宿の船と千葉県側に見える防波堤のようにそびえ立つ高層住宅と工場群。
瑞穂大橋より夏の空を望む、天気予報では明日からまた雨とあるが本当だろうか?
化学工場と旧江戸川沿いを走る自転車の少女

写真はSさん提供
今井の渡し跡付近で係留されている屋形船とレジャーボート
今井の渡しは塩の産地であった行徳と江戸を結ぶ行徳道の重要な渡し場であった。江戸名所図会によればすでに戦国時代(永正6年)柴屋軒(さいおくけん)宗長が紀行「東土産」に浄興寺に立ち寄った時「今井の津頭(わたしば)」で下りたと記しているとある。
香取神社
今井の渡し跡のちょうど道路を挟んで真向かいにある室町末期創建の旧上今井村の鎮守。旧江戸川を挟んで千葉県側にも香取神社がある。
社殿裏にはここにも富士塚がある。江戸散策をしていると いたる所に富士塚があるが 江戸時代にはそれほど富士講が盛んであったと言うことが分かる。
八雲神社
篠崎街道沿いにあり例大祭には参詣者には「笹団子」という小笹に団子をつけた神符が授けられ、笹団子を煎じて飲むと万病に効くといわれる 現在もこの風習が残っているそうだ。
この神社の横道を入ってしばらく行くと鎌倉期創建の浄土宗の古刹浄興寺がある。今はないがこの寺にあった「琴弾松」のことは江戸名所図会にも載っており、北条氏康が寺に宿られし時に詠じた和歌の題に基づいている。
明福寺の袈裟掛けの松と鏡ヶ池
この袈裟掛けの松は親鸞上人のもので、日蓮上人の袈裟掛けの松も色々な所にあり我らが大田区洗足池の妙福寺にもあるが、親鸞上人の袈裟掛けの松は前回行った西光寺にもあったような。
この寺にはカトリック系の幼稚園が併設されており寺本堂内からパイプオルガンの音色が聞こえてきたのにはびっくりした。
鏡ヶ池の淵の紫陽花
この池は親鸞上人がみづからの肖像を造る時この池に面影を映して造ったということから鏡ヶ池と呼ばれるようになったと言う。
この池には子供が落ちたことがあるのか「あぶないです、おちてもしりません」との注意書きがあるが、現代的というか子供のころから自己責任を植えつけようとしているのには驚くやら感心するやら。
庚申塔と火の見櫓
実際に使われている物のように見えたのだが、火災だけでなく江戸川の氾濫などを注意するためにも使われているのだろうか。
豊田神社
この神社にも富士塚とケヤキの大樹があるようだ。近くの蕎麦屋で遅い昼食を取り、瑞江駅付近でお茶。
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