堀切菖蒲園 Horikiri Syoubuen

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今回は堀切菖蒲園の花菖蒲を撮ろうということでルートを選定した。その結果 当然花菖蒲の写真が多くなり、それ以外では途中寄った極楽寺のネコの写真ぐらいで あまり他の写真が撮れなかった。 それでも これで何とか葛飾の江戸散策は大体制覇出来たと思うので良しとしたい。 花菖蒲は別途東京フォト歳時記の「花の地図めぐり」に明治神宮の菖蒲園のものと一緒に掲載しているのでそちらもご覧下さい。


日時: 2012年6月13日
交通: 京成本線 堀切菖蒲園駅、 帰り 常磐線 亀有駅
ルート: 妙源寺〜堀切の郷倉〜極楽寺〜堀切菖蒲園〜堀切水辺公園〜西光寺〜曳舟川親水公園〜亀有 約5.5キロ


妙源寺
堀切菖蒲園駅を出て妙源寺に寄る。この寺は鎌倉時代創建の日蓮宗の古刹で関東大震災後この地に移ってきたという。江戸の学者など著名人の墓が多いという。
写真はEさん提供
妙源寺の装飾彫り物の獅子
石造題目塔
歌舞伎役者森田勘弥が安政の大地震の死者供養に立てたものといわれている。この他歌舞伎の河原崎座の創設者河原崎権之助一門の墓や漢学者の東条一堂などの墓がある。最近 墓マイラーといって歴史上の人物や著名人の墓を巡るのが流行っているようだが、自分は墓は苦手だ。
妙源寺墓所の墓守
堀切の郷倉
江戸時代堀切村は幕府の天領で農民から取り立てられた年貢米を管理する倉(御蔵ともいわれる)である。天明の飢饉以降は飢饉や洪水などの災害に対する備蓄のために建てられたと考えられている。
写真はEさん提供
極楽寺のいぼとり地蔵
堀切菖蒲園の近くの極楽寺に寄る。寺の方に聞いた話では むかし美男の若者がいて娘たちの注目の的だったのだが、ある時顔中にいぼが出来て娘たちも寄り付かなくなったという。ところが夢で極楽寺にお参りし地蔵に塩をかけ その塩を顔に塗るといぼが取れるというようなお告げがあり、その通りしたら めでたくいぼが取れ また元のようなモテ男になったと言うようなお話だった。多くの人が塩をかけるので塩で地蔵がが溶けているのだが、我々が子供のころは いぼのことを良く聞いたことがあるが、今もいぼで困っている人が多いのだろうか。
江戸散策では色々な所で塩地蔵にめぐり会ったが どこの地蔵も塩で溶けているようだ、塩の力恐るべし。
いぼとり地蔵の隣にあった地蔵尊
極楽寺は室町時代創建の真言宗の古刹。境内には珍しい「女人講中」によって造立された女人橋の石材が残されている(出産で亡くなった妊婦の供養のために女人集団によって造立されたものという)。
この寺には飼い猫や野良猫が多くいて しばらく写真を撮らせていただいた。
写真はEさん提供
これは飼い猫たち。
この飼い猫の虎みたいなネコはなかなか精悍な顔をしている。 最近生まれた野良猫の子供達をを睨んでいるようだ。
近くに住みついている野良猫の子供。黒は臆病でなかなか近づいてこないが右のは人懐っこい、睨んでいる飼い猫の虎の子供のようにも見えるのは気のせいか。この他にあと一匹いるが眼病で痛々しかったので撮っていない。
足元によってきた、野生にしては人懐っこい。
野良猫の子供を威嚇する虎、チータが獲物を狙う時とそっくりだ。
堀切菖蒲園
2,3日前明治神宮の菖蒲園に行ったがまだ早すぎて見頃ではなかったが、ここはちょうど満開、見物客も大勢。
堀切菖蒲園は種類も多く(200種類以上あると言う)、手入れも良く立派な花が多かった。広重も「堀切の花菖蒲」という題で描いているが、西洋のアールヌーボーにも影響を与えたといわれる。
紫陽花を見つけたので菖蒲をバックに。
平日でもかなりの見物客がいた。江戸中期に百姓伊左衛門が花菖蒲の栽培を始めたのがきっかけで この地に菖蒲園が出来たと言う。アイリスとして西洋にも紹介され明治時代には輸出もしていたそうだ。
変わった花弁の花菖蒲。
写真はEさん提供
この菖蒲が一番気に入って何枚もシャッターを切った。
ちょうど背景にモンシロチョウが飛んでいたので後ろボケで花菖蒲の花弁に見立ててみた。
堀切菖蒲園から荒川方面に行くと堀切水辺公園があり 公園の一角に花菖蒲が植えられていたので、菖蒲を前ボケでスカイツリーを写す(スカイツリーを後ろボケにしたカットは「花の地図」に掲載している)。
スカイツリーを後ろボケで。
スカイツリーの様な花菖蒲のつぼみをスカイツリーに重ねて。
写真はEさん提供
堀切水辺公園全景と荒川。
堀切水辺公園よりスカイツリーを望む
この辺りからはスカイツリーの前に高層建築物がないのでスカイツリーのほぼ全容を見ることが出来る。
写真はTさん提供
スカイツリーを眺める人たち(?) 変な建物だがこれは水門のようだ。
写真はTさん提供
スカイツリの上に後光。
後光のようなものは橋に登らせないようにするための障害物らしい。
堀切水辺公園へ犬の散歩
この橋の名称はモダンな橋のフォルムとは裏腹に「堀切避難橋」と言う。葛飾側が標高が低いため洪水などの時この橋を渡って高台(中堤防)に避難するためのものらしいが、普段は荒川沿いにある公園や運動場に行くために使われているようだ。
西光寺
曳舟川親水公園に行く途中「一六の松」で知られる真言宗の寺院西光寺に立ち寄る。「一六の松」とは本堂改築のため足りない資金をこの松を担保に借りたが、その返済日が毎月一と六の日だったのでこの名前が付いたと言う(親鸞聖人の袈裟懸けの松とも言われているらしい、洗足池には日蓮上人の袈裟かけの松がある)。今は3代目の松があるらしいが発見できなかった。
お寺なのに しめ縄がある、神仏混合?
この彫り物は最近ボストン美術展で観た曽我漂白の龍に似ていると思う。
曳舟川親水公園
お花茶屋で昼食をした後、曳舟川親水公園に向かう。もと曳舟川の跡でお花茶屋辺りから亀有まで続いている。川はほとんど姿を留めず 一部水田が作られていた。
歌川広重が「四ツ木通用水引ふね」という題でザッコバと呼ばれる曳船風景(人が岸辺で船を引いて運航する)を描いているが、いくらなんでも当時はもっと川幅はあっただろう。
ザッコバの復元?
曳舟川はもとは上水でのち用水路として使われたが川幅が狭かったため曳船が盛んに行われたという。

朝早く出てきたため時間があったので 亀有ではお土産を買うだけにして、地元の洗足池に戻り反省会で使っている「の今村」でお茶(ビール?)をすることにする。
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