ShibamataTaisyakuten

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江戸散歩もいよいよ東京下町を歩きつくした感があるが、今回のルートは千葉県松戸市よりスタートし旧鎌倉街道を通り 江戸川を渡り 葛飾区の柴又帝釈天へと続く道のりであった。 千葉県側ではのどかな田園風景を見ながら散策をし、初めて矢切の渡しにも乗ることも出来た。いつもとは趣きを異にした旅行気分の江戸散歩でした。


日時: 2012年5月8日
交通: 北総開発鉄道 矢切駅、 帰り 京成線 京成高砂駅
ルート: 矢喰村庚申塔〜矢切神社〜「野菊の墓」文学碑〜江戸川〜矢切の渡し〜柴又帝釈天〜柴又八幡神社〜良観寺
〜源照寺〜青竜神社〜天祖神社 約5.5キロ

矢切駅を出ると駅前広場に食事処などが併設された銭湯があった。仕事帰りに風呂上りで一杯もおつなものだ。
この駅前広場のあたりは「雁の寺」「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」などで有名な小説家の水上勉が昔住んでいたようである。

写真はTさん提供
矢喰村庚申塔にあった安全地蔵尊(蛙は無事帰るに掛けている)。この辺りは昔 北条氏と里見氏のいわゆる国府台合戦の主戦場で戦没者は1万余を数えたと言う。そのため弓矢を呪うあまり「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名前が言い伝えられ江戸時代になり二度と戦乱がないようにと庚申塚が建てられたと言う。尚長引く戦いで射る矢が尽きたため「矢切れ」からきた名称とも言われている。
矢喰い庚申塔の向かいにある矢切神社
屋根には色彩豊かな龍の彫刻が施されている。矢切神社は昔 江戸川の洪水の被害から逃れようと村民が高台に移住し、鎮守として京都東山より稲荷を勧請して祀ったものと言う。
軒下にも龍の彫刻。細川たかしの「矢切の渡し」が大ヒットした頃は 観光客も大勢訪れ矢切の渡しから矢切神社までの間を結ぶ「矢切ふるさと馬車」が運行されていたと言う。
旧鎌倉街道を歩き伊藤左千夫の「野菊の墓」の碑がある西蓮寺に行く。
境内にあった丸く綺麗に手入れされたツツジ。

鮮やかなツツジと熊ん蜂。この辺りは「野菊の墓」の舞台となった所であり 主人公の政夫が民子が来るのを待ったという大きな銀杏の木が 以前はこの寺の入り口にあったと言うが現在は枯れてないそうだ。
西蓮寺から遊歩橋を渡った所にある野菊苑から はるか江戸川にある矢切の渡し方面を望む。
ここから矢切の渡しに行く道は「野菊の小道」といわれ途中「野菊の墓」のレリーフがいくつか立っている。なお野菊とは野に咲く菊の総称であり野菊と言う花はないそうだ。
西蓮寺の入り口の横の石壁にへばりついていたタンポポの綿毛。
西蓮寺から田畑のある低地に下り矢切の渡しに向かう。江戸川の向こうに東京スカイツリーが見えた。

写真はEさん提供
周りはキャベツ畑などの田園風景が広がる。この菜の花のような黄色い一面は実はキャベツの収穫が遅れて花が咲いてしまったものらしい。 ちょうどこの畑の近くで農作業をしていた若い方に聞いたら お父さんが病気で倒れて入院したためそのままになっていたらしい。 息子さんは仕事を辞め実家に戻って農家を引き継いでいるようだ。 「親父は俺が畑仕事を引き継いでいるのを知っているのかな」と言う言葉が印象的だった。
かくてキャベツ畑の花は熊ん蜂の絶好の場所となり何十匹も蜜を吸いに飛んでいた。いずれブルトーザーで踏み固め収穫を過ぎたキャベツはそのまま土の肥料となるそうだ。
野菊の小道の途中にあった矢切の渡しのレリーフ。

写真はEさん提供
用水路に架かる矢切橋と矢切の渡しのレリーフ。
下を覗くと矢切橋の下に住みついている猫と目が合った。
一面のキャベツ畑と水田。小さな種や苗からこんなに収穫出来るのだから大地の恵みは偉大である。
道端に咲いていた青紫の野生の花。初めて見たような気がするのだが Tさんの家の庭にも咲いているとのこと。
道端にポピーが一輪。
  もうすぐ矢切の渡し場。江戸時代 江戸川には橋を掛けることが認められず かっては約40程の農民渡船があったそうだが現在残っているのは矢切の渡しのみである。

写真はTさん提供 
反対の葛飾側から渡しに乗ってくる人達、片道100円は安くて嬉しい。

写真はTさん提供
江戸川に映えるビルの影と矢切の渡し。
この若い船頭さんは先日 NHKBSプレミアムで放送している「世界街歩き」の日本編に登場していた。たまたま放送収録時は曇りで東京スカイツリーが見えなかったのだが 見えない日は珍しいというようなことを言っていた(渡しは雨だと観光客もいなく運行しないからかな?)。 片道7,8分程の行程だが 川を上るときなどモーターを使うこともある。 

写真はEさん提供
  柴又帝釈天 二天門
矢切の渡しを渡り葛飾側に着き柴又帝釈天に向かう。この二天門は日光東照宮の陽明門を模したと言われる。
帝釈天境内ではちょうど宮城県の岩出山中学校の生徒さん達が修学旅行で東京に来ており 郷土の特産などのPRや雀踊りを披露していた。
柴又帝釈天境内にて
京成柴又駅前にある寅さん碑を見て柴又八幡神社に寄る。平安初期の創建と伝わる柴又の鎮守。社殿下から古墳時代後期の遺跡が発見され人骨は島俣塚として神社内に改葬されている。
柴又八幡神社の主。
柴又八幡神社から京成金町線沿いにある良観寺に立ち寄る。ここには立った布袋尊(通常は胡坐をかいていると思うが)があり 柴又七福神のコースにも入っている。
良観寺境内にある水子・子育て地蔵尊群。顔がみな同じように見えるのだが。

写真はTさん提供
良観寺からしばらく歩き 源照寺にある文政年間に活躍した筝曲山田流の始祖山田検校の墓を訪ねた後、崇福寺に寄る。曹洞宗の寺で墓所には画家長谷川等伯の墓碑等がある。
崇福寺から京成高砂駅に向かう途中青竜神社のある「けなし池」に寄る。「柵の中に入るべからず」とあるが 柵の中で のんびりと釣り糸をたれている人達がいた。
けなし池と京成線
けなし池の名称は毛(下の毛らしい)が生えてこないことを苦にした女性が入水自殺したことが怪無し(毛なし)池の名の由来として伝わっているらしい。
  京成高砂駅の近くにひっそりたたずむ天祖神社に寄る。鎌倉時代この地を支配した葛西清重がこの地の総鎮守として創建したものと言う。社前を横切る道は旧鎌倉街道(江戸時代の柴又道)である。
本殿の窓から中の御神鏡に映っている人物を撮ったら心霊写真のようになってしまったが、実は写っている民家は本殿の窓ガラスに映っていたものである。
神主の方と神社の由来など立ち話をし今日の散策は終わり。
今回は遠方でもあり 随分のんびりして遅くなってしまったので お茶をしないで帰路に着くことにした。
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