墨田七福神巡り

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この春は所属するカメラクラブで行った撮影会などで浅草によく出掛けることがあったが、ちょうど墨田七福神を巡ったような写真がそろったので「墨田七福神巡り」として特別掲載することにした。隅田川七福神は江戸で二番目に古い七福神巡りで(一番目は谷中七福神)蜀山人らによって始まったという。 この冬は寒かったせいで桜の開花が遅れて 満開の桜と七福神巡りと言うように上手くはいかなかったが、桜はこの後江戸散歩で行った水元公園でも撮ることができたのでいずれ掲載したい。 
2016年5月10日 東京江戸散歩写好倶楽部のメンバーと墨田七福神巡りをしてみた。各自一度は行った所ばかりだが、始めから通して歩いたことがなかったので選んでみた。何点か写真を追加もしくは交換したが、変更した分は日付を入れてある。 


日時: 2012年3月25, 4月6日、2016年5月10日
交通: 東武伊勢崎線 堀切駅、 帰り 都営浅草線 浅草駅 
ルート: 多聞寺〜梅若塚と木母寺〜隅田川神社〜橋場不動尊〜白鬚神社〜向島百花園〜子育て地蔵〜鳩の街〜長命寺
〜弘福寺〜三囲神社〜牛島神社〜浅草寺 約6キロ

堀切の駅を降りて歩道橋に上がると、荒川とその先に首都高6号線と中央環状線が上下に掛かって車がひっきりなしに行き交っていた。下の歩道橋には小学生の課外授業か緑色の帽子の子供達が先生の話を聞いている。
2016.05.10
  堀切駅からこの多聞寺まで来るには少々てこずった。駅の前にある線路をまたぐ横断歩行橋の途中にある通路を降りて線路沿いの道に入るのが正解。
多聞寺は墨田七福神の毘沙門天が祭られている真言宗の古刹。別名「狸寺」とも言われ境内には寺に住みついた古だぬきを毘沙門天が退治したという狸塚がある。
この山門は切妻造りの四脚門(以前訪れた目黒の海福寺にもあった)で江戸中期に建てられた墨田区最古の建造物という。
六地蔵坐像。墨田村の地蔵講中で造立されたものという。手前の地蔵の顔は修復され新しい物になっているが1713年から1716年にかけて造立されたかなり古いものである。

2016.05.10
境内山門に向かって左手前にに見えるのが狸塚であろうか。
  巨大タヌキ
俗に狸寺とも言われ、色々なタヌキが配置されている。

2016.05.10
2匹目の狸発見。
  ファミリー

2016.05.10
   この裏に隅田川があるが、隅田川沿いに都営アパート群が立ち並んでいる。この後あったオジサンに聞いたのだが、美濃部都知事の時代に建てられたもので防潮堤と言うよりは防火壁の役割を担っているというが、建設に関しては賛否両論があったようである。
2016.05.10
  榎本武揚像とハト

地図で榎本武揚像の場所を探していたら、通りかかかったバイクのオジサンが教えてくれた。その後もバイクで我々の後を木母寺辺りまで追って来て色々教えてくれる。最後に白髭橋の近くで安く食べれるレストランをやっているから寄りなよと言う。我々の持っていた地図にカタヤマと書いて去っていった。客寄せにしては随分手間をかけたものである。

2016.05.10
  鐘ヶ淵陸橋を渡って梅若橋手前から東白鬚公園に入ると都営白鬚東アパートの前に一本満開の桜の木があった。
   墨田公園の七番纏いとスカイツリー

2016.05.10
木母寺の身代わり地蔵尊。
東白鬚公園中ほどに木母寺がある。この寺は梅若伝説として知られる梅若塚があることで有名である。 木母寺はかっては梅若寺と称していたが梅若の「梅」の字を木と母に分け木母寺と命名したという。
境内にあったシダレザクラと「天下の糸平」と書いた(伊藤博文が書いたとある)大きな石版。 糸平とは明治時代の実業家田中平八の通称らしい。
梅若塚はガラス張りの建物の中に安置されている。 梅若伝説とは京の白河の吉田少将惟房の子梅若丸が7歳の時に信夫籐太なる人買いにかどわかされ はるばるこの武蔵国まで来て隅田川原で病死すると言う悲話である。ときに梅若丸12歳、時世の歌が有名な「たずね来て問はば応えよ都鳥 すみだ川原の露と消えぬと」である。その後京から わが子を追ってきた母花子(妙亀尼)がわが子の死を知り狂女となり浅茅ヶ原の鏡ヶ池に身を投げたという話は前回の江戸散歩「玉ノ井から待乳山聖典・浅草寺へ」でも触れた。
隅田川神社。 頼朝が戦勝を祈願して祀ったという隅田川の総鎮守。上を首都高速向島線が走っている。この辺りはその昔 水神の森と言われた森が広がっていて ここから海につながる入り江「江の口」が始まており「江戸」の語源となったとも言う。
スカイツリーと鯉のぼり

墨田神社より白鬚橋方面に向かうとスカイツリーのほぼ全容が見えた。
鯉のぼりの作業をしていたオジサンと話すと、いらなくなった鯉のぼりを全国各地からもらい、ほとんど一人で取り付けているようだ。現在は「すみだカット倶楽部」と言うボランティア仲間と町おこしの一環としてやっているようだが、墨田区もサポートするようになっているらしい。自治会や町会でやるより こうしたプロジェクト形式でやる方が効率的なのだろう。

2016.05.10
  レストラン「カタヤマ」の待合室

バイクのオジサンが教えてくれたレストランで昼食を取る。以前何度か店の前を通りレストランがあるのは知っていたが店に入るのは初めてだ。店に入りバイクのオジサンに勧められて来たよと店の人に言うと、会長ですねと言う。どうやらこのレストランのオーナーのようだ。確かに安くて美味しいステーキが食べられる。昼時のせいもあるが引っ切り無しに客が出入する。店を出ると横に待合室(家)があり、待っている人達がいた。広い壁中に有名人の色紙が貼ってあり、相当有名なレストランのようだ。

2016.05.10
  白鬚橋を渡り台東区側に行くと橋場不動尊がある。こちらは浅草七福神の布袋尊が祀られている。震災や戦災を免れたので「火伏せの橋場不動尊」として信仰の的になっているそうだ。 
墨田区側に戻り寿老人が祀られている白鬚神社を訪れる。白鬚神社は近江の白鬚神社を勧請したという古社。江戸時代この辺りの文人が墨田七福神を始めようとしたが寿老人がどうしても見つからないので この神社の白鬚大明神はきっと白鬚をはやしたご老体であろうから寿老人としてたたえるのにふさわしいと言うことになり墨田七福神に加えられたと言う。 また昔この辺りは寺島村と言われナスの産地で有名であった。
  向島百花園に行く途中にあった路地尊。
現在は消防団員募集のポスターの可愛い女の子が代役? 路地尊の下には消火器が入っているようだ。
向島百花園より望むスカイツリー。
福禄寿が祀られていると言うので探すが園内に寺などはなく福禄寿の祠があるのみ。池にスカイツリーが映れば良いのだが浄水用の水が吹き出て水面が波立って映りそうもない。
  向島百花園のバラ

2016.05.10
  向島百花園

2016.05.10
園内には桜の木は意外に少なく 変わった植物があったので一枚。
百花園に居た恥ずかしがり屋の猫。
吉行淳之助の「原色の街」で知られるが、もとは色街であった。 「鳩の街」の看板の下に since 1948 とある、自分の生まれた年だ。
戦災から免れたため 昭和初期の懐かしい佇まいが現在も残っている。
旧墨田提沿いの子育て地蔵尊。
言い伝えでは 昔この地にいた植木屋平作に雇われた夫婦が殺害される事件が起こったが この地蔵が村の子供の口を借りて犯人の名を告げ事件が解決したため平作はこの地蔵を安置して供養したと言う。
墨提通に出て長命寺方面に向かう。
長命寺境内より隅田川沿いの桜を望む。 
長蛇の列は長命寺の桜餅を求めて並んでいる人達。 あまりの長蛇の列に怯んで 近くでやはり有名な言問い団子を買うことにする(そこも混んでいたが)。
西の道明寺の桜餅に対して東の長命寺の桜餅、自分は道明寺の桜餅の方が好きだが。
長命寺の名の由来はもと常泉寺と称していたが 三代将軍家光が鷹狩りの途中で腹痛をおこし 寺の井戸水で薬を服したところ直ぐに治ったので家光がこの寺の井戸水を「長命水」と命名したことが由来と言う。
長命寺(弁財天)にはいろいろな碑があるが これは芭蕉の雪見の句碑。
弘福寺の山門の屋根とスカイツリー。
黄檗宗の寺で中国風の造りである。

2016.05.10
  弘福寺は布袋尊が祀られており、境内には「咳の爺婆」像があり咳止めにご利益があると言う。 また明治時代には趣味人淡島寒月が弘福寺地内に隠居所を構えていたという。

2016.05.10
  弘福寺の番ネコ

2016.05.10
三囲神社(恵比寿・大黒天)。
近江三井寺の僧源慶が壊れた祠を再建した際、土中より白狐にまたがる老翁の像を得、白狐が現れて神像を三回めぐって姿を消したことから三囲神社(古くは三囲稲荷)と改称したという。
三囲神社社殿。 境内には其角の「ゆふたちや」の句碑(雨乞の碑)がある。また三越と縁があり かって三越池袋店にあったライオン像が奉納されている。
牛島神社方面に向かうとまたスカイツリーのほぼ全容が見える所があった。
牛島神社とスカイツリー。
かっては牛御前社と言われ 石造り撫牛がある(湯島神社などにもあるが)。 自分の体の悪いところを撫で牛の同じところを撫でると 病が治るという信仰があり撫牛と呼ばれている。
隅田川川沿いに出ると桜は八分咲きではあるが 平日とはいえ大勢の花見客が繰り出していた。八代将軍吉宗は飛鳥山や御殿山などに桜を植えたが隅田川の桜も吉宗の時代からと言われている。墨東と呼ばれた向島は墨提に沿って桜並木が続く江戸時代よりの景勝地である。
  墨田区役所前に立つ鳩がとまっている勝海舟像(鳩は本物)とスカイツリー。
先日洗足池傍にある大森六中(六中は海舟の別邸跡に建てられた)で勝海舟の夜叉孫の方の講演を聞き この像がここにあることを知ったが 海舟が指差しているのは咸臨丸で渡った遥か太平洋の彼方だと言う。
台東区側の隅田公園より桜越しにスカイツリーを望む。
夕暮れる頃ようやく雷門にたどり着き都営浅草線に向かう途中 街灯が点灯し日が暮れる前のほんのひと時 スカイツリーが夕日を浴びて煌々と光り輝いた。周りにいた人達も皆歓声を上げて光り輝くスカイツリーに見入っていた。
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