From Geihinkan, Jingugaien to Omotesando

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 今回は紅葉を楽しめる散策コースということで神宮外苑の銀杏並木を通るコースを選んだが、見ごろには一週間ほど遅かったようである。 あいにく午後からは雨の天気予報だったが それでも平日だというのに結構人が出ていて観光バスなども来ており東京の秋の名所の一つとして不動の地位を確立しているようである。コースは江戸時代の痕跡を残すものは少なく、どちらかと言うと明治の面影を残す散策路であった。午後から雨の予報だったが聖徳記念絵画館を省略して雨の降る前に何とか表参道までたどり着くことができた。

日時: 2011年12月6日
交通: 南北線 四谷駅、 帰り 銀座線 表参道駅 
ルート: 迎賓館〜権田原坂〜外苑銀杏並木〜鳩森八幡神社〜榎稲荷〜竜厳寺〜熊野神社〜善光寺〜表参道 約6キロ

南北線四谷駅を左手に出るとすぐ迎賓館赤坂離宮の堂々たる佇まいが視界に入って来る。 車で近くを通ったことはあるが、迎賓館が四ッ谷駅からこんな近いところにあるということを初めて知った。
迎賓館の正面に向かう道路脇には洋風の街路樹が植樹されている。このあたりは都内ではあまり見かけない木が多いように思う。紅葉した蔦が絡まる大樹に敬意を表して一枚。
迎賓館前広場から迎賓館方面を望む。 正面に向かう道路の両脇は広場になっておりモニュメントなどがある。
逆光気味に枝を黒くつぶして枝ぶりを強調してみた。
同じく面白い枝ぶりだったので広場のアーチを額にして一枚。
日本のタクシーがなければヨーロッパのどこかの宮殿のようだ。実際迎賓館は明治42年に10年がかりで完成した国賓などを接待するための公館であり、外観はイギリスのバッキンガム宮殿、内部はフランスのベルサイユ宮殿を模して作られたと言う。
迎賓館全景。この場所はもと紀州徳川家上屋敷跡である。迎賓館の裏は赤坂御所になっており皇太子一家がお住まいになっている。
迎賓館と赤坂御所に沿うようにして神宮外苑に向かう坂は権田原坂と言われるが、その由来は江戸時代旗本権田原隼人の屋敷があった事による。
権田原坂は別名安鎮坂とも言われ(安鎮大権現の小社があったことによる)、ユリノキの紅葉でも有名である。この通りには赤坂御所の入り口もあり この日は皇太子が外出されるところなのか 皇室警備の警官がいたるところに配備されていた。
権田原坂沿いにあった赤くさびた鉄の塀に紅葉。
権田原交差点を過ぎ外苑銀杏並木方面に向かうと、明治天皇がよく観兵式を行ったと言う御観兵榎の碑があるが、その近くに一箇所だけ鮮やかに紅葉しているところがあったので一枚。
外苑銀杏並木。さすがに平日で盛りが過ぎているので人は少なめであった。最盛期には地面にも黄色の落ち葉の絨毯が敷きしめられ一面黄金色の世界になる。
この場所は 娘が1歳の時から24歳になるまで この時期になると欠かさず家族写真を撮っていた所で思い出深い。 娘に いい大人になって大勢人がいる所で三脚立てて家族写真を撮るのは嫌だと言われて2年前から止めたのだが少々悔いが残る。
若いギャルも黄葉を楽しんでます。写真はEさん提供。
今日は相当数の絵画グループが色々な所で写生している姿が見られた。
真っ赤なコートの御婦人と黄色の銀杏に熟年カップルの取り合わせ。いろいろな人が黄葉した銀杏並木を楽しんでいるようです。
正面に聖徳記念絵画館を望む。立ち止まり禁止のスピーカーがうるさい横断歩道から良く撮れたものだ。写真はEさん提供。
黄色い銀杏もキィテーちゃんのカラフル観光バスには押され気味です。このバスは天井がオープンなので銀杏の黄葉を楽しむことが出来るようです。
外苑を後にして観音橋(旧渋谷川に架かっていた橋の名前)交差点を渡り鳩森八幡神社に向かう。この神社は早稲田の面影橋から南下してきた鎌倉街道沿いにあり(この先は渋谷金王八幡に至る)、千駄ヶ谷一帯の総鎮守である。また江戸時代の富士山信仰の名残の富士浅間神社を祭った富士塚があり、都内最古のものと言われている。写真はTさん提供。
これが富士塚の頂上、火山岩を使って作られたと思われるかなり険しい山道であった。写真はEさん提供。
榎稲荷前の二宮金次郎像。 鳩森八幡神社の近くにある榎稲荷は かっての仙寿院の境内にあり穴の開いた榎の大木があったからと言われている(今はないが)。のち家康の側室お万の方が信仰したことから お万榎といわれ、稲荷はお万稲荷とも言われているそうだ。この辺りは当時風光明媚で日暮里の向こうを張って新日暮の里と呼び習わされていた江戸名所のひとつであった。ところでこの像は10センチほどの小さなものであり、普通なら見逃してしまうような大きさである。
竜巌寺方面に向かうと蔦の絡まる苔むした古い建物が多く見受けられた。このあたりは原宿に近いところだが意外であった。
派手なペガサスの看板を掛けた店(閉店しているようだが)。 
近くにはパリの街角でも見かけそうな飾りがある店があった。
またしても苔むした蔦の絡まる建物その2。
源八幡太郎義家が陸奥遠征に向かう時軍勢を揃えて出陣したので揃坂という名がついた坂を上り竜巌寺に向かう途中に綺麗な庭のある慈光寺があった。
竜巌寺と真っ赤な紅葉。残念ながら境内に入ることが出来なかったが ここには義家が陸奥遠征に向かう時腰を掛けたという腰掛石があると言う。
ここにある一本のもみじは京都の紅葉を彷彿させるような鮮やかな紅葉であった。
竜厳寺前にあった建物の小さな紅葉。
ここはパリだろうか?熊野神社前の五差路にて。ユトリロ風にレタッチ。原宿は裏通りでもしゃれた建物がある。
熊野神社は青山・原宿一帯の総鎮守。 もとは紀州徳川家が熊野三山から勧請したもの。
熊野神社から青山方面に向かい、青山通り沿いを善光寺に行く途中、以前あったビルが取り壊されて向うに六本木ヒルズが見える異様な風景があった。一時的に駐車場にしているようだが再開発でその内大きなビルが建つのだろうか。
善光寺は改築中で本堂は工事の垂れ幕が掛かっていたので境内から山門を青山通りに向かって写す。信濃善光寺の別院で、もと谷中にあったものが江戸中期にこの地に移って来たという。
今度はローマか。善光寺横の小道を表参道方面に向かうと善光寺の墓所の先に見えた教会。写真はTさん提供。
絵画風にレタッチしてみた。
雨が降ってきたので青山のカフェでお茶をして帰る。

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