Meiji Jingu and Shinjyuku area

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今回は11月4日文化の日に明治神宮で流鏑馬が行われるのに合わせて江戸散歩を設定したが、撮影場所を確保するため かなり早くから待っていなければならず 結局その日は明治神宮だけで終わってしまった。 それでも七五三風景や流鏑馬など結構写す事は出来たのだが、11月14日に新宿花園神社で酉の市が開かれるのに合わせて残りのルートも回ってみた。 ちょうど新宿駅中心に寺や神社を巡り一周するようなルートだったが 高層ビルの町だけあって寺や神社からは必ず高層ビルが目に飛び込んできた。 

 

日時: 2011年11月3日及び11月14日
交通: JR 山手線 原宿駅、 帰り JR 山手線 新宿駅 
ルート: 明治神宮、常円寺〜成子天神社〜成子地蔵〜熊野神社〜正春寺・諦聴寺〜新宿花園神社  約7キロ

11月4日 明治神宮はもともと肥後熊本藩主、加藤清正の屋敷だったが、その後彦根藩伊井家の下屋敷となり、明治になると新政府により没収され皇室の御料地となった。この日はちょうど七五三で晴れ着に着飾った女の子や正装した男の子が両親とお参りに来ているのが多く見かけられた。
ちょっと周りがうるさいけど ハイ ポーズ。
かわいい娘の晴れ着姿を撮ろうと 今日はお母さんも一眼レフでカメラマン。
   本殿の隣には七五三の記念撮影などをする会館があり着飾った親子が集まっていた。
写真はTさん提供。
さあーお披露目。 このくらいの歳で晴れ着を着るのは子供にはかなり苦痛なようで、うちの娘は七五三で帯を締められた苦痛がトラウマになり成人式では着物を着なかった。
千歳あめが欲しいとママを困らせています。
この兄弟はちょうど3人で七五三だそうだ。 いっぺんにお祝いが出来て良いのやら 大変なのやら。
近くには華道や菊の展示もあった。文化の日には明治神宮では この他 古武術の武芸大会やバザー等かなり大規模な催し物が行われており 長く東京に住んでいたが知らなかった。
  本殿を出ると、外国大使館のものと思われるピカピカに磨かれた黒の高級車が何台も駐車しており周りの木々を映して異様な光景であった。 
   鏑矢で開始の前の儀式。写真はHさん提供。
11時頃から待って午後1時過ぎ ようやく流鏑馬の開始。
   女性の射手もいるようだ。写真はHさん提供
小さな神主さんもいました。
外人の付き人(矢が的にあったたかどうか判定したりする)もいる。何の話をしているのかな?
矢を射った後 次の矢を差し出す係りです。
的は3つあるが 馬がかなりのスピードで駆けるので全て的に当てるのはなかなか難しいようだ。特に最後の的は馬もスピードを出してきているのでかなり難しい。重い望遠レンズとカメラも持ってきたが、結局この撮影場所では予備に持ってきたデジカメと短いレンズしか使わなかった。
写真はEさん提供。
命中! 最後の的に命中したシーンを連写で見ると 馬の速さがわかる。 
0.2秒後
0.4秒後
0.8秒後 意気揚々に凱旋。
ちょっと流し撮りにしてみると。
的は外れたシーンだけど スピード感はでるようだ。
11月14日 新宿駅地下の「新宿の目」の辺りから地上に出て 家康が鷹狩りのとき湧き水で鞭を洗ったと言う「策の井」を探すが見つからない。たぶん標識だけだとは思うが 探すのをあきらめ青梅街道沿いにある天正13年に開山した日蓮宗の寺 常円寺に向かう。 常円寺境内に入り左を見ると新宿の高層ビルが目に飛び込んでくる。
常円寺境内に入り今度は後ろを振り向くとこちらも新宿の高層ビル群が。ビルの谷間にお寺があるようだ。この寺には江戸後期の狂歌師便々館湖鯉鮒の狂歌碑等がある。
西日に映える常円寺の塀。
青梅街道をちょっとはずれた近くにある LOVE のモニュメントに寄る。この場所では以前何回か撮影したことがある。
カップルでもいれば絵になるのだが、平日なので見かけなかった。
青梅街道に戻り、街道沿いの鳴留呼生そばで昼食。
青梅街道を横に入り成子天神社に行く途中回り道すると、途中フイリピンで見かけるようなタクシーが家の軒先にあるのを見つけた。この辺りは昔懐かしい何とか荘と言うような名が付いたアパートが何軒もあり高層ビルに囲まれてひっそり昔の趣を残している。 「看護婦家政婦紹介所」と言う看板を掛けているような家もあり何十年もまえにタイムスリップしたような気になる。
成子天神社。現在改築中で力石や富士塚は工事区域にあり近寄れなかった。
本殿の扉はなり古めかしく赤い地肌がむき出していた。
熊野神社に向かう。 成子天神社の参道を成子坂のほうに行くと成子地蔵があり その先をさらに進むと新宿中央公園がありその中に熊野神社がある。
熊野神社の小さな池の一箇所だけに金魚が群れをなしていた。そばに江戸の歌人蜀山人の「熊野三山十二叢」と彫られた手洗い鉢があるが、これがもとで熊野十二権現が十二社と呼ばれるようになったと言う。
熊野神社拝殿と高層ビル。紀州熊野十二権現を勧請したもの。現在は埋め立てられたがこの辺りには十二社池(じゅうにそういけ)があり紅葉の名所でもあり江戸西郊の景勝地であったと言う。
拝殿からは都庁のビルも見える。
十二社通りを甲州街道方面に向かう。
甲州街道沿いにある浄土真宗の古刹 正春寺。幕府大老を務めた土井家の菩提寺で2代将軍秀忠に仕えた土井昌勝の妻 初台の局の墓がある。 この辺りの地名 初台の由来である。
隣の真宗大谷派諦聴寺から望む高層ビルと首都高速。
甲州街道沿いを歩いていくと ニューヨークとパリが一緒になったような変な風景があった。
ビルの壁の一部が鏡のビル。
甲州街道を箒銀杏の所で右に折れ代々木方面に向かう。
電線の先にNTTビル。NTTビルは人がいない偽のビルと言うのをはじめて知った。
甲州街道を横切り靖国通り沿いにある新宿花園神社に向かう。
新宿花園神社。 11月14日と26日は酉の市で大勢の参拝客があつまる。 東京では浅草の大鳥神社も酉の市で有名である。
キューピーには万札が飾られ、お金をがっぽがっぽとかき集める熊手の飾りが所狭しと置いてある。商売人の参拝が多いのもうなずける。
商いが成立しお手を拝借のシャンシャンが行われると、携帯カメラやデジカメが殺到する。
昔懐かしい見世物小屋も出ている。この女性は蛇のようなものを持って客寄せをしているのだが、ひょっとして小屋の中では出し物の「サバイバルの女」として登場しているのかもしれない。 見ていると結構客が入っているようだ。

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